第2話

 いつもの夢だった。

 リカルダは努めて平静を装った。夢だと気付いても結末は変わらない。

 スピリドンの剣はホラーツの魔力炉を貫き、ホラーツの腕はスピリドンの胸を貫く。

 伝説に謳われる魔王ともなれば魔力炉が五つもあるのが普通らしいが、ホラーツは魔族を名乗るだけのただの魔界人だ。魔力炉はひとつしかなかった。

 黒髪に紅眼のホラーツに切りかかり、攻撃を防ぎ、防がれ、終にスピリドンは己の剣をホラーツの魔力炉に突き刺した。同様にホラーツの腕がスピリドンの胸を貫く。

 これで夢は終わりだ。あとは起きるだけ、と気を抜いたリカルダの視界にホラーツが入り込む。見上げたホラーツの目の中にスピリドンではなくリカルダの姿が映りこんでいた。

 困惑するリカルダを置き去りに、幼くなったホラーツが歯を見せて笑う。


「この我に一撃をいれるとは天晴だ! 気に入った! 我の伴侶になれ!」



「誰がなるかああああああ!!」


 寝台から飛び起きながら叫んだリカルダが呼吸を荒げて周囲を見回した。間違いなく自分の部屋だった。

 安堵の溜め息をついたが、リカルダの拳は怒りで震えていた。


***


「リカルダちゃん、どうしたの? 元気がないようだけれど」

「なにか悩み事かい? それとも初めてのコールズに疲れちゃったのかな」

「大丈夫です、少し夢見が悪かっただけですから。心配してくださってありがとうございます、父さま母さま」


 朝食の席で両親に心配され、リカルダは無理矢理笑顔を作った。前世の宿敵に求婚されたとか流石に相談できない。

 兄はコールズ学園の実験棟に泊まり込んでいて不在だ。


「それならいいのだけれど……」

「なにかあったらすぐ相談しなさい。ひとりで抱えこまないようにね」

「はい。ありがとうございます」


 紅茶を飲みながらリカルダはやさしい家族のためにも平穏な人生を終えよう、と再び決意した。



 無知は罪である。

 どこかの偉人が遺した格言であるらしいが、罪とは言わないまでもおおむねリカルダもその言に同意だった。

 今世で初めて知ったのだが、スピリドンはどうやら魔界人排斥組織に利用されていたらしい。

 魔界人が人族に差別され、不当な扱いを受けていた時代において、魔界人の権利と誇りを取り戻そうと、かつて人族が恐れていた魔族の名を用いて立ち上がったのがホラーツ達であり、スピリドンは数は少なくとも強力な彼らに対抗するべく魔界人排斥組織に仕立て上げられた勇者である、というのが後世の歴史研究において広く提唱されている。

 これを知ったリカルダは膝から崩れ落ちた。

 自分を孤児院から引き取った大人たちに従っていた結果がANOZAMA。

 故にリカルダは今世ではできるだけ知識を身に着けるべく選択授業を取れるだけ取っていた。

 基礎魔術、応用魔術、薬草学、機巧学、占星術、考古学、生物学、と家族に取り過ぎでは? と心配されるほどだ。

 自分でもちょっぴりやりすぎたかな? と思はなくはないが、知らないことを知るのは楽しい。前世まえでは読み書きすらおぼつかなかったリカルダからすれば天国と言ってもよかった。

 本を読む楽しさを知ったリカルダは授業前に教科書を開いて読みこんでいた。


「予習とは熱心だな、我が伴侶よ!」

「…………」


 リカルダはなにも聞かなかったし、見なかったことにした。

 そう、取っている授業が多い、すなわち、ホラーツと授業がかぶる可能性が上がるということである。

 リカルダの隣に座るのは当然である、という顔で断りもせず腰を下ろしたホラーツから教科書に顔を埋めたまま、リカルダは距離を取った。


「ごめんねー、リカルダちゃん。隣座らせてもらうねー」


 謝るくらいならおまえは幼馴染の行動を少しは止めろ。

 ホラーツの向こう側からひらひらと手を振るアードリアンもリカルダは無視した。

 教科書のすき間から目のあった同級生に目をそらされた。つらい。


「昼食をいっしょに食うぞ」「我は肉が好きだ」「貴様はなにが好きだ?」などとぺちゃぺちゃ好き勝手に喋っていたホラーツだったが、教員が教室に入ってくるとピタリと口を閉ざした。

 授業が始まっても話しかけてくるようなら容赦なく意識を刈り取ってやろうと思っていたのだが、案外真面目なのだな、とリカルダは少しだけ、ほんの少しだけホラーツを見直した。

 薬草学は無事に終わった。今日は座学だけだったが、次回は実習があるので動き易い服を忘れずに持ってこなくては。


「有意義な時間であったな!」

「………」

「我が伴侶は次も授業か? 我は応用魔術の時間まで空いている!」


 わたしはこいつとは無関係です。こいつの伴侶などではありません。あとこいつの探し人でもないです。

 リカルダは努めて無表情で、早足で歩みを進める。

 知らず知らずのうちに握りしめていた左胸元から手をはなす。コールズ学園に入学するのだから、と両親が誂えてくれた服にシワがよってしまう。


「顔色が芳しくないようだが、気分でも悪いのか? 医務室に行くのなら任せろ。小枝のごとき貴様ならば運ぶのは容易いぞ!」


 リカルダを抱き上げようと伸びてきたホラーツの手を躱し、生前に叩きこまれた格闘技術でもって腕をまきこみながら体を捻り、その最中さなかにホラーツの足を払う。

 そして、浮き上がったリカルダとさほど変わらない小柄なホラーツの体をそのまま下敷きにして床に強かに打ち付けた。

 肘を立てて追加ダメージを入れるのはさすがにやめたのだが、それでも成長過程にある未成熟な体にはダメージが大きかったらしく、沼蛙を踏みつぶしたような声で呻いた。

 素早く起き上がり、咳き込むホラーツからリカルダは離れた。体重が軽いからとはいえあれで気を失わないとは、とリカルダは舌打ちをしたい気分だった。


「や、やるな我が伴侶よ……。我の油断をついた的確な一撃であったぞ……」

「すごいねー、リカルダちゃん。まるで凄腕女冒険者みたいな身のこなしだったよー」


 拍手喝采されてもちっとも嬉しくない。

 気付けば同級生たちに輪になって注目されていた。

 リカルダの頬は羞恥から瞬く間に赤く染まり、目にはかってに涙が溜まっていく。

 わなわなと唇を震わせ、同じく拳も震わせた。

 平凡に、平穏に、普通の人生を送るはずだったのに、なぜこんなにも目立ってしまっているのか。


「おまえのせいだー―――――!!!」

「ごっばあ?!」


 がら空きの腹に渾身の一撃をくらい、さすがのホラーツも意識を途絶させた。しかしそれも一瞬で、すぐに意識を取り戻した。体はとにかく丈夫であったのだ。

 しかし身動きはできず、床に沈んだままぴくりとも動かない。


「うわああんわたしの平穏な学園生活があー――!」


 涙をこぼすまいと目尻をこすりながらリカルダは脱兎のごとくその場から走り去った。

 誰ともなしに手を合わせホラーツの冥福を祈る。


「……ま、まだ……死んどらんぞ……」


 痛みに悶絶しながらなんとか身を起こしたホラーツの背を支えてやりながら、アードリアンは呆れをにじませた溜め息を吐いた。


「あのさあ、好きなにアプローチするのはいいけどやりかた間違えるなよ? 前の失言といい、気を付けろって。これ以上黒歴史を増やしてどうするんだよ。ただでさえ真っ黒なんだからさー」

「ぐう……」

「とりあえず次に会ったら謝っとけー? 今回のと、前のと」

「……ウム」

「てーかさー、まだ友達にすらなってないのに伴侶呼びはやめとけって。好感度が下がりすぎてマイナスになるぞ」

「………ウム」


 幼馴染を心配するアードリアンの言葉に納得がいかない、と丸わかりの表情であったがホラーツはうなずいた。

 それを見てアードリアンはもう一度溜め息を吐き、秀麗な顔を少しだけ歪めた。

 ホラーツはリカルダが走り去っていった廊下の先を見つめている。その紅玉は生き生きと煌きを宿していた。


「殴られて興奮するとか、ハタから見ると完璧に変態だからな……?」


 前途多難がすぎる幼馴染の恋にぼやくアードリアンの声などは耳に入らないようで、腹の痛みが和らぐまで飽きることなくホラーツは誰もいない廊下を見つめ続けた。


***


 リカルダは手にした木剣で大木を切り付け、はたいて、また切り付けた。

 リカルダの小さな両腕が回りきらないほどの大木は見る間にその幅を減らしていった。その代わりに大量の木片を根元に積もらせていく。


「あー~~~もう! 目立たず! 平穏に! 真っ当な! ふつーの! 人生を送ろうと思ってたのにい~~~!」


 叫びと共に大きく木剣を振りかぶり、そして振り下ろした先にあった大木は哀れ、その生を今日で終えることになった。

 リカルダ、学園生活二本目の樹木破壊である。

 今日はそれで終わらず、倒木にも木剣をこれでもかと打ち付け、さらに粉微塵にしていく。

 これなら来年あたりに良い肥料への一歩を踏み出せるかもしれない……、と元大木が涙ながらに語るであろうくらいの木片を作り終え、ようやくリカルダは木剣を振り下ろす腕を止めた。


「もうだめだあ……。ぜったいふつーの女の子じゃないってバレたあ……。うう、神父さま、なんでわたしの骨の髄まで格闘術を教えこんだんですかあ……。わたしの平穏凡庸人生ライフがめちゃくちゃのぐちゃぐちゃですよお……」


 生まれ変わったおかげか、ユルユルになった涙腺からは玉のような涙がとめどなく溢れてくる。

 母に選んでもらったリボンも、父が褒めてくれた髪型も、兄が似合うと言ってくれた制服も、家族が用意してくれたなにもかもを台無しにしてしまった。


「う、うっ、うぅ……。わたしはこのままひとりも友達ができずに同級生に暴力を振るった熊女って呼ばれてさびしい学園生活を送るんだ……そんなのやだああああ」


 今生こんどこそ友達の一人や二人や百人くらい作れると思っていたのに……、とリカルダはべそべそ泣いた。

 結婚して家庭を持って親に孫を見せるなんて高望みはしない。ただ両親に「今日○○ちゃんと遊んだんだ~」と笑顔で報告したかった。それだけなのに。


「うう、友達作っていっしょに勉強したり読書会したりしたかった……」

「り、リカルダ」

「!!」


 突然聞こえた声に勢いよく振り向いた先にいたのは狼狽と困惑を混ぜんこんだ表情を浮かべたホラーツで、ずび、と鼻をすすったリカルダは立ち上がり裾を払って草や土埃を落とした。

 そのままホラーツを見ずに歩き出した。が、


「すまん!」


 勢いよく下げられたホラーツの頭に足が止まった。

 瞬きをくり返しても、目をこすってもホラーツの旋毛が見えたままだ。


「その、先日の件と、今日の件について謝罪する。

 不躾にも無断で貴様の体に触ろうとしてすまなかった。投げられて当然だ。誰だって背後から近付かれたら戦闘不能にしようとするに決まっている。平和ボケをしてわすれていた」

(イヤイヤ、何千年前の常識だよ。現代にそんな戦闘狂いねえよ)

「婦女子に対して胸を見せろというのも、礼を失していた。しかしあれは決して疚しい気持ちから出たものではなく、左胸に探し人の特徴があるはずなのだ。

 アードリアンに常々指摘されているのだが、我はいまいち性差に対する理解が浅いらしい。浅慮であった。

 それから将来を約束した仲ではないのに伴侶と呼ぶのはやめろとたしなめられた。だからこれからは名前で呼ぶ。

 ……呼びたいのだが、構わんか?」

「……」


 眉尻を下げて、ホラーツの紅玉が真摯にリカルドを見つめる。

 顔は良いほうよね、とかってに熱を持っていく頬をごまかすようにリカルダはホラーツから視線を顔ごと背けた。


「わ、わたしは普通の人生を送りたいんです。

 普通に学園へ通って、家族とすごして、友達を作ったりしたいんです。だから元魔族の方とはお近付きになりたくないんです。

 今までのことを謝ってくださると言うなら、もうわたしには関わらないでください」

「ムリだ」

「は?」


 なにが無理だ、近付くんじゃねえ諸悪の根源野郎が! とスピリドンががなる。うるさい。

 そんなスピリドンの声が気にならなくなるほどのものをリカルダは見てしまった。

 リカルダを一心に見つめるホラーツの、夕陽よりもなお赤い、まるで血をそのまま凍らせたかのような紅玉が赫々かくかくと、それこそ星を閉じ込めたかのごとく瞬いている。

 ホラーツは浅黒い褐色の肌だというのに、一目見てわかるほどに赤面していた。

 なぜ?! と困惑するリカルダもつられて頬を朱に染めた。


「貴様ほど美しく、華憐で、我が胸を打つ存在に会ったことがない。我が宿敵に魔力炉を貫かれたときと同じ、いや、それ以上に胸が苦しい」


 ぽかん、とリカルダは間抜けにも大口を開けた。

 淑女にあるまじき失態であったが、それどころではない。

 今この男はなんと言った? リカルダに対して、なんと?


「ああ、これが恋というものか。合点がいった。我は貴様に恋をしたのだな」


 ひとりで納得するホラーツに取り残されたリカルダははくはくと意味もなく口の開閉をくり返す。


「貴様の蒼穹を閉じ込めた瞳、赤く色付いた頬、瑞々しい果実のごとき唇、陽に透ける白銀しろがねの髪。どれも素晴らしく、我の胸を深くうがった。

 この先の貴様がどのような表情をするのか、それを見るのは我が良い。貴様の隣にいるのは我が良い。他の者に渡すなど考えたくもない」


 リカルダの脳内はスピリドンが暴れまわったり、乙女回路がスパークリングしたりと忙しい。今生で異性にここまで直截ちょくせつに口説かれたことなどなかった。


「それに加えて我を沈めた貴様の拳の強さと言ったらない。急所の顎を狙ったあの一撃も、腹に決めた一撃も、見事と言う他ない。我の宿敵スピリドンにも匹敵する」


 両手を掴まれ力説された。はなせ。

 乙女回路がトキメキを返せとおまえを睨んでいるぞ。

 今度は膝蹴りでもかましてやろうか、と考えたリカルダが実行するまえにその手が解放された。


「すまん。あまりに性急すぎると忠告を受けたばかりだったのだが……性分でな。許せ」


 許す許さないじゃねーな。もっぺんあの世に送ってやんよ、と光のないまなこでスピリドンが聖剣を素振りしている。

 ちなみに後年の研究によると単に光属性を付与されただけの丈夫な剣で、神性存在からの加護があったわけではなかったようだ。共に死線を潜り抜けてきたというのに。相棒よ、まさかおまえが聖剣じゃなかったなんて。

 もし神父さま、否、神父クソヤロウの生まれ変わりに会ったとしたら十発はぶん殴りたい。

 咳払いをしたホラーツが手を差し出してくる。


「我と友達から始めてくれ。必ず貴様を伴侶にしてみせる」


 リカルダは微笑わらって大きく振りかぶった。右手で持っていた木剣を両手に持ち直す。


「そういう言われかたをして友達を始めるやつがいるか!!!」


 リカルダの腰の入った木剣フルスイングは見事ホラーツをぶっ飛ばした。

 草むらでこっそりホラーツとリカルダを見守っていたアードリアンはあのバカ……。と深い溜息をついた。

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