前世とか忘れててください。マジで。

結城暁

第1話

 ――前世。


 スピリドンの剣はホラーツの魔力炉を貫いていた。

 ホラーツの口から、傷口から、おびただしい量の血が流れ出る。

 そして、それはスピリドンも同様だった。ホラーツの腕がスピリドンの左胸を貫通していた。


「ク、ククク、ハッハッハッハア! 見事だ、勇者スピリドン! 認めてやろう、貴様が、貴様こそが! 真の勇者だ!」


 まだ喋るのか、とスピリドンはホラーツと同じように口から鮮血を吐きながら、剣の柄を握る手に力をこめた。魔族のホラーツとは違い、ただの人族であるスピリドンにはもう喋る余裕などない。ただただ魔族の長であるホラーツの命が尽きるまでこの剣から手を離すものか、と気力だけで立っていた。


「気に入った! 貴様のような腕前を持った人間は初めてだ! だから次も殺し合おう・・・・・・・・・・


 ひゅうひゅう、スピリドンの喉が鳴る。呼吸音だけが響いた。


「来世も必ず貴様を探し出す。次は負けぬ。必ず貴様を殺す。その首を洗って待っていろ」


 その言葉を最期にホラーツはようやくその生命活動を終えた。

 それを見届けたスピリドンはついに体から力を抜いた。途端に襲い来る眠気に抗わずその身を任せる。

 スピリドンは力なく口の端を釣り上げて、事切れた。


 ――今世。


「いや、お断りしますけど?」


 リカルダ・ラスコンはこめかみを押さえながら呻いた。

 いつもの夢である。

 ベッドから起き出し、朝の支度をする。

 清潔な寝床、柔らかな朝の陽ざし、かわいらしい小鳥たちのさえずり、と文句なぞ出ようはずもない朝のシチュエーションなのだが、溜め息しか出ない。

 それもこれも毎日見る夢のせいだ。

 すらりと伸びた少しやせ気味の手足、艶やかな長い髪、成長途中の体、むきたての茹で玉子のような肌を持つリカルダは十三才で、男爵家の娘として生まれた。普通の、どこにでもいる少女だ。

 ただし、前世で勇者をしていた記憶を持っている。

 勇者スピリドンは魔族を自称し人族と敵対していた集団と戦っていた人間だ。数多の魔族を殺し、その長と一騎打ちの果てにその短い生涯を終えた。その人生は壮絶の一言に尽きる。

 リカルダとしてはこれから平穏無事に生きていく上で、スピリドンであった記憶ことはきれいさっぱり忘れ去ってしまいたいと思っているのだが、まるでそんなことは許さないとばかりに毎夜前世の最期を夢に見る。リカルダの生きる現代からは何千年も昔の事だというのに、細部までまざまざと。これでは忘れるどころではない。

 おまけに左胸にはおまえがスピリドンだ、その証だ、と主張するかのようにホラーツの腕に貫かれた傷跡がはっきりくっきりついていた。

 生まれつきのもので、生まれたてのリカルダに傷跡があるのを発見した両親はすわ呪いか、病気か、とたいそう慌てたらしい。特に呪いがかかっている訳でもなく、五体満足、健康体であるとわかってからは落ち着いたそうだが。

 姿見に映った左胸にはやはり今日も見事に傷跡がその存在を主張していた。成長と共に薄くなったり小さくなったりはしないか、と期待していたのだが、まったくそんなことはなかった。

 ため息をひとつ吐いてリカルダは念のためにサラシを巻いて傷跡を隠した。念には念を。

 今世では勇者と呼ばれたり、魔族の長とガチバトルをしたくはない。

 もっとも、人族と魔族の戦なんてものは何千年も前に終わっていて、今ではどこへ行っても様々な種族が見られるくらいに融和が進んでいる。

 仲良きことは美しきかな、とリカルダは登校準備を終えた。

 今日は記念すべきコールズ学園への入学日だ。

 コールズ学園は老若男女、どのような種族でも受け入れている魔術学園だ。学生寮も完備されていて遠方からの生徒も多い。

 幸いにもリカルダは空間転移装置が設置されている都市住みのため、家から通うことができる。前世で恵まれなかった家族と離れずにすんでなによりである。


(今世ではぜったい目立たず、天寿を全うするのよ、わたし! もう戦争とか殺し合いとかこりごりなんだから!)


 リカルダは拳を握りめ、人知れず決意を固めた。

 下級貴族とは言え、衣食住に困ることなく、家族はやさしくあたたかい。こんな好条件の人生を手放したいと思う人間がいるだろうか。否である。いるとしても、リカルダはぜったいに手放す気などなかった。

 そう、なにがあっても。


「んん? 貴様、どこぞで会ったことはないか?」


 たとえ、前世で殺し合った宿敵と出会ってもである。


「イ、イイエェ? 気ノセイデワァ? わたくしたち、今日が初対面でしてよ、おほほほほほほほほ」


 応用魔術の授業のことである。

 前世のホラーツそのままの姿をした男、正確には少年がそこにいた。

 サイズは小さい、もとい子どもだったが、鋭い紅眼、宵闇のごとき黒髪、尖った耳に牙、爪など、夢に見るホラーツの姿と生き写しだった。


「我はホラーツ。貴様、名は?」


 名前まで一緒かー―――!

 リカルダはすんでのところで叫ばずにすんだ。ぐっと腹に力をこめて、ひくつきながらも笑顔を作る。


「え、ええと、わたくしはリカルダと申します……」

「リカルダちゃんっていうの、かわいいね~。いやーごめんね、こいつちょっと面白いとこがあって。自分を魔族の生まれ変わりだって信じ込んじゃってるんだよね~。

 オレはアードリアン・ペイナケル。どうぞお見知りおきを」


 ばちこん、とウィンクをかまされ、仰々しいお辞儀にリカルダは一歩引いた。

 見目だけはべらぼうに良いが、中身は風に吹かれて飛びそうなくらい軽そうだった。


「よ、よろしく、アードリアンさん。リカルダ・ラスコンですわ………」

「アードリアン。我は魔族だ。元だが。まったく、元とはいえ魔族の長たる我にそんな口をききおって。本来なら八つ裂きにしてやるとこだが、寛大な我に感謝するのだな」

「ははー。長サマ、ありがたき幸せ~」


 こいつ、前世の記憶があるとかそんなもんじゃねえ……!

 そそくさと離れようとするリカルダの腕をホラーツが掴んだ。


「ヒィ……?!」

「リカルダとやら、授業が終わったら話がある。顔を貸せ」

「ひぃ……」


 リカルダのか細い悲鳴を了承の意と受け取ったらしく、ホラーツは授業に戻って行った。リカルダの心臓は縮み上がっていた。


 ば、バレたのか……?! また殺し合わなくちゃならねえのか?!


 脳内でスピリドンが頭を抱えて転がりまわっている。静かにしてほしい。

 脂汗を大量にかきながら初めての応用魔術の授業は終わった。


***


「あ、あのう、お話ってなんでしょうか……」

「ごめんねー、リカルダちゃん。うちの幼なじみが」


 アードリアンが平謝りをするが、リカルダの緊張がとけることはない。


「うむ、それなのだがな。我には探し人がいるのだ。前世で必ず会おうと約束した人間だ」

(それ殺し合いの約束だし一方的だったじゃねーか!!)


 ぷるぷると震えながらリカルダは胸中で反論した。

 殺し合いは嫌だ殺し合いは嫌だ殺し合いは嫌だ。


「どうにもお前がその探し人に似ている気がしてな」

(イ゛ィヤァー――――!! どこが?! 見た目も性別も違いますけど?! どこで判断しやがった?!)


 こうなれば殺られるまえに殺るしかないのか。お父さん、お母さん、申し訳ありません。あなたたちの娘は犯罪者になります。正当防衛だから許して欲しい。


「貴様の胸を見せてほしいのだが」

「………は?」

「だから、貴様の胸を見せてほしいのだが」


 のちにアードリアンは語る。

 リカルダの繰り出したアッパーはそれはそれはきれいにホラーツの顎にクリーンヒットした、と。


***


 リカルダは木剣を握りしめ、目の前の木を滅多打ちにした。


「信っじらんない! 信っじらんない! 信っじらんない! 最低! しね! 変態! しね!」


 木剣を打ち付けられている木が人語をしゃべれたのならあまりの理不尽さを涙ながらに訴えていただろう。

 両側面を抉られ続けた木は、終いには音を立てて折れた。元勇者の力は健在なのである。

 ぜーはーと肩で息をして、頭に上った血がいくらか下がってくると、リカルダはホラーツの言葉の意味にようやっと気が付いた。

 服の上から薄い胸を押さえる。

 ホラーツはきっと、いやぜったいにこの傷跡を探している。つまり傷跡を見られたらアウト。殺し合いが始まる。

 リカルダは勝利の予感に口を歪ませた。

 今のリカルダの性は女性であり、女性の胸を見るのは家族か伴侶くらいのものだ。つまり今世でリカルダがホラーツに胸を見せる可能性はゼロだ。

 つまりホラーツがリカルダをスピリドンだと確認する術はない。


「やったー! 平和で平穏な人生を全うできるー!!」


 拳を振り上げてリカルダは快哉を叫んだ。

 その翌日のことである。


「この我に一撃をいれるとは天晴だ! 気に入った! 我の伴侶になれ!」


 きらきらと紅玉を輝かせたホラーツがリカルダを壁際に追い詰めてそう宣言した。

 あちゃあ、と顔を覆うアードリアンが見える。興味津々、といったふうに見ている同級生たちが見える。

 ぷるぷると震え出したリカルダは、わたしの平穏はどこ、と目の前の宿敵に拳を振り上げた。


「誰がなるか!!!!」


 それはそれはきれいに回転のかかったアッパーであったそうな。

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