ソードマスター
「まっ、参りましたっ!」
片膝を着き、
相手に向かって頭を下げ、
平伏しているその男は
道着姿で手には竹刀が握られていた。
「さすがは先生、
あっしなんかは足下にすら及びません」
顔を上げた男の前に
立ちはだかるのは初老の紳士。
グレーの髪に髭を蓄え、
前合わせの着物風衣装に
ローブを羽織っており、
一見しだだけではこの世界の人間に思える。
「いや、そなたも
この世界の人間としては中々のもの」
この初老の紳士こそが、
ソードマスターその人。
そして、その前にいるのは
ソードマスターが現在
剣道有段者であり
腕に覚えがある若頭は、
屋敷の一角にある道場で
ソードマスターに
稽古の相手をしてもらっていたのだ。
――世辞ではなく
この者には剣の素養がある
もしあちらの世界に
生まれ育っていたら
一端の剣士にもなれたかもしれぬ
しかし如何せん
余りにも実戦が足らな過ぎる
常に死と隣合わせであり
日々を生きることがまさしく戦い
自分の居る所すべてが戦場
そうした極限の中にあってこそ
真剣の腕は開花するというもの
この世界でどれ程苛烈に生きようとも
やはり遠く及ぶものではない……
組の中でももっぱら
硬派な狂犬とされている若頭も、
心から敬服する侠客の前では
まるで子供のような無邪気さを見せる。
「あっしはね、
先生が羨ましくて仕方がないんでさぁ
異世界ってところは
己の力のみで生き抜き、
力が支配する世界だそうじゃないですか
一番強い奴が一番偉いんでしょう?」
若頭はタオルを手にし汗を拭う。
「あっしもね、
そんなところで生きて行きたかったんですよ
こちらの世界じゃ
只の暴れん坊扱いのあっしも
異世界だったら
自分を活かせる道ってもんが
あったんじゃあねえかと思いやしてね」
その若頭の言葉が
今のソードマスターの胸に
深く突き刺さる。
-
広い日本庭園に和風建築の屋敷、
そこがソードマスターが
用心棒として雇われている
マフィアのトップ、
大親分の私邸であり
組織の拠点でもあった。
日本庭園を眺めているソードマスター。
――これこそが
我が身を流れる血のルーツ。
そして彼の腰に差してある日本刀。
本来であれば彼の
サムライソードと呼ばれる
日本刀に酷似した異世界の剣。
しかしこの世界に入国する際に、
サムライソードの所持は
銃刀法違反になるとして、
当局に剥奪されてしまっていた。
ソードマスターの名の通り
彼にとって剣は命にも等しく、
共に
サムライソードは自身の体の一部も同然。
――思えば自分の失意は
あの時からはじまっていたのだ。
ソードマスターと言う名を冠していながら
帯刀すら許されないという大いなる存在矛盾、
それはこの世界により
自己を否定されたようなものであり、
ソードマスターのアイデンティティを
崩壊させるには充分なものであった。
まだこの世界の中でも
紛争地域などであれば、
彼のサムライソードは
没収されることを免れたかもしれない。
しかしよりにもよって
彼が一目見たいと熱望していた
先祖の故郷である日本が、
おそらく世界で一番
銃刀法に関しては厳しいという皮肉。
先祖への畏敬の念が強く、
ご先祖が生まれた祖国日本を
一目見たいと憧れ続けて来た
ソードマスターだったが、
今のこの世界には失望しかなかった。
――この世界に
侍も忍者もいない……
武士道も既に滅んでしまっている
この世界には……
最終的に力ある者が
すべての支配者となる世界を
なんと不条理な世界であるのか、
自分は弱い者の剣になろう、
そう思い続けて来たソードマスターだったが、
実際に平和で穏健な世界を
目の当たりにしてみて、
そこには自分の居場所がないことを
ハッキリと悟ってしまった。
これまでの長きに渡る信念すらも
否定されたかのような感覚、
それは二度に渡り
自分が拒絶されたような気分でもあり、
より一層彼の心中を
複雑なものとさせていた。
そしてこの世界、この日本で唯一、
力による闘争を是としている組織、
それがこの無法者達が集う
ジャパニーズマフィアでもあったのだ。
-
その夜は何やら奇妙な気配を
ソードマスターも感じていた。
用心棒である彼に与えられた
和室の客間。
誰かが廊下を走って来る足音が
聞こえたかと思うと、
部屋の障子が勢いよく開けられた。
「先生っ!! 敵襲ですっ!!」
敵の襲撃を逃れた
組織の下っ端構成員が
用心棒であるソードマスターを
呼びに来た。
その言葉が終わるか終わらないかの内に
常に肌身離さず手にしている日本刀を
改めて握りなおし、
勢いよく部屋を飛び出すソードマスター。
異世界では常に
魔族や魔獣の強敵との戦いに
身を置いてきた自分が、
この世界に来て以来、
まったく感じることのなかった
血湧き肉踊るような高揚感。
その自らの感覚に
自分自身が一番驚いている。
自分は常に義の為に戦い続けて来た、
そう信じていた筈なのに
――これではまるで血に飢えた獣ではないか
しかしその興奮を
もはや留める事すら出来ず、
ソードマスターはいきり立つ。
-
それはソードマスターからすれば
目も当てられぬ惨状、
壮絶な修羅場と化していた。
確かに敵の襲撃には間違いないし、
味方はほぼ壊滅状態でもある。
……性的な意味で。
「もうやだぁ、大親分さんたら、
エッチなんだからぁ」
マフィア組織のボス、
大親分の両脇には
べったりと美女が寄り添い、
その豊満な胸がこれでもかと
押し付けられており、
大親分も顔を真っ赤にし
満面の笑みでデレデレと
鼻の下を伸ばしている。
大親分に限らずに
幹部から鉄砲玉、
下っ端のチンピラに至るまで、
組織の構成員全員が
サキュバスの美女軍団と
イチャついて
「な、なんと、破廉恥な……」
硬派な狂犬と呼ばれている若頭ですら、
膝の上に美女をはべらせ、
顎を撫で回され、のぼせ上っている。
「いやぁん、若頭ったら、
渋くて男前なんだから」
「もしやこれは、幻惑術!?」
「サキュバスかっ!?」
そう言って、腰に帯刀している
日本刀に手を掛けるソードマスター。
その時、
背後に位置する日本庭園から
女の声がする。
「おっと、
あんたの相手は、このあたしだよ、
ソードマスター」
夜の日本庭園、その暗闇の中から
姿を現す女、
その両の手には
青白く光る透明の刀が握られている。
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