Ⅲ 僕の前に跪く世界

 ともかくも、こうして世界の認識が180度転換すると、僕自身の精神状態や、そこから表出する言動というものも大きく変化を起こすこととなる。


 例えばラッシュ時の満員電車に乗った時には……。


「――なんだこの混みようは! ゴミがこんな所まで……一段落したらすべて焼き払ってやる!」


 張り巡らされた蔦や根のように行き先を塞ぐ、狭い箱の中にぎゅうぎゅうに押し込められた邪魔な人々を力任せに掻き分け、僕はそう独り文句を吐きながら乗降口を目指す。


 それまでならば遠慮がちに隙間を縫い、消えるような小声で「す、すみません。ちょ、ちょっと通してください……」などと、まるでこちらが悪いかのように断りながら、やっとの思いで電車を降りていたのであるが、我ながらずいぶんと大胆になったものである。


 それもすべて、これまでは自分と同じ〝生きた人間〟であったものが、今は〝ただのゴミ〟のように見えるからである。


 不思議なもので、そうとしか目に映らないようになると、あんなに怖くて苦手であった人ごみも屁とも思わないようになるのだ。


 また、それまでは近付こうとすら微塵も思うことのなかった、日本で最大と謳われ、来日外国人観光客の興味の的ともなっている都内某所のスクランブル交差点を渡る時ですら……。


「――来れる、来れるぞ!」


 信号が青になり、大挙してこちらへ向かって来る人ごみを前にしてもなんら動じることなく、今までは存在すら許されなかったこの場所に僕は平然と立っている。


「あっはっはっはっは! 見ろ! 人がゴミのようだ!」


 そして、自らもそのゴミの中へ歩を進めると、雲霞の如く四方八方から横断歩道を横切ってゆく人間達をその中心で眺めながら、僕は勝ち誇ったように独り高笑いを都会の雑踏に響かせる。


 きっと以前の僕ならば、これほど大量の人の波を前にしては吐き気を催して卒倒していたことであろう。


 だが、今は違う。


 周囲を行き交う者達は蚊トンボのような虫けらか、あるいは風に右往左往する塵芥のようにしか本当に思えないのだ。

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