第24話 飲み比べ
その時だった。
――ドン!
とテーブルの上に空のジョッキが叩きつけられた。
顔を上げると、スピノザが俺のことを睨み付けていた。
「ジーク。あたしと勝負しやがれ。この前の腕相撲では遅れを取ったけどな。今日は絶対にリベンジしてやるよ」
突如として吹っ掛けられた勝負。
「何だ。また腕相撲でもするのか?」と俺は尋ねる。
「いいや。今日は別の勝負だ」
スピノザはそう言うと、空になったジョッキを掲げた。
「飲み比べで勝負といこうじゃねえか」
「飲み比べ?」
「そうだ。お互いに酒を飲み合って、先に潰れた方の負けだ。ジーク。あんた、まさか酒が飲めないわけじゃねえだろ?」
「まあ、嗜む程度にはな」
「言っとくが、あたしは滅茶苦茶強いぜ。店の酒樽を全部空けたこともある。飲み比べでは負けたことがねえ」
「それ、腕相撲の時にも言ってなかったか?」
「腕相撲の時は不覚を取ったが、今回はそれ以上に自信がある。何たってあたしはこれでいつもタダ酒してるからな」
堂々と情けないことをカミングアウトしていた。
そういえば、最初、スピノザと酒場で出会った時、周りに大勢の人が倒れていた。あれは飲み比べで酔い潰した後だったのか。
「噂が広まって、今じゃ誰もあたしの相手をしようとしねえ」
「完全に自分の有利なフィールドというわけか」
「あたしは負けることが三度の酒よりも嫌いだからな。勝つためだったら、徹底的に自分の有利な分野に持ち込むぜ」
スピノザはにやりと笑うと、椅子に足を乗せ、俺を睨めつけた。
「もちろん、逃げたりしないよな?」
「良いだろう。相手になってやる」
それを見ていた周りの衛兵たちは、
「おっ。第五分隊の二人が飲み比べ対決をするらしいぜ」
「面白そうだな。俺たちも参加するか」
と盛り上がり、飲み比べの輪に加わることになった。
「セイラ。ファム。あんたらもどうだよ」
スピノザは他の隊員たちも勝負に引き込もうとする。
「いえ。私は遠慮しておきます。お酒は飲めなくて……」
「僕も止めておくよ。酔っている人間を見るのは好きだけど、自分が酔っている姿を他人に見られるのは恥ずかしいからね」
「何だよ。ノリ悪ぃなあ。――まあ、いいや。じゃあ、おっぱじめるとするか。最後まで立ってるのはこのあたしだ」
飲み比べの参加者が全員、乾杯をすると、一斉にジョッキを傾けた。
中に入っている液体が喉元を通った瞬間、半分近くの衛兵たちが噴き出した。ゲホゲホと苦しげにむせ返っている。
「な、何だこの酒!? 尋常じゃなく濃いぞ!?」
「そいつはアルコール度数九十%のハイエールだからな。弱い奴が呑もうものなら、一発でぶっ潰れちまうだろうよ」
「無理だ! 無理! こんなの呑めるか!」
「楽しく呑める濃度じゃねえ!」
「そうか? 金がない時は、安く呑めるから重宝するけどな」
と言ったスピノザの発想は完全にアル中のそれだった。
一杯目で大半の衛兵が脱落してしまった。
「ったく。情けない連中だなあ」
スピノザが呆れたように呟いた。
その横で俺は手元のジョッキを飲み干した。
「おおっ。ジーク。イケる口じゃねえかよ」
「これくらいはな」
「あんたが張り合いのある相手で良かったよ。――まあでも、あたしにとっちゃこいつは水みたいなもんだけどな!」
スピノザはそう言うと、お代わりのジョッキを一息に飲み干した。アルコール度数九十%のハイエールも何のそのだ。
「良い飲みっぷりだ」
と俺は言った。
「――どうだ? 付いてこられるかよ」
スピノザは挑むような目で見てきた。
「止めろ! ジーク! 乗るな!」
「肝臓がぶっ壊れちまうぞ!」
「あのアル中に勝つなんて無茶だ!」
衛兵たちが俺の身を案じて口々に止めようとしてくる。
「俺は耐久力に自信があるが、それは酒も例外じゃない。いかなるアルコールも俺の肝臓を破壊することはできない」
俺はそう宣言すると、二杯目のハイエールを一息で飲み干した。
スピノザに視線を返すと、彼女は嬉しそうに口元を歪めた。
「いいねえ。やっぱあんた、最高だよ」
とスピノザは言った。
「マスター! 次から次へどんどん酒を持ってきてくれ!」
お互い、三杯目、四杯目、五杯目とジョッキを空けていった。
スピノザの顔はほんのりと赤くなっていた。俺も自分で見たわけじゃないが、少し身体に酔いが回ってきているのを感じる。
「大丈夫か? 顔が赤くなってるようだが」
「へっ。まだまだこれからよ」
俺とスピノザは視線の火花を交わし合う。
すると、その時、いきなり後ろから抱きつかれた。
――な、何だ!?
振り向くと、そこには顔を真っ赤にしたセイラが。
「ジークしゃん。頑張ってましゅねー」
「セイラ!? 酔っているのか……? だが、どうして。さっき、酒は弱いから飲まないと言っていただろう」
「彼女はどうやら、水と間違えてハイエールを口にしてしまったようでね。すぐに吐き出しはしたのだけど、ご覧の有り様さ」
ファムが説明してくれた。
「ジークしゃーん。むにゃむにゃ……」
セイラは俺に抱きついたまま寝落ちしてしまっている。背中に当たる胸の感触を払拭するためにも彼女を引き剥がした。
「ファム。悪いが、セイラの介抱を頼む。……ん?」
見ると、ファムはうつらうつらと船を漕いで眠たそうにしていた。
「まさか、お前も同じ過ちを犯したのか……?」
「ウフフ。僕はそのような失態は犯さないよ。僕が眠気に襲われているのは、ただ単に夜更かしが出来ないだけさ。すう……」
ファムはそう言うと、テーブルに突っ伏して寝息を立て始めた。
糸が切れたみたいに。
年端もいかない子供並みの夜の弱さだった。
「どうやら、残りはあたしたち二人だけになっちまったみたいだな」
俺たちはその後もひたすらにハイエールを体内に流し込み続けた。
もはや意地だけだった。
店の酒を全て空にするくらいの勢いで呑んだ。
そして、気が遠くなるほどの飲み比べの果てに――。
とうとう決着がついた。
「うっぷ……もうダメだ……」
そう呟いたスピノザの顔は青ざめていた。
「くっそ……飲み比べなら絶対に勝てると思ったのによ。――ジーク。あんた、酒の強さも尋常じゃねえな……」
「お前も大したものだ」
「へへっ。けど、いっしょに呑めて愉しかったぜ……」
そう言い残しながら、彼女は床に仰向けになると気絶した。
勝った――。
しかし、誰も俺の勝利を見届ける者はいなかった。
他の者は軒並み、酒場の床に酔い潰れて寝ていたからだ。
辺りを見回すと、そこは地獄絵図だった。
その時、はたと気づいた。
「これ……もしかして俺が介抱しないといけないのか?」
気が滅入ってくる。
いっそのこと、酔い潰れて寝てしまおうかと思った。
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