血を吸う鬼と護身刀 07
「
鬼王神社の本殿が塞いだ洞窟の突き当たり。ぽっかりと開けた空間に置かれた石棺の手前。方々に散った死体と血溜まりの只中で、
その髪も、肌も、身に纏っている着物さえ。その姿を形作る、何もかもが雪のように白い人型の人外。
御寝所を閉じるための結界に必要不可欠な、要の御神刀に宿る
「ぬしさま」
私の姿を認めるなり。見目麗しい蝴蝶の姿は、その一言とともに掻き消えた。
入れ代わり現れた抜身の太刀が矢のような勢いで飛んで来るのを、向けられた柄を掴んで受け止める。
「蝴蝶、鞘は?」
本性の器物に戻った状態で、大抵の付喪は人の言葉を話せない。それでも直接触れていれば、ぼんやりと感じ取れるものがあって。声なき声に導かれるよう視線を向けた先に、目当ての鞘は落ちていた。
血溜まりの中に。
「うわぁ……」
抜身で飛んで来られると危ないが、今回ばかりは仕方がないなと肩を落とす。
螺鈿で描かれた蝶の美しい意匠が、べったりと血にまみれて見る影もない。
「鞘って中まで洗えたっけ……?」
手入れどころか拾い上げることさえ躊躇われる惨状だ。
「――血を除ければいい?」
どうしたものかと息を吐いた私の横を、それらしい気配もなく人型に戻っていた叶がすり抜ける。
「できるの?」
「簡単だよ」
血溜まりの手前で立ち止まった叶が手の平をかざすと、それだけで鞘の周りから余計な血がずさりと退く。
あとに残された鞘はすっかり綺麗になっていて。私が軽く持ち上げた手に、今度こそなんの憂いもなく飛び込んできた。
「ありがとうね」
「いいよ、これくらい」
ぱちんと鞘に収めた太刀を抱え、改めて周囲の状況を確認する。
御寝所の中に転がる死体は、およそ成人男性
折られ、潰され、捩じ切られ、賊は誰も彼もが疑いの余地なく息絶えていた。
太刀を本性とする蝴蝶にできる殺し方では、ない。――では誰が?
「ねぇ、叶」
そんなもの。蝴蝶でないのなら、ここにいたはずの
「あなた、やっぱりあの中から出てきたんでしょう」
私が指差す石棺――封印された鬼王の寝床――からは、ここ千年、動かされたことのない蓋がものの見事に外されている。
「そうみたいだね」
叶の物言いは、あからさまに他人事のそれだ。
「思い出せない?」
「んー……」
鞘ごと抱えた太刀姿の蝴蝶が、腕の中でかたりと震える。
それとなく鞘の表面をさすると、炎で鍛えられた刀剣らしい、熾火にあたっているかのようなじんわりとしたぬくもりが冷えた手先を温めた。
叶の血肉を受けることで手にすることの叶った、人外の強靭さ。その代償として、死体のよう冷えきっていた体が徐々に人並みの温もりを取り戻していく。
「もし、お前がここで目覚める以前の『私』について言っているなら、私はそんなもの知らない。だから、はじめから思い出しようがないんだよ」
「どういうこと?」
「私はお前から『目覚めの血』を受けて、お前のものになった。それは間違いない。そして……私のような鬼が目覚めの血を受けられるようになるのはね。一度死んで、まっさらな状態からはじめなおす時だけなんだよ」
「それって……つまり、今ここにいる
「力を受け継いではいるけど、記憶と意識の上では別人だよ。人で言うところの『前世の自分』みたいなものかな」
昔から、人よりも人でないものと接する機会の方が多かったせいもあるのだろう。元々潔癖なところのあった性格に拍車がかかって。気がつけば、他人の嘘には敏感な子供になっていた。そのおかげでここ数年は、面と向かって吐かれた嘘に気付けなかったことなどないくらい。
だから。私には、叶が本当のことを言っているのだとわかった。少なくとも、叶にとっては今口にした言葉が紛うことなき真実なのだと。
だとすれば――
「
「そうだよ。最初からそう言ってる。間違いなく、私の全てはお前のものだ」
「裏切ったりしない?」
「そんなことをしてお前に嫌われでもしたら、私は飢えて死ぬしかない」
真実を伝え残すのに、千年という年月は長過ぎる。
叶の話を聞いてようやく、合点がいった。この千年、鬼王へと捧げられてきた忌子の血は、この地に封じられいつ目覚めるとも知れない鬼王を生かすためのものではなく、いつの日か目覚めた時に支配するためのものだったのだろう。
何も知らない私が、意図せず叶を下したように。
「なんだ……」
そういうことだったのか。
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