第3話 テレビ番組 オーソドックス 第四回より抜粋(神谷・佐々木)

本編 『朽ち果つ廃墟の片隅で 四巻』と時系列は同一。

前回の第三回に続いて、第二週目となる第四回。



司会  望月義一


出演者 神谷有恒

    佐々木宗輔


内容 『師弟対談』

   ・政治と言葉 言語の大事さ

   ・インナーバーバリアン パンとサーカス

   ・フランス革命の略論

   ・フランス革命と保守思想に絡めての小話

   ・独裁は民主主義から生まれる

   ・共通の価値観を下地に議論するのが、

    民主主義において最も重要かつ大事な事

   ・お酒と会話の嗜み方 『正気の会話』

   ・歴史と価値

   

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神谷「前の議論の続きになるけれど、言葉ってありますね?我々は本能が完全とまでは言わないにしても、少なからず一般的な動物とかと比べたら遥かに働きが弱くなっていると。だからこそというのか、それでも集団的な動物であるが故に、それだけが機能をまだ残しているって事なのか、集団の中にいる個々の間で意思疎通が無いと纏まらないというのもあって、人類は必要に迫られて言語を開発、発明したと思うのだけれど、

その致し方ない元で人間は言葉に拘らざるを得ないと、それを受け入れて議論を進めるとして、これも繰り返しになりますが、言葉には価値が含まれていると、また価値があって言葉を選択出来ると。

でも価値というのは、自分勝手では価値でも何でもないんですよね。ある種の”社会的価値”でしょ?」


二人「そうですね」


神谷「で、その社会は歴史を持ってるでしょう?

そうなってくると、社会にしろ歴史にしろ、それを先頭に立って引き受けてるのは『政治』ということになるよね?

…ふふ、実際には引き受けてるのなんか、私たちの付き合いがあるごく少数しか見えないし知らないけれども、それはともかく、だから、言葉を扱っていると、好むと好まざるとに関わらず、政治問題に絡んだ発言をせざるべからず…って、感じで今まで来たんだけれど…」


佐々木「そうですねぇ…だけど、今先生も留保をいくつか置かれたけれども、例えば現代で言えば自由って言葉がありますね?で、我々のいる現代社会というのは、この国に限って言っても、一応は建前の上では表現の自由が大事だと、それに関しては皆が皆口を揃えて賛同するだろうし、もっと根本で言っても、自由というのは我々の基本的な原則のようなものになってると。

ですが…勿論我々の定義する意味では厳密には違うので、カッコ付きでですが、この”自由”という原則を立ててしまうと、どの言葉を使うか、どのような意味合いで使うのか、それはその人の勝手なんですよねぇ」


神谷「そうだねぇ…」


義一「んー、そうなってますねぇ」


佐々木「で、そうなってしまうと、その言葉を使う我々の間には、ついには共有する価値が無くなってしまったというのが、今の現代社会の姿なんじゃないですかねぇ」


二人「そうですね…」


佐々木「だからその…ふふ、今の話で言いたかったのは、先生が言われた通り、社会全体のことや、その根底に流れているはずの価値観を政治が先頭に立って引き受けて他国と外交をしたりなどしなくてはいけないはずなんですが、現状は今話した通りで、共有する価値などごく僅かを残して消え失せてますからねぇ…政治の腐敗がどうのなどは、これこそ大昔から言われ続けていますが、勿論小選挙区制にしたからだとか、色々と細々とした理由は挙げられるんですが、突き詰めて言うと、共通の価値観が無くなってしまったと、そうなると政治の場で共通する価値の元での議論が出来ずに、数を多く取った方が単純に勝ちだと、田中角栄じゃないですが、『民主主義は数だ』って浅薄な考えに支配されてしまってるんですね。これは…ふふ、自分で出ておいて言うのは何ですが、それに限らずテレビなどのメディアにしても、視聴者の目に止まるような、新奇なものを善悪問うことなくバラ撒くといったような事も、これも今に限らず近代という時代においては、ずっとこの現象は続いているのですが、話を戻すと、そういった中で、議論もままならない、お互いに会話をしようとするんだけれど、お互いに意味を共有していないから、話が噛み合わないなどなどと、そんな状況の中で、果たして政治が機能するのかという関心は、ずっと持ってきましたねぇ」


義一「そうですねぇ。今先生方の話を聞いて、もう少し言葉の問題について掘り下げたいなと思ったんですが、先ほども大学改革の話が出ましたけれど、今もなお…いや、尚一層教育改革と名された革命がますます進められてるんですが、その中の一つに、大学入試も英語で出来るようにしようだとかですね、大学の授業は英語でするようにしようとかですね、もう頭が痛くなる事ばかりが出てきています。

でですね、『教育再生』とも言われてるんですが、そもそもの発想がくだらなくてですね、要はこのようなことを提案している輩というのは、ビジネスでお金を稼ぐには、英語が話せた方が良いだろうという、お金の動機のみ何ですね」


佐々木「アッハッハ、そうですねぇ…」


神谷「うん」


義一「言語がお金を稼ぐ道具として幼い頃から勉強させると、第二公用語にしようだなんて話まで出てくる始末なんですね。だけれど…ふふ、今までの議論に限って言ったって明らかなように、言語というのはそんなふざけたものではなくてですね、

例えば、今では話題に上らなくなってしまいましたが、一時期ニュースでも出ていたと思いますが、中国がチベットに中国語を押し付けようと政策を進めてきて、それによって実際に今チベット語というのが滅びかかっているんですね。

それに抗議して、チベット人たちの焼身自殺が絶えないって状況が漏れ伝わってきていたわけです」


二人「…」


義一「要は、言語を潰されるってことは、自分の命を賭してでも抗議するくらいの、自分個人のみならず民族としての実存に関わる問題なんですね。それを…ビジネス如きのために、誰に言われるでもなく御自ら自国の言語を蔑ろにして、しかもそれを『教育再生』だなんて名打つなんて、本当に度し難いですよねぇ」


神谷「うん、本当にそうで。我々の間ではよく名前が上がる、保守思想家のオルテガが、彼も別に歴史学者じゃないから、又聞きで書いたんだろうけれども、地中海沿岸でローマ帝国が繁栄を極めたわけですが、そのローマ帝国の公用語であったラテン語が”vulgar”、『俗悪』って意味ですが、彼らの言語が俗悪なものになっていったと言うんですね。

これはまぁ当たり前と言えば当たり前のことで、最盛期にはローマはどんどん領土を広げていったわけですが、それと同時に占領し領地にしたところでは、自国のラテン語を広めるわけですがその時に、別にラテン語の深い妙みたいな、そんな奥深さを一から教えてたらキリがないと、せっかく占領して領土になったのだから、交易を盛んにして…そう、今義一くんが話してくれた通り、ビジネスのためを考えると、お金の数え方やら交易上のルールの書かれた形式的な文章さえ読めれば、後はどうでも良いと、表面上の浅いやりとりさえ出来る程度の単純化した俗悪な言語で十分なんですね。

複雑な潤いのある裏表のあるような、そんな深みなんかは返って邪魔者扱いされてしまって、徐々に俗悪化された言語に元のラテン語までが引き摺られて堕ちていってしまうんですね」


佐々木「そうですねぇ、それは英語でも分かる事で、私たちは英語とアメリカ英語なりを区別するんですが、つまりアメリカ語は英語が俗悪化された言語なんですね。

勿論イギリスもご多分に漏れずに、自分たちも俗悪化してるんでしょうが、ふと今思い出したんですが、自分の子供が小さい頃に、研究と称してアメリカとイギリスの二カ国に、それぞれ二、三年ずつ行った時に、アメリカからそのまま日本に帰らず向こうの片田舎、まぁケンブリッジだったんですが住んでた事がありまして」


神谷「あー、そうだったね」


佐々木「家族同伴だったものですから、アメリカの時も同様だったのですが、イギリスに行った時もその時に現地の学校に子供を通わせたんですが、最初に先生たちに子供が受けたのが、アメリカ語に対する矯正だったんです」


二人「あー」


佐々木「イギリス人は、例えば二十、 ”Twenty”のことを『トゥエンティ』と、最後の『ティ』をはっきりと発音するんですね。アメリカ語だと『トゥエンニィー』みたいに”T”をキチンと発音しなかったりしますが、今の例に代表されるように、一つ一つの言葉や単語にチェックを入れられたんです。しかも、私がいたのがケンブリッジという場所柄のせいなのか知りませんが、何でアメリカ英語ではいけないのかの説教まであったんです。

『アメリカ英語は汚いのだから、キチンとクイーンズイングリッシュで発音しなさい』

みたいに」


二人「おー」


佐々木「私の子供は当時小学生も高学年くらいだったと思いますが、アメリカに先に数年住んでいたので、子供の吸収力は凄いもので、日常会話くらいなら難なく話せるくらいだったのですが、アメリカで慣れた発音を矯正されるのをみて、子供には悪いですが、見ていて『良いな』と思ったんです。自国の言葉をキチンと守ろうという意識が働いてるんだな、と」


神谷「良いねぇ」


佐々木「で、話を戻しますと、大戦以降は、ソ連はいましたが、自由主義諸国ではアメリカ一強時代が続きまして、世界中に英語が俗悪化された形としてのアメリカ語がばら撒かれたんですよねぇ」


義一「そうですねぇ…でも、今先生方が話されたような事は、ヨーロッパでは目立たないながらも議論がしっかりなされていまして、18世期はイギリスの、今現代でも大変に著名な歴史家であるエドワード・ギボンが、かの有名な

”The History of the Decline and Fall of the Roman Empire”、『ローマ帝国衰亡史』

という、名前の通り古代ローマ帝国の衰亡を記述したのがありまして、中身の詳細については、事実とは反している箇所が散見されると、一時期は見向きもされなかった時代もあったのですが、しかし歴史的に正しい学問的な追記と注釈が付されるものが近代では出版されているので、それは是非視聴者の皆さんにも、中々に大作なので、暇がないと厳しいとは思いますがお勧めしたいと思います。

…っと、別に本の紹介だけをしたいだけではなく、その中身をチラッと触れたいなと思ったのですが、このギボンの本は、ローマの五賢帝時代、『人類が最も幸福であった時代』とギボン自身が評した通り、ローマ帝国の最盛期から書かれていて、ローマ帝国の東西分裂、ローマ帝国再興の試み、勃興するイスラム勢力との抗争、十字軍と続き、オスマン帝国によって、東ローマ帝国の首都であった現在のトルコはイスタンブールであるコンスタンティノーブルの陥落までの約四百年間の歴史が書かれています。

で、ですね、ローマが何故滅んだかについても彼は幾つか理由を書いてるんですが、その中の一つに、今先生方が仰ったように、偉大なローマの文化が俗悪化したからだと言ってるんですね」


佐々木「そうですねぇ」


神谷「今義一くんの話を聞いて、あれは…アーノルド・J・トインビーでしたかね?彼の叔父にアーノルド・トインビーという、『産業革命』という名称を学術用語として広めた彼と、ごっちゃになりやすいので注意を込めてから話を戻すと、

”Inner Barbarian”『内部の野蛮人』って事を言っています。

バーバリアンというのは野蛮人って意味なんですが、元々古代ギリシャ語から来ていて、彼らにとっての野蛮人というのは、北方の森深いところにいるゲルマン人たちのことだったんですね。で、ギリシャ人は彼らの言葉がよく聞き取れないと、『バーバーバーバー』『バルバルバルバル』みたいに言ってるようにしか聞こえなかったというので、その音から、古代ギリシャ人が異民族一般に向けた蔑称であった”Barbaroi”、そこから ”Barbarian”となっていったんですが、その単語の由来はともかく、トインビーはローマが滅んだのは、外部の野蛮人が攻めてきたからではないんだって事を言っていたのを思い出しました」


義一「そうでしたね。と、その先生の話に引き付けてですね、古代ローマにおける風刺詩人として今現在も有名なユウェナリスという詩人の有名な言葉に『パンとサーカスを』というのがあります。

パンは食糧ですね、サーカスは、まぁ有り体に言ってしまえば娯楽のようなもので、

初めは統治者が統治しやすいように民衆から指示を受けたいが為に施していたんですが、次第に民衆たちの中での欲望に限りがなくなっていって、それに従って統治者に対する要求も膨らみ続けていって、それがローマ帝国の大きな負担となり、これだけとは言いませんが、これもローマ衰亡の大きな要因の一つだと一般的には言われていますね。この場合は、民衆がある種の、トインビーが言う意味での『内部の野蛮人』となってしまい、ギボンにも絡めると、そんな目先の欲望に民衆が振り回されて暴れている時に、文化を守ろう、大切にしようって気が起こるわけが無く、負のスパイラルに入ってしまったってことだと思います」


佐々木「せっかく議論が深まっているのに、話を戻しちゃうようで恐縮ですが、言語というのが道具で、元々思考があって、思考に従って言語を操ると一般にも学者連中にも思われてると思うんですが、そうは人間いかなくて、これも今日だけでも散々議論された事ですが、言語に操られて思考が形成されたり、また出来上がった思考を今度は言語が正確になかなか伝えないので、それで誤解されて受け止められちゃうと、まぁそんな事はよくある事なのですが、このように言語と思考というのはコインの裏と表というか、どっちが欠けてもダメなんですが、それを言語の方だけ単純化して平板化してしまうというのが、これまで近代の流れだったわけです。

当然ですね、格式高かったクイーンズイングリッシュが、アメリカ英語が代表するように単純化したあまりに俗悪化して、終いには本国の英語までそれに引き摺られてしまうと、それが今の現状なわけです。そして、これまでお二方が議論されてきたように、それは古代ローマでも同じことが起きていたのも視聴者の皆さんにはお分かりになられたかと思います」






佐々木「政治と言葉という議題に戻りたいと思うんですが、近代はどこでも分裂状態になってるとは言えても、まだ相対的に見てヨーロッパ諸国の方はまだなんとか、辛うじて他の先進国よりも政治と言葉が絡み合ってるという考え方が残っていると思うんです。

我々の言う”政治”という言葉は、古代ギリシャの都市国家、”Polis”からまぁ”Politics”、つまり政治という語源なわけですが、その場合の政治というのは”言論”、つまり言葉をもって人々民衆を説得したり、言葉をもって相手と戦うと、そういった基本的な意識というかあって、それが今日まで西洋政治の根幹を担っているんですね」


二人「その通りですね」


佐々木「これは民主政治だけではなく、貴族制にしろ君主制にしろ、はたまた目立たないから分かり辛くとも独裁制に至るまで基本は全く同じですね。なんせ専制君主で言えば、彼らにしても言葉を持って民を説得しなければいけないんですからね。

これは近代以降とはいえども、少なくともエリートの中にはヨーロッパでは若干数は生き残っていると思うんですがねぇ」


義一「佐々木先生のお話を聞いて、ふと思い出しましたよ。あれはルネサンス期のイタリアの哲学者にして修道士だったジョルダーノ・ブルーノも正確では無いですがこう言っていますね。

『上の道は下への道』と」


二人「あー、なるほどね」


義一「ふふ、これはまた視聴者向けというか、今のブルーノの言葉の意味を話そうと思ったのですが、またもや懲りなくですね、そんな私如きが説明しなくとも、ある人物が、別にブルーノの言葉に引き付けて言ったわけではないのですが、しかし内容としてはそう取れるのを思い出したので、また出してみたいと思います。

これは、思想的には”真正保守”を標榜し、少なくとも目指している我々からすると外せない重要人物として、1789年の七月に、バスティーユ襲撃からフランス革命が始まるわけですが、それを見て危機感を覚え、

”Reflections on the Revolution in France”『フランス革命の省察』

という、このまま革命騒ぎが続くと、フランスだけではなくヨーロッパ全体が酷いことになるぞと警告した事で有名な、近代保守主義の父と称されるエドマンド・バークが、先ほどのブルーノの言葉に近い事を言っていました。

『民を導く立場である君主というのは、その導かれる者によって方向付けられる』」


神谷「うん、まさしくその通りだね」


義一「ふふ、はい。一般的に、専制君主にしろ独裁的な指導者にしろ、強権的なイメージばかりが先行するあまりに、民衆を無視してるかのように見えますが、しかし実際はそのようなことはあり得ないわけですね。これも視聴者向けに言うのですが、もしも専制君主が民を無視して抑圧したとしても、先ほども出したフランス革命が分かり易いですが、それ以前にも乱暴な統治者に怒って民衆が筵旗を掲げて反抗するのなんかザラにあったわけです。

少しだけ付け加えると、フランス革命の時のフランスはブルボン王朝、君主はルイ16世で、妃は有名なマリー・アントワネットでしたが、この夫妻が、勿論過去にそのような民の怒りによって王政を倒されたことがあるという歴史を知らないわけが無いわけでして、なるべく民が自分の政治についてどう思っているのか、どう評価してるのかを気にせずにはいられませんでしたが、

しかしでは何故知っていたのに出来なかったのかと言うと、ルイ16世夫婦も勿論含めて、完璧な人間など存在しないわけでして、それなりに不手際はあったのは事実だったでしょうが、そんな些末な不手際に目を向ける前に、そもそもブルボン王朝そのものが限界に、様々な点から限界にきていたのだと、まずそこに目を向けなければいけないと思いますね」


二人「その通りだと思いますね」


義一「具体的に言ってもですね、果たしてルイ16世夫婦が、果たして民衆の鬱憤が溜まっていくのを無視して、一般に流布されているアントワネットの言葉と有名な

”Qu'ils mangent de la brioche”直訳すれば『ブリオッシュを食べれば良いじゃない』となりますが、有名な方で言えば『パンがなければケーキを食べればいいじゃない』

という言葉に代表される様な、言葉を言う様な愚か者では無かったというのが、まず私の考えというか立場です」


二人「あはは、私たちもそうですよ」


義一「ふふ、ありがとうございます。で…ふふ、この言葉を掘り下げることもないのですが、これはそもそも、”une grande princesse”と、直訳すれば『あるたいへんに身分の高い女性』と何処かに書かれていたのを見た人が、思い込みのせいでしょう、憎き専制君主の妻だったアントワネットが言った言葉だとデマを流して、それが今まで続いていますが、本当は今現在、既に彼女自身の言葉では無いことは判明しています。

もしもですね、余談ですが、本当にこの様な言葉を言った女性がいたとするならば、これは本当に僕個人の考えで、これこそ言うと話に尾鰭がついて、先ほどのアントワネットの言葉だといった風に話が広まらないとも限らないので、慎重を要するのですが、それでもまぁ話ついでに話したいと思います。

革命期に処刑された特権階級は沢山いまして、その中には僕個人が科学者として大変尊敬している、

貴族の生まれなのですが、水を沸騰させて気化したものを、また改めて冷やしても質量に変化が見られない事を発見した『質量保存の法則』なり、または実際は彼以前に存在自体は見つけられていたのですが、しかし彼も自身の実験により、酸化水銀を熱した時に生じる括弧付きの気体を得る実験を繰り返し、その気体と固定空気…これは二酸化炭素のことですが、これとは別のものだと断定しました。

この気体と結合することで”酸”が生じる、と考えたので、この気体を”oxygène ”(オクシジェーヌ)『酸の素となるもの』と言う意味の言葉で命名した、今で言う『酸素の命名』などなどから、近代化学の父と称されるアントワーヌ・ラヴォアジエも処刑されていますが…って、やはりまた話が逸れてしまいました…。ふふ、すみませんが、今更ですが、僕の長話のせいで先生方の話を放送する余裕がなくなってしまうのでしたら、バッサリと僕の部分は遠慮なくカットしてください」


スタジオ「(笑い声)」


二人「あははは」


義一「あはは…って、はい、編集点としてはこれで良いですかね?

…ふふ、では、話を戻しまして、その処刑された中に、僕としては印象深い女性が一人いまして、本名はマリ=ジャンヌ・ベキューですが、一般的に”Madame du Barry”『デュ・バリー夫人』と呼ばれる方がいました。

彼女は、ルイ15世…ふふ、そう、16世ではなく15世の公妾で、要は愛人として知られています。

彼女は貧しい家庭に生まれたのですが、その見た目が美しかったお陰か洋裁店で働いていた時にデュ・バリー子爵に囲われて、貴族の世界へと飛び込んだと言う経歴の持ち主です。

で、ですね…ふふ、彼女は貴族の世界に入る前から、なんと言うか…ふふ、テレビでは言いづらいのですが…」


二人「…あ、あぁー…ふふふ」


義一「んー…ふふ、まぁなかなかに派手な男性遍歴の持ち主でして、それは子爵の元に行っても変わらず、またこの子爵がどうしようもない人だったみたいで、子爵自身が連れてくる男性と、夜な夜なベッドを共にしていたらしいです」


二人「ふふふ」


義一「ふふ、えぇっと…まぁそんなある日ですね、これまた公妾として有名な…というか、公妾の代名詞的な女性だったジャンヌ=アントワネット・ポワソン、通称”marquise de Pompadour”、そう『ポンパドゥール夫人』という、今現在でも同名の髪型で有名ですが、彼女が亡くなったというので、次の後釜として国王はこのデュ・バリー夫人を公妾にします。と同時に、もう数段上の、一番上の社交界へとデビューすることになったわけで、彼女は幸せの絶頂にいたわけですが…っと、ここまでの私の話を聞いて来て下さった方なら、まぁこれまで話してきた彼女の性質を含めて、何故私が、例のセリフがアントワネットのものでは無いとしたらデュ・バリー夫人の方が、可能性としてはあり得るのじゃないかと、ただの憶測ですが思ったのかが分かって頂けたかと思います」


神谷「あはは、そんな話だったね」


佐々木「アッハッハッハ」


義一「あはは、すみません…。ふふ、でですね、これだけ聞くと、彼女が悪女だなんて勘違いされるのは、それは私としては全く意図が違うので、彼女自身は”色々”と放縦ではあったものの、朗らかで愛嬌がある親しみやすい性格で、宮廷の貴族たちからは好かれていたという話も残っているというのを、慌てて付け加えさせて頂きつつ、

続けて、彼女にはこれ以外というか、その前にとても私に印象深いエピソードを残してくれてるというか、それで彼女の存在を知ったという事で、他の皆さんも興味深く思って頂けるのではないかと、身勝手な言い訳をしつつ、視聴者の方も、もう少しで終わりますので、今しばらく辛抱下さい。

…コホン、フランス革命に関する回想録は沢山ありますが、その中で、エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン、通称”madame de Le Brun”『ルブラン夫人』という、当時十八世紀と十九世紀を跨いだ中では最大の女流画家だったと私個人としては言いたいのですが、彼女が書き残したものを紹介したいと思います。

ある時、彼女は肖像画家としてヴェルサイユ宮殿に招かれて、要望通りに描いたところ、妃のアントワネットが大変彼女を気に入って、それ以来何度も宮殿に招待されては妃だけではなく子供達、他の王族などの多くの肖像画を描きながら、二人は画家と王妃という建前上の関係以上に、これは私見ですが、それを超えた友人関係を築いていました。

…とまぁ、そんな彼女なんですが、革命が起きて、王族が次々と捕まって処刑されていく、自分の親しい友人だった、家族ぐるみでの付き合いのあったアントワネットなども処刑されていく中でですね、彼女は回想録の中で、このデュ・バリー夫人に関しても書いています。

それによれば、

『革命裁判所で死刑を宣告され、命を落とした多くの女性たちの中で、断頭台を直視できなかったのは、デュ・バリー夫人だけだった』」


二人「…」


義一「『彼女は泣き叫び、処刑台の周囲に集まった夥しい群衆に慈悲を乞いていた』

と、当時の彼女を描写していまして、ルイ十六世や、勿論アントワネットの様を始めとする、他の王族貴族達の今際の際での凛とした態度とは全く真逆の、庶民出のせいかどうかはともかく、

『これから処刑されるという事に、なりふり構わず命乞いをする彼女の態度が、初めて処刑の非道さを浮き彫りにして、集まった民衆の心を掻き立てた様だ』

と感想を漏らしています。

そしてそのままルブラン夫人は、こう述懐しています。

『私が確信したのは、もしこの凄まじい時期の犠牲者たち、王族をはじめとする特権階級の面々が、あれ程までに誇り高くなかったならば、あんなに敢然と死に立ち向かわなかったならば、恐怖政治はもっとずっと早く終わっていたであろう』と」


神谷「そうだねぇ…」


義一「恐怖政治というのは、王族を処刑した後で、有名なロベスピエールらが人々に恐怖を引き起こさせるような政治手法や、その結果のことを言ってるわけです。

因みに、先ほど出した保守主義者のバークも、革命が始まった当初から、

『この革命は、ブルボン家の王族を処刑終えた後すぐに、血みどろの権力闘争が始まり、その闘争に勝ち残った者による独裁政治が始まり、ついにはどうにもならないというので、民衆の歓呼の声と共に、最終的には軍事力を背景とした軍人が新たな独裁者として登場し、君臨する事になるだろう』

と既に予言していまして、結果はその通りになったわけです」


二人「うんうん」


義一「つまり、現在のうだつが上がらないのを自分ではなく他に原因を求めたがり、その対象として特権階級に対するツマラナイ嫉妬を覚えるのが民衆というか、大衆心理ですが、そんな心理に付け込む形で起こされる民衆革命というのは、民主主義がどうのと言いながらも、結局はその民主主義が何なのかもよく分からず、ただ『自由』『平等』『博愛』という、今現在のフランスの国旗に象徴されている三つの大原則ですが、それぞれが一体どんな意味、どんな概念が含まれているのかなどなど、当事者達はロクに考えないままに、それ故に中身などまるで無い薄っぺらな美辞麗句を吐くことしか出来なかったのが、フランス革命の顛末でした」


神谷「その通りだね」


義一「んー…貴族がかつて持っていた、フランス語で”noblesse oblige(ノブレス・オブリージュ)”『高貴な者の義務』というのがありまして、『高貴であるゆえ特権を得ている者は、それに応じた義務を負うべきである』という意味ですが、貴族だって全員が全員この様な考えのもとで行動していたのでは無いにしても、少なくともこの考えが正しい事だというのは知っていて、いつでも頭の片隅にはありました。ただ実践出来ない人も多くいたって話しでですね。

ですが、そもそもそんなのとは無縁の民衆、もっと言えば大衆というのはですね、自分だけが儲からないか、得しないか目先の損得勘定でしか動かないのですから、王族という強力な全体を纏める統治機構を自ら壊してしまった後では、皆が好き勝手に動き回るので大混乱が起きて、それをどうにかしなきゃと皆が考え始めた時に、今更自分たちが壊した王族を復活させるわけにもいかず、結局は強力な軍隊をもった独裁者、勿論これはかの有名なナポレオンを指してるのですが、その様な者が現れると、まぁそんな話なわけです」


二人「うんうん」


義一「…っと、また話が逸れるというか膨らみすぎたので、元に戻しますというか付け加えますと、デュ・バリー夫人と青年時代に恋仲に近い関係にあったとされる、死刑執行人としてまた有名というか代名詞的存在であるアンリ・サンソンも、彼は因みに最後まで王族派という、いわゆる”保守”の立場の人間だったのですが、

『みんなデュ・バリー夫人のように泣き叫び、命乞いをすればよかったのだ。そうすれば、人々も事の重大さに気付き、恐怖政治も早く終わっていたのではないだろうか』

とまぁ、ルブラン夫人と似たような内容を手記に書き記しています。

因みにと申しますか、彼はその手で数多くの特権階級を処刑しましたが、実は最後まで王党派という、いわゆる”保守”の立場の人間でした。

彼はルイ16世を熱心に崇拝しており、自分が処刑するという結果になってしまったことを生涯悔いていまして、フランス革命当時はルイ16世のためにミサを捧げることは死刑になるほどの重罪だったのですが、神父を匿って秘密ミサを上げていたという逸話も残されています。

…っと、さて、ここで一気にまたバークの話まで戻したいと思うのですが…って、あまりにも僕一人で話しすぎてますね…」


神谷「あはは!いやいや、構わないよ」


佐々木「アッハッハッハ」


義一「いやぁ…ふふ、すみません。ゲストを差し置いて司会者が出しゃばって話し続けるとか、自分が最も忌み嫌う人種の一つであったのですが、まさか自分がそうなるとはお恥ずかしい限りです…。なるべく早くまとめられる様に努力しますので、関係各位の皆さんも、どうぞお願いします。

…ふふ、さて、専制君主は別に自分の思いのままに政治をすることが出来たわけでは無かったと、ジョルダーノ・ブルーノに始まり、近代保守主義の父であるエドマンド・バークの『民を導く立場である君主というのは、その導かれる者によって方向付けられる』という言葉を引用したりしたのですが、この流れでですね、もう一人、保守思想を学ぶ上で欠かすことが出来ない人物である、著作としては

”De la démocratie en Amérique”『アメリカの民主政治』という、アメリカの政治だけではなく全体の歴史を学ぶ上で、今なお重要な位置を占めている本を著した事で有名な、フランスの外交官にして外務大臣まで務めたことがある、アレクシ・ド・トクヴィルも、前に出した著作とは別に有名な、

”Ancien Régime et la Révolution”『旧体制と革命』

の中でも、バークと似た様な事を書いています。

これまた正確な引用では無いですが、

『革命によって、統治する者がようやく民に目を向けて政治をするようになったという言説があるが、それはあまりにも歴史を、少なくとも自分たちの国の歴史ですら知らな過ぎる。かの有名な、まさに専制君主、絶対君主の代表の様な、”Roi-Soleil”『太陽王』と呼ばれたブルボン王朝最盛期のフランス国王、ルイ14世ですら例外ではなかった』

などと書いていたと、最後に付け加えて私の長過ぎる発言を一旦閉めたいと思います」





神谷「今までの議論と絡めてというか、踏まえてですね…日本人は議会というと、選んだ人の集まる場所くらいにしか思わないだろうけれど、元々がこれも明治に翻訳された言葉でして、色んな単語がありますが、特にイギリスでは国会、議会のことをParliamentと呼びますが、この放送をご覧の方で、タバコ喫みの方がおられたら、すぐに連想されたかもしれません。というのも、タバコにもパーラメントというのがありますよね?この場では義一くん以外はタバコ喫みなんですが…」


二人「(笑)」


神谷「ふふ、まぁそれはともかく、Parliamentという単語は、『話し合う』という”Parlia”と、場所を表す”ment”で構成されたもので、要は国会議会は『話し合う場所』というのが元々の意味なんですね。

ここから何が言いたいのかというと、今みたい…って、別に今に限らないけど、外を見てみれば、国際情勢がそれはもう予断を許せないというか、刻一刻と、日本国家でいえば悪い方向へと進んでいるわけだけど、それがだねぇ…あいも変わらず与党野党で細かい些細な揚げ足取りをし合って、ただ単にどっちが政権を獲るかと、そんな椅子取りゲームをまだしてると…。

って、いや、だからまずですね、そもそも一切議論が議会でなされていないんですね。ただ自分の主張をぶつけ合うだけで、相手の主張なんかお互いに一切聞く耳を持たずに聞いていないんですよ」


二人「そうですねぇ」


神谷「議論をすれば、何がどう違うのかだけではなく、違いはあっても同じところもあったりするなと気付けるし、そこを共通の価値としてお互いに尊重し合いながら、そこから初めてお互いの主張について議論も出来るってもんなんだけれどねぇ…でも、まぁ…これはもしかしたら一部の視聴者から反論が来そうだから、先回りして言えば、確かに国会を見ると、うるさく思うくらいには喋っているね」


佐々木「アッハッハッハ、そうですねぇ…でも、これは国会議会から話が少し逸れますが、日本人はどっちかなんですよねぇ。すごく煩いか、喋らなければいけないところで変に無口か」


二人「あー」


佐々木「日本のあの酒場というか、居酒屋のうるささはヨーロッパには無いでしょう?」


義一「あははは」


神谷「あれは…ふふ、酷いねぇ。これを言うと、これまた日本原理主義の右翼は、

『なんでもすぐにヨーロッパの事を持ち出して、日本のどこが悪いのと並べ立てるお前らは、保守じゃないし左翼だろそもそも』

と、我々にレッテルを貼るのだろうけど、どう考えたって他国よりも劣っている点に関しては、恐れずに直視して、見習うべきところは見習うべきだと、そう提案しているだけだと前置きを置いて…ふふ、佐々木くん、どうぞ」


義一「(笑)」


佐々木「アッハッハッハ。話を続けると、ヨーロッパの酒場は静かですよねぇ?」


二人「そうですね」


佐々木「勿論人々がひしめき合っていれば、ザワザワという騒つきはあるんですが、そこかしこで大声が聞こえるだとか、そんな類のものでは無いですよ。私はその…ふふ、また叩かれそうな事を言えば、日本人の大半は、お酒の飲み方、楽しみ方をそもそも知らないんじゃ無いかと思いますね」


義一「私も同意見ですねぇ」


神谷「そうだなぁ。…ふふ、ちょっと口を挟んで申し訳ないけれど、先ほどの議論の話にも関係するから言えば、人間というのはどうしたって集団行動を取らなければ生きていけないという、社会的動物だよね?そんな種類の動物である我々にとって、特に満足なりを覚える事の一つに、『正気の会話』というのがあると思う」


義一「『正気の会話』…なるほど」

神谷「時には冗談を言い合ったり、時には真面目を言い合ったりというね。んー…この場にはお酒が出されていないから、ちょっと話が難しいんだけれど…」


二人「(笑)」


神谷「例えば、私と佐々木くんの間でも十歳以上の歳が離れているわけだけれど、私と義一くんの歳の差なんか、親子以上に離れているわけだよ」


義一「ふふ、そうですね」


神谷「例えばこの三人で話していても、好きなものや興味があるものが数多く被っているお陰で、会話も一般的に見ればお互いに容易く満足のいく形をとれていると、自画自賛だが思うんだけれど、それでも、やはりどうしたって世代間格差は否めないよね?だって、私は戦争にいった訳では無いけれど、でも物心が着く頃には終戦を迎えているのだからね」


義一「そうですね。僕は幸か不幸か物心ついた頃から、落ちぶれていく日本の姿しか無かったですから」


佐々木「ッフッフッフッフ」


神谷「あはは。とまぁ、簡単に例はいくらも出てくるんだけれど、そうしてある種お互いの間に緊張というと言い過ぎだと思うけれど、『会話』というのは、さっきの佐々木くんの話じゃなけれど、居酒屋とかで変に金切り声を上げてゲハゲハ下品に笑い合う様な、そんなものでは無いわけでしょう。もし、ちゃんと喋ろうとしたら、隣前の他人とのすれ違いや何やらと、色んなことを見ながら慎重を要することもあるわけだよ」


義一「いわゆるTPOってやつですね」


神谷「そう。で…ふふ、これで私のクダラナイ話を終えるけど、会話におけるお互いの間合いを取るのに、タバコの煙だとか、お酒のアルコールが実に絶妙なものなんだと」


二人「あー」


神谷「だから、これで結論とするけれど、お酒というのは酔いのために…って、まぁ結論も酔いが深く関係してくるのだけれど、ただ酔うためってことでは無くて、『会話』のためにあるんだと」


佐々木「そうですねぇ。私もお酒とタバコをしますが、タバコに関して言えば、大学から吸い始めましたがね。それは吸ってみたいだとか、カッコつけてというよりも、話してみたい相手がタバコ喫みだったので、それに合わせてタバコを吸いながらなら、生来口下手な私でも会話が出来るのではないかと、そんなキッカケだったのを思い出しましたよ」


義一「なるほどですねぇ」


佐々木「フッフッフッフ。て、別に先ほどの話に戻らなくても良いのですが、ただ嫌なことを忘れるためって事なんでしょうが、ただ真っ先に酔う為にお酒を飲むという現代日本人と違って、今のヨーロッパの人々は、まだ飲み方を知っていますね。今先生が言われたみたいに、会話のために、ある種の緊張感をほぐす意味でもお酒を飲んでますよ。

ですから日本人…って、日本人を取り上げ過ぎてますが、まだ向こうにはパブリック、公の場ではどういった態度を取らなければいけないのかという精神がまだ残っていると思います。

勿論それも程度によりけりですけれど、お酒の席で言えばそう言えると思いますね。

日本人だって昔はあったと思うのですが、まぁそれは今は昔という事で、それはどうでも良いのですが、欧州の人は静かに喋るんですね。周囲に配慮した結果と言いますか」


二人「そうですね」


佐々木「全体を配慮しながら、公の空間を配慮しながら喋っていると。こんな点も、日本がなんでこうなっちゃったのかというと、やはりアメリカの影響が色濃くあると思いますねぇ」






神谷「先ほどチラッと公というのが出てきたので、それに関連した言葉で『社会』というのがあるけど、あれも明治以降の翻訳語で、元は”society"だよね?このsocietyというのは、原義ではcompanion、つまりは仲間というらしいけれど、そこから派生して『社交』と同じだからね」


二人「そうですねぇ」


神谷「”sociable”というと『社交的』って意味にもなることから分かるけれど、人間は一人では生きられない、他人を必要とするんだけれど、所詮は他人だと。お互いに必要とし合ってるんだけれど、結局は他人同士という関係の中でどうするかってところで、言葉を掛け合っているという、それをまぁヨーロッパなんかは、イギリスとかは例外にして大体に置いて大陸国家だからね、戦争でも平時でもどんどん人種も様々に交わるから、それ故やはり日本人よりも緊張感を意識せざるべからずって感じで長く歴史を生きてきたせいか、そういう意味でも大体に置いて社交上手だよね」


佐々木「そうですねぇ…ちょっと手探りな話ですけれど、やはりヨーロッパ人が言葉を大切にするというのは、どこかにキリスト教的な要因もあると思うんですね」


二人「あー、うん」


佐々木「宗教的な背景があると。もともと言葉というのは神が与えたものであるし、プロテスタントなんかは極端ですけれど、神が常にその人間が何をやるか何時もチェックしてるわけです。非常に厳しいと言えば厳しいんです。

だから…他人のことを無条件には信じない、それだから故に、まず信用するためにお互いに言葉を発し合い確認し合うというのか、そうして人間関係を作っていく。

人間関係のあり方がどこか最初から『契約論』的な感じが、だからホッブスとかの論が出てくる様な地盤があったんだと、そう思うんですね」


二人「えぇ」


佐々木「契約ですから、勿論ウソはご法度なわけで、自分が言った言葉に対して責任を持たなくてはいけないという観念が、自然に入り込んでいる様な気がしますね。

それと違って、日本の場合はどうなんですかねぇ…?

日本はやはり『以心伝心』の様なところが…ふふ、あるんでしょうかねぇ」


神谷「ふふ、そうか…お互いに分かり合っている”はずだ”と、そういう前提があると言うのだねぇ」


佐々木「ふふふ、そうですねぇ。これは別にどっちが良いか悪いかって話ではなくて、ただ私は日本の中で暮らしているから、割と日本の以心伝心的なものは意識せずとも身に付いてしまっているので、日本人の言葉遣いが、どこか出鱈目というかなってしまったり、良く言えば『柔軟になっていっている』と、自分を振り顧みて言えなくもないんですが、何事もコインの裏表みたいにあるわけで、今時の流行みたいに、いかに日本の特性が世界で評価されてるみたいな、そんな”表”ばかりに気を取られて、”裏”を蔑ろと言うか、無いことにしてしまっている風潮に対して、神谷先生にしろ、義一くんにしろ危機感というか警鐘を鳴らしたいって想いには…ふふ、私も同感です」


二人「(笑)」





神谷「ふふ、ここからは歴史を交えて軽く話してくれって事なんだけれど、私は実は、保守だと自称していますし、それゆえに歴史の大事さを生涯言い続けてきたんだけれど、実は歴史の具体的な中身、つまりは何時代に、誰がどこで何をしたのか、勿論常識レベルには知ってるつもりですが、それ以上のことについては関心が無いんです」


二人「ふふ、私もですね」


神谷「全く無関心って訳でも無いんですが、歴史のおおよその流れにこそ関心があって、歴史を記録だと考えた時には、記録には関心が無いんですね」


佐々木「そうですねぇ。歴史って事で我々が思い描くのは、過去について我々がどう見るのかってことがまずありますよね」


義一「えぇ」


佐々木「その過去についてどう見るのかって事について考えた時に、材料になるのは、例えばその時代に生きた人たちが、どういう気持ちで生きたのか…って事でしょうかね」


二人「んー」


佐々木「色々な人が自分の時代を見て、様々な文章なり日記なりを残していますね。山田風太郎の『戦中派不戦日記』だとかですね、私なんかはそういった物の方が”歴史”だと言いたいというか思うんですね。そういった物を読んだ方が、その時代のことが良く分かる気がするんです」


神谷「そうだねぇ。小林秀雄なんかが使った言葉で、『歴史の運命』ってセリフがあるけれど、

『運命』ってなんぞやとなると、これは字引的な知識なんだけれど一つは英語で言うところの”absurd”、『不条理』と訳しますが、つまりは理屈で割り切れないものがあると」


二人「んー」


神谷「従って、その出来事が身に降りかかったら『これは運命だ』と、そう受け止めざるを得ないと。

そしてもう一つは、”inevitable”、『不可避、必然』って意味で避けえざる事態と、私は歴史という言葉を使う時に、この両方の意味があって、『不条理』で言えば、不条理なものについて、今生きる人が合理と称してああすれば良かった、こうすれば良かったってワケ知り顔で言うなと言いたい気持ちがあるんです」


二人「そうですね」


義一「先ほど神谷先生が小林秀雄をお出しになったので、思い出したんですけれど、有名な『近代の超克』っていう、戦争が始まって少しして、小林秀雄を始めとした文芸批評家だけではなく、哲学からは京都学派の面々、音楽評論家、物理学者、映画評論家などなどと、中々に多様なジャンルから出席されていた座談会があったのを書籍化したのがありますね」


二人「ありますねぇ」


義一「あれは、私個人としては、色んなジャンルの方々の戦争に対する見方だけではなく、それぞれの分野の話も噛み砕いて話されてるので、それらを含めて、今読んでもかなり興味深い議論がなされているとは思うのですが、戦争が終わった後、また皆で集まって、皆で大反省したって話なんですね。

『我々は間違っていた』みたいに。

でも、そこで小林秀雄が、彼ら知識人がこぞって周章狼狽を晒すのを見て、呆れて言うんですね。これは巷間にも流布されてるかも知れないので、視聴者の方も知ってるかもしれませんが、これまた正確な引用では無いですがこうでした。

『お利口さんは、たんと反省してみるが良い。自分は歴史の運命というものは、人知を超えたもっと凄いものだと思っているから、一切反省なんかしやしない』」


二人「うんうん」


義一「この発言以降、小林秀雄は一切と言って良いくらいに大戦のことについて言明することはありませんでした。

でー…ふふ、勿論、神谷先生が付け加えた様に、具体的な反省点については、今度あった時には同じ間違い過ちはしない様にしようという反省の仕方は良いと思うのですが、そんな省察は一切しないで、今まで自分がしてきた事を丸ごと全てを全否定する様な、そんな反省の仕方なんぞは受け入れられないという、小林秀雄の態度というか考え方は、僕も賛成なんです」


佐々木「ふふ、私も賛成です」


神谷「本当にね。戦争終わるまで旗振っていた知識人たちが、終わった途端に『自分も悪かった、誰それが悪かった』みたいな矮小な反省とも言えないことをやり続けて来たと、そういう人間たちのみっともなさを、小林秀雄はよく見てたんだねぇ。

んー…話が繋がるか、脱線かも知れないけれど、この知識人のだらしなさの問題ですがね、私は私自身を知識人だなどと名乗った事は一度もないというか、仮に『先生は有識者ですね』とまぁ、これはお恥ずかしながら、極々まれに社交辞令で言われることがあるんですが…」


二人「(笑)」


神谷「私はその度に慌てて訂正しますよ。『いやいや、私如き何も知りませんわ』と。

いや、そんな話はどうでも良いんですが、その知識人たちがですね、この議論の最初の方でも出たけれど、言葉の出鱈目さから来てる様にも見える、知識人たちの退廃というか、コロコロ平気で態度を変えるし、間違っても反省しないでいる厚顔無恥ぶりってことですけれど、

さっき何で恥じなく自分の例を挙げたかと言うと、戦争末期までと戦後と態度を180度変える様な自称知識人がいたというのを初めて知ったのから始まってですね、しつこい様だけど自分では知識人になりたいとも思ったことが無いし、今の私自身の立場がそうだとも微塵も思わないのだけれど、ただ、こうして公に発言をさせて貰えるという稀有な立場にいさせて貰っているというので、大学を辞めてから評論家という肩書を持つ様になって、気をつけている事があります。

まぁごく単純なことなんだけれど、

『出来るだけ間違えないでおこう』、『間違いそうな事は言わないでおこう』、『言うにしても、どこか自分自身にクエスチョンマークを付けるのを忘れずにいよう』とね、そうありたいなと率直に思ってきた次第です」





佐々木「数年前になりますけれど、先ほどの不条理、理不尽という話で思い出しましたが、千年に一度と言われた大震災、それ以降も毎年の様に人が亡くなる大災害が頻発していますが、勿論ですね、しっかりと予防というか、国家が誤った経済観、経済政策を何十年も続けて来てしまった結果、インフラが老朽化したり、整備の計画はあるのに一切していなかったりと、その様な事で被害が甚大に増えているという”人災”…そう、政府のする事業は全てが無駄なんだとマスコミが煽ったのはそうですが、考えれば嘘だと一瞬で見抜ける様な嘘を、国民の大半が、本気かどうかは知りませんが、公共事業は無駄だと信じて叩き続けていたという、日本国民全員による”人災”でもあったわけですが」


義一「全くおっしゃる通りですね。被害が出る事で、今までのふざけて怠けてきたツケを払わされている段階と言いますか」


神谷「司会者として、その様な発言はどうかと思うけれど…ふふふ、私個人としては全面的に賛成だねぇ。勿論亡くなられた方にはお悔やみを申し上げるけれど、でもその方だって、私は老い先短いから好き勝手言わせて貰えれば、その人がもしも、過去の公共事業に対して無駄だとマスコミと同じ論調に賛成していたのだとしたら、それはちょっと…ふふ、これ以上は言わない事にしとくけど」


二人「(笑)」


佐々木「まぁそうですねぇ…ふふ、これは私自身が振ったせいもあって、議論が何だか怪しい感じになってきて、まるで本当に居酒屋話みたいになってきたので、そろそろ話を戻しますが、人災の前にまずですね、言うまでもなく発端は災害からなんですね。”天災”なんですよ。で、これは当然人智を超えた出来事なわけで、これは不条理だとか、運命だとしか言いようのない事です。亡くなった方も今お二人が言ったことが関係してるかは別にして、それを一旦おくと運命で死んでしまったとしか言いようがないわけです」


義一「ふふ、フォローをすみません」


神谷「あはは」


佐々木「アッハッハッハ。あ、いや、これを歴史の話と絡めたいと思ったんですが、歴史を見ると、とんでもない謂れもないのに無残に死んでる人などザラにいるわけですね。そういう人を見ると、例えば戦争なら、

『自分も硫黄島なりに行って、無残なエライ目に遭っていたかも知れないが、私で言えばギリギリ戦後直後に生まれたから今がある』

という風に考えると、『死』というのを前提から生きていることを鑑みるに、何かどこか根源的な罪の意識と申しますか、そんな歴史を知れば知るほど、その様な認識を持つ様になるのではないかと。そこからある種の謙虚さというのか、いわゆる徳というものが自身の中に生まれてくるのではないかと、そんな気がするんですね」


二人「その通りですね」


佐々木「ですから、少し結論紛いなことを最後に述べれば、『歴史と価値』というのを考えると、『生きる』という事についての根源的な意味みたいなものを与える、そういうものが歴史なのかなって思いますね」


義一「その通りですねぇ。今…まぁこれも今に限らないですが、現代は過去には類を見ないほどにニヒリズム、虚無主義が蔓延していて、時を経るほどに深みを増してきてもいて、それに輪をかけて怖い事に、大多数の誰もがそれを自覚しないままでいるという極まった時代であるんですが、確かに今もいわゆる歴史ブームと言いますか、あるにはあるんですけれど、それは初めに神谷先生が言われた『記録としての歴史』という表面上の薄っぺらな事にだけ彼らは関心があるんであって、今佐々木先生が言われた、過去に生きた歴史上の人物たちから学んで、今生きる自分たちに活かそう、生きる活力としようといった様な、そんな感じで歴史を好んでいる人は少数派だと思われるんです。

で、何が言いたいかというと、ここまでの議論に沿って言えば、そんな虚無的な時代に生きていれば、当然よほど気を付けていなければ、時代環境に影響を受けて個々が虚無な人間になってしまうのは自然なことで、そんな人間たちが歴史を見る時に、どうしたって表向きの記録にしか目がいかないのは、仕方がないというか、むしろこの事が、今がニヒリズムが爛熟していることの証拠として分かり易いなと思うんですね」


神谷「そうだねぇ。なんせこの国の歴史学者と称する大半からしても、自覚してるか無自覚はともかく、大多数が進歩主義なんだからねぇ…歴史を扱ってるのに」


二人「(笑)」 



抜粋終わり

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