第14話 真っ赤な髪との出会い。
さすがにDBはその言葉にはさあっ、と血が引いた。
この客は、三十代も後半で、いつも金払いは良い。ただあまり好きなタイプではないのは確かだ。
……何が嫌かと言って、……実に自分の良く知っている人間に似ているのだ。真面目そうな、きっちり分けた髪、銀縁の眼鏡、高い背、嫌みにならない程度のコロンをきかせて、服の趣味も決して悪くはない。
……だから、嫌なのだ。
彼はそんな人物を一人、良く知っていた。その一人は、故郷の自分の家に居る。そして今は、その家を我が物にしている、ただ一人の。
別に顔が似ているという訳ではない。だが雰囲気が同じなのだ。おそらく会社でも有能な方なのだろう。頭も良さそうだし、品も悪くない。
なのに何を好きこのんで、わざわざ自分など好むのだろう。しかも女装した自分を、だ。
そのあたりの心理も、考えたら考えられるかもしれないが、あまり考えたくはなかった。
「……酔ってますね。明日も早いのでしょう? お帰りになって、ぐっすりお休み下さい」
「ぐっすり休みたいよ。だから君、一緒に居て欲しいんだ……」
そう言って、そんな駅近くだと言うのに、男は彼を抱きすくめようとした。
やめてくれ、と彼はもがいた。酔っぱらいのはずなのに、何って力だ。しかし気付いていなかったのは彼のほうだった。
頭がぐらり、とする。
「君も、うまく立っていられないんじゃないのかい?」
その途端、頭に血が上った。DBは思い切り男の身体を突き飛ばしていた。もつれる足で、走り出していた。それはまずい、と頭では理解しているのに、そうせずにはいられなかったのだ。
酔いが身体に回っている時に走り出したりしたら。足にスカートがもつれる。心臓がこれでもかとばかりに早打ちする。やばい。やばいんだってば。
それでもすぐに止まらなかったのは、まだ理性が残っていたということか。彼はゆっくり、ゆっくりスピードを落とし始めた。
大きく息を吸って、吐いて。
ガード下のコンクリートの壁にもたれる。白い服が汚れてしまう、という意識は無かった。
頭の後ろでがんがん、と低い音の太鼓が鳴っているみたいだった。
ああきっと明日は二日酔い決定だ。
そのまま彼はずるずる、とその場にしゃがみ込んだ。青白い街灯の光が、目にうるさい。
……どの位経っただろうか。ひどく喉が乾いていた。だが立ち上がる気力も無い。……と言うより、自分がどんな体勢なのかも彼は気付いていなかった。
壁にもたれたまましゃがみ込んでいたはずなのに、いつのまにか道に寝そべっていたらしい。
石畳が頬に冷たくて、気持ちいい。でもついていない方の耳をかすめる夜風の冷たさは、少し寒気すら覚えさせる。
どうしよう、と彼は思った。このまま眠ってしまったら。
思いのほか、自分に今染み込んでいるアルコールは強かったようだ。身体を動かそうという気力が湧かない。このまま眠ってしまったら、風邪を引くだろうか。それとも。
それとも、二度と目を覚まさなくてもいいのだろうか。
ふっとそんな考えが頭をかすめる。それも、いいかもしれない。
ただちょっと、その原因があの男と言うんじゃあんまりかもしれないけれど。
甘い睡魔が彼を再び襲おうとしていた。
……のだが。
ぎゅ、と。
ぐっ、と胸に来る圧迫感に彼は目を覚ました。だが身体はすぐには動かない。
圧迫感はすぐに消えたが、かわりに微妙な刺激が背中を襲った。まだ熱を持っている皮膚は、ちょっとしたことでも敏感だ。
「もしもし?」
女の人の、声だ。彼は沈み込みそうになる意識の中で、そう認識した。その声は続けた。
「……こんなとこで寝てると、風邪ひきますよ」
判ってる。それは判ってるんだけど。
「んー……」
身体が持ち上げられる。
女の人だとしたら、結構強い力だ。彼は精一杯の力を振り絞って、声を出してみる。がくん、と首が後ろに倒れた。
「男!?」
ああびっくりしているな。彼は思った。でもいいや。それより。
「……水……」
唇が、そう動いていた。
「水…… ちょうだい……」
ああ、と自分を支えている女の人の姿がようやく視界に入る。
青白い照明の下でも、よく判る、真っ赤な髪。口元だけが、きゅっと上がった。
「……立てますか?」
彼女はそう訊ねた。そして彼に肩を貸した。
自分よりも背が高い、とぼんやりとした意識の中で彼は感じていた。上げている腕が少し疲れるくらいなのだから。
そして再び襲ってきた睡魔の中で、彼は何となく心地よいメロディが耳に入ってくるのを感じた。
翌朝は自分が何処に居るのか、さっぱり判らなかった。
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