第9話 「普通、って何だろね、P子さん」

「……でもそんな、太かったなんて、想像つきませんがねえ」

「太かったよ」


 短くTEARは言う。


「見たことあるんですか?」

「まあね」


 呑む? と冷蔵庫からビールの缶を取り出し、かざした。

 ありがとうです、とP子さんは手を伸ばす。ほい、とTEARは放る。軽く投げただけなのに、すっぽりと缶はP子さんの手の中に入った。


「相変わらずいい腕」

「まあ筋肉の勝利といえるけど」

「このひとは筋肉、無いですね」

「もともとが筋肉ではなかったらしいからね。そーだね、何つか、がっしり、ではなく、ふわふわしてたから、……それが消えたらこうなった、ってことかな」


 予想がつかない。


「でも結構このひと、バンド歴長いでしょう?」

「ああ、……まあね」


 TEARは曖昧に笑う。


「ま、でもあたしは別に、スリムだからこのひとが好きって訳じゃあないし」

「ずいぶんときっぱり」

「言うさあ」


 缶を開けながら、再びP子さんの前に腰を下ろした。


「だって言わなくちゃこのひとは信じてくれない。言ったってそうそう簡単には信じてくれない」


 そういうものなのか、とP子さんは思う。


「だったらもう、繰り返し繰り返し言うしかないでしょうに」

「けなげですな」

「け」


 ぷっ、とTEARは吹き出しそうになる。


「け、けなげ~?」

「じゃないですか?」

「だって仕方ないだろ。このひとはそういうひとなんだから」


 そういうひと、とP子さんは繰り返す。


「そ。そういうひとなんだよ。あたしが幾ら言葉で言ってもその半分も信じてない」


 彫りの深いまぶたが軽く伏せられる。


「だけど信じたがってるんだけどね。そのあたりのジレンマがひどく苦しそうなんだけど、あたしにはどうすることもできない。だからちゃんとそのギャップを埋め合わせるのがなかなか大変なんだけど」


 だけどまるで大変がっていないように見えるけど。P子さんは黙ってビールを口にした。


「好きなんですねえ」

「そりゃあねえ」


 悪びれもせず、言い放つ。


「だけどP子さんも、最近はそういうひと、居るんじゃないの?」

「へ?」

「好きなひと」

「何でそうなるんですか」


 はれ、と伏せていた目をぱっと開く。違うの? とTEARは問い返した。


「だってこの間あんた、早く帰ったじゃん。違うの?」

「……や、確かに待ってるひとは居たんですが」

「じゃあそうじゃないの」

「だけど好きかどうか、なんて知りませんよ」

「だって一緒に住んでるんだろ?」

「成り行きですが」

「寝てたりするんだろ?」

「それも成り行きですが」

「男? 女?」

「とりあえず一応あれは男のようですが」


 男かあ、とTEARは感心したようにうなづいた。


「何ですか、そんなに意外ですか?」

「意外」


 少しばかりP子さんもむっとする。


「別にワタシだって、人間ですからそういうこともあるでしょう?」

「そりゃあそうだけどざあ。……何かP子さんの横に居るとか、P子さんを抱いてる男、なんて想像ができないんだよねえ」

「それは……」


 そう言えば。ふとP子さんは目線を天井にやる。抱いた抱かれた、の関係で言うと、果たして自分とDBはどうなんだろう、と思う。


「……アナタはどうなんですかTEAR」

「いきなり、聞くねえ」


 聞かれた方は苦笑する。


「好奇心ですから、別に答えなくてもいいですけど」

「別に。聞かれて困るというもんでもない」


 すっぱりとTEARは答える。そのあたりがいつもP子さんは凄い、と思わずにはいられない。FAVだったら絶対正気な時には言わないだろう。


「このひとが、自分からそうすると思う?」


 P子さんは首を横に振った。それも、そうだ。


「そりゃあこのひとから何かしらのアクションをもらえれば、それにこしたことはないけれどさ」

「そうですね。確かに何かしらの反応はあったほうが嬉しいかもしれない……」


 どうだろう、とP子さんは考える。自分に関しては。

 その時には、いちいち頭の中で何かしら考えている訳ではないのだ。


「普通はどうなんでしょうねえ、TEARさんや」

「普通、って何だろね、P子さん」


 TEARはビールを持った手をまっすぐ伸ばした。


「そもそもあたしにしてみれば、今まで男達見てきてそっちの対象に思えたことがないから、その感覚が判らないんだよね。好きな相手は必ず、守ってやりたい、と思ってしまうほうだから」

「ああなるほど」


 ぽん、とP子さんは手を叩く。


「だいたいいつも、ほら、中学くらいから急にでかくなったし、それでいて結構腕っぷしも強かったからさ、頼られる方が多かったし、その方が気持ち良かったし。逆に男に頼るってのは、何か…… 気持ち悪かったしなあ」

「ふむ。それは判らなくもないですね。ウチも母親がそういうタイプですな」

「おかーさんが? へえ。ウチは逆だね。誰かしら頼っていないと気が済まない、って感じだよ」

「アナタのおかーさんが!」


 意外である。しかし、よく考えてみると、そういう母親を見ていたから、逆の考えになってしまったとも考えられる。


「うちの母親はねえ、……うん、あたしから見ても、何つーか、守ってやりたくなるタイプだね。だから最初の親父がいなくなってから」

「ちょっと待て」


 何やらまた物騒な言葉を聞いたような。


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