第925話 領主への信頼

馬上の人となり一路クラスク市へ。

ラオクィクとエモニモ、ゲルダの三人と随行する兵士達が、街道を通り西へと向かっていた。


「おー、領主さまだ」

「領主さま!」

「ラオクィク様!」


畑で仕事をしている農夫……厳密には農作業従事賃金労働者だが……たちが、道行くラオクィクに声をかけ頭を下げる。

ラオクィクが片手を上げて応えるとおお、と歓声が響いた。


「後ろのお二方が領主さまの御内儀か」

「だいぶその…大きさに差があるなあ」

「エモニモさまは大丈夫なんだろうか、あれ」

「あれってなんだよ」

「そりゃお前あれっつったら……」


小声で囁き交わし、口々に噂する。

まあ確かにそういう話題になりそうなサイズ差の二人ではある。


それと同時にこれはオーク族が支配する領土の特徴のようなものでもあった。

街に住み暮らすオーク達が日常的にその手の話をするためか、住民に性的な話を忌避感が薄いのである。


「オ前達モ作業一段落シタラクラスク市ニ来イ。今日ハダカラナ。後ニ回セル作業ハ後ニ回セ。天気ガ問題ナラ魔導学院ニ頼ンデヤル」

「ハイ! ありがとうございます!」


賃金労働者をまとめているらしき者が一礼すると、ラオクィクは背後に合図して行軍を止めさせ、彼の前に馬を進めた。


「祭リ色ンナ店出ル。今日ノ給金少シ上乗セシテヤレ」

「…わかりました!」


わっ、と歓声が上がり、気前のいい新領主さまを歓呼で讃える作業者たち。

遠くにいて声が届かぬ者達も、話を伝え聞いて小躍りして彼を称えた。


ちなみに魔導学院に相談、というのは天候に関する話である。

魔術が発達した世界に於いて魔術に求められるもの、といえば情報収集の於ける占術などがあるが、人類が発展するに於いて天気・天候に関するものもまた強く魔術に求められてきた。


こうした魔術は精霊魔術の十八番で、〈降雨イェイスッミヴ〉や〈快晴セイアイェヴ〉といった様々な魔術が中位程度の呪文で利用可能である。

だが世界の解析を目的とする魔導術に於いても、当然天候の解析と創造などが模索され、〈天候操作クィグライム・ケクヴェス〉という呪文が開発されている。


精霊魔術の各呪文に比べると変えられる天気はおおざっぱだし高位魔術のため扱える者はより少ないけれど、かわりに晴れから嵐まであらゆる天候に変化させられるのが〈天候操作クィグライム・ケクヴェス〉の強味である。

当然農業が盛んなクラスク市の魔導学院学院長であるネッカはこの呪文を修めており、予算さえ計上されれば街の周囲の天候を変動させる事ができるわけだ。

ラオクィクが言っているのはこのことだろう。


「ふーん、やるじぇねえか」


背後で手を振る作業者達に手を振り応えるラオクィクに少し感心したようにゲルダが呟く。


「そうですね。理想は領土全体の生活の質を底上げする事ですが、こうした人気取りも重要です」

「計算してやるもんなのか。こえーな領主サマってなあ」

「姉様もその一端なのですが」

「そーだった!」


エモニモにやんわりと指摘され、がびんとした表情で凍り付くゲルダ。


「全然ダ」


だが行軍を再開したラオクィクの表情はやや憮然としていて、だいぶ御不満の体である。


「何が不満なんだよ割と人気あんじゃねーか」


後方を親指で指しながらゲルダがぼやく。


「アレ俺ノ人気違ウ。クラスクノ人望ダ」

「「!!」」


だがラオクィクの台詞にゲルダとエモニモがぴくんと反応し互いの顔を見合わせた。


「そう、ですね。それは多分にあると思います」

「けどそりゃしょーがねーだろー。それ抜きっつーのはちょっと考えられねーぞ」

「ワカッテル」


クラスク市を中心としたこの近辺の発展は全てクラスクの力がもたらしたものだ。

彼の指導力、個の武力、そして何よりもこの地方全土に響き渡る勇名。

その信頼と信用があるからこそ、領主ラオクィクは受け入れられている。


無論彼自身の武名も十分に高い。

クラスクとその妻女たちを除けばトップクラスに高いとすら言える。

だが……それでもやはり住民の多くはこう考えているはずだ。



『あのクラスク様が任命なされたのなら大丈夫だ』と。



いざ人を、土地を治める立場に立たされたことでラオクィク自身それを一番痛感しているのだろう。

だがゲルダの言うことももっともではある。


この街の、この地域の成り立ちはそもそもクラスクなのだ。

そうでなくばオーク族が支配する土地に皆がこぞって集まるはずもない。

ゆえに彼の影響をなかったことになどできようはずもないのである。


「まあそこはおいおい改善してゆくしかないでしょう。私達も協力しますから」

「頼ム」

「私達ってあたしも入ってんのかよ」

「当り前です。妻なのですから夫を助けるのは責務でしょう」

「そりゃー構わねえけどさー。あたしゃラオと並んでこーゆーのが苦手なクチだぜ。エモニモはなんか慣れてる感じがすっけど」

「……それはまあ、これでも元貴族ですからね」

「「オオー」」


エモニモの嘆息しながらの台詞に瞳を輝かせる二人。


「よっ! 神様ミエ様エモニモ様っ!」

「マジ助カル。アー、女神リィウーノゴトキ……ナンダッケ?」

「二人ともやめてください! 特に姉様のはなんですかミエ様って!!」

「えーだって最近流行りの祈りの文句じゃんよ」

「それミエ様が聞いたら怒りますよ……?」

「そりゃ怖え」


そう、ミエの名は今やこの地方全土に広まっていた。

なにせ魔族に出会った時その人物に祈りを捧げると相手が怯えて逃げて行ってしまうのである。

まるで不死者どもを相手に神に祈りを捧げたが如くである。


お陰でミエの名はすっかり祈りの文句になっていた。

言わば聖言、聖句のたぐいである。


お陰でクラスク市も、彼女を妻として迎えている大オーククラスクの名もますます高まる結果となった。

まあ当の本人はなんでそんな事態になったのかさっぱり理解できず頭を抱えているのだけれど。


「それよりあたしゃこの服が邪魔っけだよ。どーにかなんねーのかこれ」


さて、憮然とした顔でそんなことを呟くゲルダはいつもとは……もといとはだいぶ様相が変わっていた。


なにせ今日の彼女はドレスを着ている。

いわゆる上半身がぴっちり、下半身がふんわりした上質な絹の、貴族が纏うドレスである。


色は基本が白で宝石もあしらわれた上質なものだが、一部のラインに彼女のイメージに合わせた瀟洒なあかが使われており、それが全体的な印象をより攻撃的な、というかやや妖艶なものにしている。

一言でいえば色っぽいドレス、といったイメージだろうか。


ただし厳密にはゲルダのそれは通常のドレスのように上半身にぴっちりとフィットはしていない。

なぜなら華奢な貴族の女性に比べ彼女の肢体カラダは頑丈かつ筋肉質で、身体のラインをそのまま強調してしまうとどちらかと言えば男性的な、筋肉質な肉体美が強調されてしまうからである。


まあ無論そうした趣味の相手への需要もあるにはあるのだろうし、特に夫であるラオクィクには刺さるのかもしれないけれど、もし貴族らしく、という命題が与えられたとするなら落第点は免れまい。


ゆえにそのドレスはゲルダの上半身をゆったりと覆い隠し、その肉体を際立たせぬよう気を配りながらできる限りの上品さを醸し出すような、そんな造りとなっていた。

巨人族の血を引くゲルダの身体の造りを相当理解している者の縫製である。


ただその胸元だけはやや開いており、彼女の豊かな……というか暴力的な胸の谷間が協調されその色気を増す結果となってしまっているが、これはどちらかというと彼女の肉体を無理矢理ドレスの下に抑え込んだ反動を誤魔化すための苦肉の策である。


「ぴっちり作ってあっから好きに動けねーし。このヒラヒラも邪魔だしさー。この足んとこビリビリ引き裂いたらダメかなーこれ」

「ダメに決まっているでしょう」

「ならせめてもうちょっと動きやすい感じでさー……つーても難しいか」

「ですね。エッゴティラさん今やすっかり有名人になってしまって…目も回るような忙しさだそうですから」


人型生物フェインミューブ以外の相手の衣服という事にかけて、服飾職人エッゴティラに勝る者はこの地方には存在しない。

まあそもそもクラスク市以外ではそうした需要自体が存在しないのだから当然なのではあるが。

また人型生物フェインミューブの服であっても彼女のデザインしたものは王国貴族の間で人気が高くなって、予約だけで半年先まで埋まっているという話である。


ゲルダのドレスも当然彼女がデザインしたものだ。

手直ししたくとも相当な期間待たされることになるだろう。



諦めて深いため息をつき、気を取り直して再び馬上で揺られていたゲルダは、街道を進む中途、畑で仕事している少年と目が合った。


ラオクィクに与えられた領地とはいえ大きく見ればクラスク市の管轄であり、基本方針には従わねばならぬ。

ゆえにこの街にも義務教育は適用されていて、学校もあれば授業もある。

その少年も当然そうしたものは受けているはずだ。


だがこの世界ではその年齢の子供は労働するのが常識である。

人口が少なく機械化が進んでいないこの世界では、子供であっても重要な労働の担い手だからだ。


クラスク市も子供に対する義務教育は課しているけれど、特段子供の労働を禁じてはいない。

ゆえに彼もこうして働きに出ているのだろう。



そんな少年が、馬上のゲルダと目が合った。

ゲルダは領主の妻の務めやらなにやらとエモニモに言われたことを思い出し、少年ににこりを微笑みかけて手を振った。



人間族ファネムの大人よりなお大きな女性。

白いドレスを纏った妖艶な娘。

大きな馬にまたがる勇壮で凛々しい女傑。

そんな女が、少年に手を振り微笑んでくれたのだ。






ゲルダ自身は己の姿がもたらすものに気づいていないけれど……

その日、少年の性癖が破壊された。






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