第922話 (第二十章最終話/第五部完) 激闘の後で
「バカな……バカなバカなバカなバカなバカなバカなバカなバカなバカな……っ!!
その巨躯を十字に断たれ、それでもなお魔族は口を開いた。
だがもはや誰の目にも明らかだった。
それは最後の叫び。
断末魔の呻きに他ならないと。
「負ける? 死ぬ? この私が滅びる? なぜだ、なぜだ、なぜだなぜだなぜだなぜだなぜだなぜだなぜだなぜだなぜだなぜだ……っ!」
かの赤竜を前にしてすら冷徹でいられた『旧き死』の、それはおそらく生涯で初めての動揺であり、動転であったろう。
それほどに彼は己が置かれた状況が理解できていなかった。
「何故カ? そんナノ決まっテルダロ」
どんが、と己の大斧を地面に叩きつけ、疲れ切った己の身体をその柄で支えながら、それでもなお目の前の敵に気を抜かず立ち尽くすクラスクが告げる。
グライフの真の敗因を。
「お前ウチノ街手出シタ。俺の嫁狙っタ。許せナイ」
「
もはや正気を保てない。
もはや知性を保てない。
永きにわたりこの地方に巣食い、暗躍してきた高位魔族の一角、八体の魔族個体固有種が一、旧き死…グライフ・クィフィキの最期である。
「ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!」
断末魔の叫びと共にその肉体が崩れゆく。
被害が甚大すぎてもはや自らを破裂させ≪瘴気爆発≫を引き起こす余力すらない。
まるで乾いた泥粘土のように、ぱさぱさと。
その肉体が表面から剥がれ落ち、塵となって消えてゆく。
そうして……人も、魔族も。
周囲の者共が呆然と見守る中で、その黒い塊は細かく砕けて風に吹かれ消え失せた。
「やった、のか……?」
荒鷲団の魔導師ヘルギムが目を見開いてそう呟く。
伝承に語られる域の高位魔族を、自分達の手で斃してのけたことが未だに信じられないのだ。
まあ無理からぬことだろうが。
しばし戦場を静寂が支配する。
それを打ち破ったのは……クラスクの雄たけびだった。
「ウオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!」
「うおっ!? なんだなんだ!? ん……? あー!」
突如大声で叫ぶクラスクに度肝を抜かれたオーツロだったが、クラスクが激情に駆られたわけではなく、人差し指でグライフが消えたあたりをちょんちょんと差すのに気づきすぐその意図を察する。
そして同時に彼もまた大声で叫び声を上げた。
「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」
「なんじゃなんじゃ! やかましい!」
ヘルギムの抗議にも耳を貸さず、二人は大声を上げ続け周囲の注目を集める。
そして…
「クラスク市太守! 大オーククラスク!!」
「荒鷲団団長! 剣士オーツロ!!」
「我ら!」
「高位魔族たる『旧き死』グライフ・クィフィキを!!」
「「討ち取ったりいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!!!」」
二人の叫びが静寂の中に響き、戦場が静まり返った。
だが……やがて地面を揺らすような大きな叫びが
「マジか……マジか!」
「嘘だろ……!?」
「やった、のか……?」
「やった……! やったぞ!」
「あの『旧き死』を! 勇者たちが!!」
「クラスク! クラスク! クラスク! クラスク!」
「オーツロ! オーツロ! オーツロ! オーツロ!」
「ミエ様の! 全部ミエ様のお陰だ!」
……何やら妙な雑音が入っている気もするが、ともかく二人の名とその成したる偉業がまたたくまに周囲に広がってゆく。
それは
あの『旧き死』すら敗北した。
滅んでしまった。
やはり駄目だった。
無駄だったのだ。
我らはミエ様には敵わぬのだ。
…クラスク達が考えているのとは些か異なる理由で、だがともかく魔族どもは自分達の敗北を認めた。
そして直後に全軍で一糸乱れぬ撤退を敢行し、ドルム包囲網を解いて北の森へと次々に消えていった。
ドルムが誇る精強な騎士団と、次々に西方より馳せ参じた
ともあれ戦場からは魔族どもが消え失せて、周囲の危険はなくなった。
それと同時にオーツロの身体がぐらりと揺れて、そのままどうと仰向けに倒れ地面に大の字に寝っ転がった。
「ぐあああああああああああ! きっつい! マジきっつい! これ以上一歩も動けねええええええええええええ!!」
「そんナニキツイノカ」
「あったり前だ! 俺の≪スキル≫は魔力は使わねえかわりに命そのものを削ってんの! ヒットポイントの上限を一時的に消費してるようなもんなんだぞ!? 居合で消費減らしだってこんな長時間はもうマジもたないっつのの!!」
「ひっと? ぽいんと?」
オーツロの言っている事はよくわからなかったが、ともかくきつそうだということだけは伝わった。
クラスクもまた斧に体重を預けつつ少々ふらふらしており、気を抜けばそのまま倒れそうだったけれど、彼の方はまだ倒れるわけにはいかなかった。
大事な仕事がまだ残っているからである。
少し足を引きずりながらゆっくりと歩く。
己の背後、自分達をずっと援護してくれていた術師達……その一人、愛する妻の下へと。
「ネッカ」
「クラ、さま…」
クラスクも満身創痍だがネッカもまた酷いありさまだった。
無防備にぶつかられ踏み潰された事を考えればむしろクラスクより重症やもしれぬ。
これで呪文詠唱ができるのはひとえにドワーフの頑健さゆえだろう。
彼女は間違いなく『ドワーフ族は魔導師に向いていない』というレッテルに対する強い反証の一石となって語り継がれることになるだろう。
ネッカは荒い息を吐きながらゆっくりと杖を下ろす。
最後の最後まで、とどめを刺したその後ですら彼女は気を抜いていなかった。
高位魔族規模の≪瘴気爆発≫を警戒してのことだ。
だがその心配ももはやない。
ネッカはようやく僅かに肩の力を抜き、疲労で落ちくぼんだ瞳で愛する夫を見上げる。
「よくやッタ。助かっタ」
「とんでもないでふ。クラさまのお役に立てて、ネッカ、嬉、し……」
そしてねぎらいの言葉を受け止めたその直後、ずず、とその上体を傾け、そのまま地べたに倒れ込もうとする。
だがクラスクはそこに素早く手を伸ばし抱き留めて、ゆっくりと地べたに下ろしてやった。
直後に彼女に口から寝息が聞こえてくる。
既に厳戒だった……というか、当に限界を通り越していたのだろう。
「これだけの重傷を負っていながら平気で寝入るとはの。呆れた頑丈さじゃ」
「自慢の嫁ダ」
ヘルギムの皮肉とも賞賛とも取れる台詞にクラスクは真顔で返す。
そしてその視線を彼の隣の聖職者フェイックと向けた。
端正な顔立ちと言われるフェイックだったが、今の姿は土と泥と誇りにまみれ、到底美女と呼べるような代物ではなかった。
まあそもそも男なのだが。
「治療デキルカ」
「無理ですー。もう魔力もすっからかんで。回復用のポーションもとっくに尽きてます……!」
「ソウカ」
ならば仕方なしと、遂に膝に来たクラスクがどっかとその場に腰を下ろし、尻餅をつくように座り込む。
「これまで助かっタ。礼言ウ」
「いえいえ、ただ生き延びるために必死だったもので」
「言ってやれ言ってやれ。こやつの我が儘に巻き込まれたのじゃぞ、わしらは」
「言われてみりゃあそうだ」
フェイックとヘルギムの台詞に賛同したのは、エルフの魔法剣士ヴォムドスィに肩を貸し合流した盗族スラックスである。
「こりゃあたんまりと報酬をもらわんとやってられないって話だよ」
「ソウダナ。クラスク市に来たら報酬支払ウ」
「マジか。言ってみるもんだなあ」
「マジで! 行く行く! そこのドワーフの子以外にもいんだろ! お前の嫁! 会いてえ!」
「お前ハダメ」
「なんでだよー!? 俺りーだーなんですけどー!!?」
オーツロの叫びに荒鷲団の面々が苦笑して……
そしてクラスクが、大きく伸びをしながら嘆息した。
「ヨシ、一息ツイタラ街に帰ルカ!」
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