第921話 最後の攻防

クラスクの斧がグライフの左肩に突き刺さる。

左腕で受け止めたものの〈小解放ヴェオラクィポク〉の勢いに負け、その肩に受けてしまったのだ。


それはその魔斧に対して許してはならぬ攻撃。

なぜなら傷を受けるということは出血するということ。

出血するということはその斧に血を啜られるということ。


そして……血を啜られるということは、クラスクがその血を『解放』しさらならるダメージを与え得るということ。


逃げられぬ。

そこから逃れられぬ。

グライフはこの地に縫い留められた。


巨大な何者かに踏み潰されたかのように左半身をズタズタにして。けれどその激痛の中にあってさえ詠唱を過たず完遂し、儀式魔術によってグライフをこの地に留め置いているドワーフの魔導師、ネッカ。

これが魔族どもにとってミエと並ぶもう一つの完全な計算外だった。


ミエほど予測不能ではないが、彼女はこれまで二度、魔族の予測を裏切っている。

計算高く打算的な魔導師がクラスクと共に脱出路のないドルムに同行するはずがない。

魔族は愛情と親愛が理解できぬためそれを読み誤った。

これが一つ目。


そもそも研究に打ち込む魔導師が誰かを愛し強く結ばれるということ自体が稀有なのだ。

魔導師たるネッカに、だから彼らは魔導師然とした行動と思考を当て嵌めてしまっていたのだ。


そして戦場に自ら飛び込んで危険極まりない高位魔族たるグライフを執拗に着け狙い、儀式魔術まで用いて彼をこの地に縫い留めた。

これが二つ目。


魔導師として考えた場合、自ら危険に飛び込むことは悪手も悪手である。

避けられる手段があるならなおのことだ。


そして仮にそうせんと戦場に赴いたとしても、彼女の取った手段で魔導師が儀式魔術を行使できるかというと答えは否だ。

鍛えていない魔導師なら最初に魔族に踏み潰された時点で絶命しているはずだからである。


さらにもし運よくそこを生き延びたとしても、今度は激痛のあまり腕が動かず動作要素が満たせず、精神集中もできず、血を吐き喉を詰まらせ音声要素すらも満たせない。

その上詠唱時間の長い儀式魔術である。


そんなもの誰が見たって呪文消散ワトナットしてしまう。

そのはずだ。

そうなるはずだった。


けれど彼女はそうはならなかった。

耐久度の高いドワーフだから耐えられた。

愛のある娘だったから魔族の予測を覆すことができた。


ただもしそんな魔導師が他にいたとしても、彼女ほどの大魔導師になることはなかっただろう。

なぜならそんな魔導師に出資しようなどという酔狂なパトロンが現れることなどまずありえないからである。


だからクラスク市だけだ。

なんにでも興味を持つミエと潤沢な資金を運用できるアーリ、そしてそんな彼女を愛してくれる夫クラスクの組み合わせの下でのみ、彼女は大成できた。


そしてそんな彼女だからこそこの戦場に於いて高位魔族の足止めという埒外を実現してのけて、そして今まさに彼女の夫がその魔族に刃を突き入れている。


小解放ヴェオラクィポク!」


がづん、と斧の圧力が強くなる。

グライフの鋼鉄の刃すら弾く硬い外皮の上から更に斧刃がめり込んで、激しく出血した。

そしてその血は即座に直上の斧に吸い込まれ……


小解放ヴェオラクィポク!!」


その斧のさらなる加撃の端緒となる。


だがその斧を止める事はできぬ。

『叛逆』の曰くによって力場を破壊できるその斧は、今のグライフには完全に止めきる事ができぬ。

『力場』はある意味その斧以上に危険な、オーツロの光の刃を止めるため、彼の腕の軌道を邪魔する形で設置されているからだ。


小解放ヴェオラクィポク!!!」

「ぐ、が………っ!」


めきり、と斧がさらに食い込んで、地面を噛んでいるグライフの足が荒れ地にめり込み小さなクレーターを生んだ。

だがまだ耐えられる。


耐えられる以上対策を考えねば。

まだ片手で放つこの威力なら……



……片手で、放つ?



グライフはハッとしてクラスクの左手を見た。


宙を舞った聖剣魔竜殺しドラゴン・トレウォールは幾度か空で回転し、勢いをつけてグライフの直上から直滑降で降って来た。


咄嗟に上体をずらし、脳天でなく肩口でそれを受けるグライフ。

聖剣の祝福された刃が深々と突き刺さり、激痛に歯を強く嚙合わせた。

だがそれでもその力場を消すわけにはゆかぬ。

最も危険なオーツロの攻撃を押しとどめているその力場に……



その力場に、クラスクが、手を伸ばしていた。


「ア…………………」



肩に突き刺さる斧の痛みと圧力に押されながら、グライフは今更ながらに思い出す。



クラスクの斧がその形を変じる前、時を止める前、そしてグライフが正体を現す前。

力場ひとつに苦戦していたクラスクがその対策を取っていたではないか。


物質への『破壊』の概念を込めた手袋だ。

その手袋で触れた力場を砕いていたではないか。


使用制限は一日三回。

使用したのはこれまで二回。


そう、


「ヤ、メ、ロ………」


クラスクがそのままオーツロの腕の先、何もない空間に手を伸ばして……


「ヤメロヤメロヤメロヤメロヤメロヤメロヤメロヤメロオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!」


そこに、そっと手を触れた。


「ウオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!」


がくん、がっくん、ザシュッ!


オーツロの叫びと共に≪気煌剣≫が遂にグライフの右肩に食い込んで、そのまま一気に斬り下ろされる。

物理障壁も身体部位による受けも硬い鱗による装甲も一切を無視して、生命力を刃に変えたその光の刃がグライフの右肩を両断し右腕を斬り飛ばした。


小解放ヴェオラクィポク!!!!」


その勢いで上体が右によろけたグライフだったが、クラスクの斧による一撃で無理矢理逆方向に叩きつけられ、その勢いで左腕を斬り飛ばされる。


よろ、よろ、よろり。

よろよろ、よたり。


両腕を斬り飛ばされたグライフはそのまま数歩後ずさり、なおも己が転移を封じる結界の上にいることに、未だ死地から脱していないことに気づく。


なぜなら……

なぜならグライフが後ずさったことで間合いが開き、クラスクが即座に己の最大の奥義を解き放ったからだ。


血の余剰は十二分。

グライフの両肩からあふれ出た血は全てクラスクの斧へと収束し、その柄をまたたくまに赤黒く染め抜いていた。



大・解・放ヴェオラクィポクライカ!!!!」



グライフの頭上に禍々しく赤黒い巨大な斧が生まれ、吼える。

それは狙い過たずグライフの真上から振り下ろされて、彼を脳天から唐竹割りにした。


「「ウオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!」」


だが終わらぬ。

まだ終わっていない。


その巨大な血斧の刃は、グライフの頭上から突き刺さり彼を左右に切り開いたが、

その胴体、腰のあたりで刃が止まったままだった。

まだこの一撃ですら殺し切れていないのだ。


ゆえにその一撃が決まるか決まらぬかわからぬ内から、二人は既に全力で駆けだしていた。

クラスクとオーツロである。


「来イ!!」


クラスクの叫びにグライフの肩口に突き刺さっていた聖剣がすぽんと抜けて喜び勇んで彼の左手の内に飛び込んでくる。

それをがっしと掴んだクラスクは、剣と斧を左右に持って、血染めの大斧が突き刺さっているグライフの胴体に同時に突き入れた。


「背中借りるぜ!」

「ワカッタ!」


彼の背後から小さく跳躍したオーツロが、クラスクの背中を足場に大きく跳躍する。

その時クラスクの背の筋肉がぼこんと盛り上がり、彼を当人の予測以上の高さまで跳ね上げた。


「だけーよ!!」


軽口を叩きながら、だが大勢を崩すことなく、一度収めていた刃を再び抜き放つ。

生命力はギリギリ。

振るえてあと一太刀。

だがオーツロは最後まで一切手を抜くつもりはなかった。


「フンッ! ヌヌヌヌヌヌヌヌ……!!」


そして同時にクラスクがグライフの胴体に埋め込んだ二本の刃でグライフを左右に斬り裂かんとする。

だがその肉の厚みと硬さは凄まじく、特に物理障壁を突破できぬ右手の斧が脇腹を裂き切れぬ。


「〈解き放て! お前の思うがままにアイトック・アエイ・キュー・イラクィポク!!〉」


クラスクは叫ぶ。

魔導語で叫ぶ。


合言葉ギネムウィルでも何でもない、それはだった。

己の斧に対する呼びかけであった。


グライフに突き刺さった巨大な鮮血の大斧が、その血の刃がクラスクの手にした斧にみるみると吸い込まれてゆく。

そしてそれと同時にクラスクが手にした斧が真っ赤に肥大化していった。


それはちょうど〈小解放ヴェオラクィポク〉による斧の肥大化に似ていた。

小解放ヴェオラクィポク〉による肥大化が、〈大解放ヴェオラクィポクライカ〉が如き巨大なサイズになった、と言えば一番近いだろうか。


「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!」

「≪気・煌・剣≫!!」







そして二人の刃が大魔族を縦と横へと斬り裂いて……

個体固有種たる『旧き死』グライフ・クィフィキが、断末魔の叫びを上げた。






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