第917話 違和感

わからぬ。

わからない。


クラスクの斧から受ける痛みと、周囲から聞こえるミエの名が心を苛み、グライフは冷静な思考が困難になっていた。


ただそれがおかしなことだけはわかる。

なぜ高位魔族たる己の、魔術結界が貫通され、転移を阻害されているのか。

それだけは、明らかに、おかしい。


そもそもが人型生物フェインミューブが唱えられる最大位階の呪文をさらに魔術補助呪文等で強化しても彼の魔術結界を貫通する事はできないはずだ。


もちろん何事にも例外はある。


その例外について説明するためには、少々回り道になるが召喚術のいろはについて語る必要がある。


ドルムへの食糧輸送の際に少し触れたけれど、召喚術の大きく分けて二種類ある。

怪物そのものではなく影法師のようなものを呼び出すことを『招来』、怪物の実体を直接呼び出すものを『招請』と呼ぶ。


『招来』とは怪物のイデア…ざっくり言えばデータ、つまり情報を呼び出す呪文である。

データだけ呼び出すので召喚時の負担も少なく、開ける次元門も小さくて済むため魔力もさほど(後述する『招請』に比べれば、だが)かからない。

ただ当然ながらデータだけでは戦闘できないので、術師が己の魔力でそのデータのための肉体を生成する。

これが『招来』と呼ばれるタイプの呪文である。


メリットは己の魔力で生み出したものであるため自殺的な命令だろうと術師に絶対順守であること。

いくら死のうが所詮データのみの存在であり、怪物本体は一切傷つかぬため使いべりしないことだ。


デメリットは己の魔力が制限となるため強力な怪物を呼び出せぬこと。

あくまで己の実力未満の怪物しか呼べぬのだ。

その特質から『招来』効果は比較的弱いモンスターを複数体呼び出し戦わせることを得意とする。


一方で『招請』は本物をその場に呼び出す呪文だ。

実体を召喚するため次元の門も大きくならざるを得ず、魔力消耗も多い。


メリットはとにかく強力な相手が呼び出せること。

通常の呪文があくまで己の魔力や実力の範囲内の効果しか発現できないのに対し、『招請』の場合己の実力を大きく超えた存在を呼び出す事が可能となる。


なぜなら『招請』で術師が行っているのは門を作るところまでであり、対象の実力は術師の魔力と全くの無関係だからである。

魔術師が唱える呪文系統の中で数少ない、己の実力を越えた結果をもたらす可能性がある呪文なのだ。


サフィナが女神を呼び出した例の聖跡呪文テグロゥ・トゥヴォールもまた『招請』呪文であり、定命の身でありながら人知を超えた奇跡を為すことができたのもその理屈である。


一方でデメリットの方ははっきりとしている。

呼び出した相手が本物であるがゆえにもし戦闘中に死んでしまえばそれっきりであり、取り返しがつかぬこと。

そしてことだ。


それはそうだろう。

呼び出す対象の実力が術師を大きく上回っているかもしれないのはその存在が術師の魔力や実力と全くの無関係だからである。


となれば当然その対象は術師の命令を聞く理由もなければ義理もないということになる。

招請魔術自体に相手を支配し言うことをきかせるような呪文効果はないのだから当然だろう。


それどころかそもそも門を開いたからとて相手がそれをくぐってこちらにやって来てくれるかどうかすらわからない。

最悪の場合門を通ってやってきてはくれたけれど勝手に呼び出した術師を不遜だからと殺害して帰ってゆく、などといったケースすらあり得るのである。


そうならぬために行うのが『契約』である。

よく召喚呪文を唱える際詠唱の中に『●●の契約に従いて~』とか『○○の盟約に基づいて~』のような文言が含まれている事があるが、要はこれのことだ。


つまり『招請』系統の呪文は戦闘時に呼び出す前に事前に一回(相手によってはそれ以上)同じ呪文を唱えて対象を呼び出しておき、そこで契約内容をあらかじめ詰めておくのである。


例えば『お前の種族は金に目がないから次以降に呼び出した時一緒に戦ってくれたら相手の強さに応じて金貨を支払う』とか。

『お前達の種族の不倶戴天の敵と事を構えることになった。奴らと戦う時だけ呼び出すのでぜひ協力して欲しい』とか。


そんな風に相手と事前に約束を交わしておいてから一度帰ってもらって、戦闘中に改めて呼び直すわけだ。


だがこの契約にもやはり問題がある。

召喚魔術自体にはこれまた交渉を有利にする効果はないからである。

勝手に呼び出されて怒り狂った相手に交渉する前に襲い掛かられるリスクもあれば勝手に元の世界に帰られてしまうリスクもある。


せっかく高い魔力を払っておいて空振りは困る。

襲い掛かられたらさらに困る。

せめて相手が拒絶するにせよ受諾するにせよ、交渉が終了するまではその場に留まってほしいし、こちらの身の安全も確保しておきたい。


そこで、魔導師は結界を張るわけだ。


呼び出した場所に相手を閉じ込め、外に出られぬようにする結界。

さらに単に物理的な移動を妨げるだけでは駄目だ。

瞬間移動系の妖術などを使われて結界を簡単に抜けられてしまう恐れもある。

次元間移動も阻害しておく必要がある。


次元錠ツェック・カヴェヲクヴィヲフ〉などの次元間移動阻害系の結界呪文は、元来そのために開発されたものだ。


だが呼び出す対象が術者の手の届く範囲の強さならいい。

けれどもし交渉相手が神の英雄神やら強大な魔族といった、定命の存在が普通に唱えた呪文では届き得ない相手の場合、それでは足りぬ。


『招請』の特徴である『自分の実力より強い相手でも呼び出せる』を突き詰めた場合、そうした存在相手に交渉しようとする事も考え得るからだ。



そして……魔導術にはそうした際の突破口がある。

『儀式魔術』だ。



非戦闘時に十分かつ入念な準備を整えられる儀式魔術であれば、たっぷり時間をかけて通常では考えられぬほどの強力な結界を張ることができる。

次元錠ツェック・カヴェヲクヴィヲフ〉などをはじめとする次元間移動を阻害する魔術などもまた同様だ。


…話が少々横に逸れてしまったが、こうした儀式魔術規模の呪文であれば確かに高位魔族たるグライフの魔術結界にも届き得るかもしれない。


だが、それはあくまでできる手段が存在する、というだけの話だ。

儀式魔術は足りぬ魔術と長い詠唱時間を複数の術者が共同で補うことで定命の術者では届き得ぬ魔術の高みを実現させる魔術である。

最も短いものでも複数の術者で十分以上の詠唱が必要だ。

そんなものを戦場のど真ん中で唱えようなどと狂気の沙汰でしかない。



このような危険な戦場のただ中で、そんな被害、を……

そこまで考えたところで、グライフは一瞬思考を止めた。




なにかが、なにかがおかしいい。

なにか、重大な何かに気づけていない。


周囲からとめどなく届くミエの名を叫ぶ声。

腕と肩に走る痛み。

それらが思考を乱し、考えがまとまらぬ。


まず断言はやめるべきだ。

どんな些細な可能性でもいったんあり得ると仮定するべきだ。


まずこの結界である。

高位魔族である己を繋ぎとめているのだから通常の高位魔術まででは説明がつかぬ。

これを儀式魔術であると仮定してみよう。


儀式魔術を詠唱するためには魔導師が複数必要だ。

確かにこの周囲にいるのは冒険者ども。

パーティーに一人ずつ魔導師がいるだろう。


だがここは戦場である。

大規模な戦闘が行われている。

そんなところに安全な場所など……



……ある。

だ。



グライフは他の魔族に邪魔させぬよう他の魔族どもを遠ざけていた。

広範囲の妖術や魔術は他の魔族を巻き込みかねないし、せっかくの己の手を下す戦いに余計な邪魔をされたくなかたからだ。


だからこの戦いの間、グライフを中心にその周囲にほとんど人影はない。

だがそれでも先刻までであれば問題なかった。

魔族のいないエリアに辿り着き一息でもつこうものならグライフから攻撃系の妖術が飛んで簡単にその命脈を断たれていた事だろう。


けれど今のグライフはクラスク達の相手で手一杯となっている。

つまりが、グライフの周囲の空白地帯、その外縁部に出現してしまっているのだ。


グライフはハッと周囲に視線を走らせた。

いる。

確かに防御に手いっぱいな冒険者達の中が、彼が魔族を近寄らせぬよう敷いたエリアの縁にいくつもある。

そして彼らのパーティーに於いて、魔導師だけが戦闘に参加せずこちらを目視しているではないか。



参加……していない?



そこでグライフあ今更ながら先ほどの違和感の正体に気づいた。

『荒鷲団』の構成員についてだ。


回復と補助魔術を延々とかけ続け視力の限りを尽くし前衛をサポートしている聖職者フェイック。

瀕死の重傷を負いながらその特異な魔術でグライフにたびたびちょっかいをかけてくる魔法剣士ヴォムドスィ。

こちらの詰めの一手をその瞬間見事に邪魔してのけた盗族のスラックス。

光る刃で己の物理障壁を突破してくる彼らのリーダー、オーツロ。






……






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