第910話 全てが消えるわけでなく

「ン……ムニャムニャ……ナンダベカ……」


角魔族ヴェヘイヴケスとの激闘に敗れ倒れていたワッフがゆっくりと目を覚ます。

体の節々が痛むけれど、逆に痛みがあるということはまだ痛みを感じる肉体があるとういことで、少し安心する。

このあたりの感覚は徒に戦いを好まぬとはいえ彼も立派なオーク族の証であろう。


「おー…無事でよかった」

「オオ、サフィナ……!」


瞼を開けると目の前には最愛の妻サフィナの姿。

抱きしめようと手を伸ばそうとするも腕が震え上手くゆかぬ。

だがその伸ばそうとした指をサフィナがそっと手に取って、己の胸に当てた。


「あーいいですねああいうの。私も旦那様とやりたーい……」


クラスクがいないせいでどこかしょんぼりしたミエが呟く。


「だがそうするとクラスク殿が満身創痍の重傷ということになるが、それで構わんのか」

「それは困りますー!?」


キャスの真顔のツッコミに思わず叫ぶミエ。


「もしわたくしがおそばにおりましたらクラスクさまをそんな状態には致しません」

「ですよね!」


きっぱりと言い放つイエタ。

嬉しげにうなずくミエ。


「しかし世界樹ですかー。うちの街の名物がまた増えちゃいますねえ」


事情を聞いたミエがなんとも暢気な感想を述べた。


「名物と言ったか」

「だって生えちゃったものはどうしようもないじゃないですかー」

「生えちゃったと言ったか」


ミエの言いざまにキャスが呆れた声を上げる。


「? 何かまずいこと言いました?」

「まああまり純粋なエルフ族の前では言わんほうがいいだろうな」

「おー…サフィナへいき」

「お前は別だ」

「サフィナさべつ…しょんぼり」


少し離れた場所でワッフを介抱していたサフィナが口を挟むが即キャスにツッコミ返されがっくしと肩を落とす。

エルフ族特有の鋭い聴覚により背後の会話が聞こえていたのだろう。


「しかし根っこが街のあちこちに見えてますね。アパートの上から見えるのはちょっとどうなんでしょう。緊急避難的な措置とはいえ地下の下水管は大丈夫でしょうか」

「おー…それたぶんへいき。地面の上しか通ってない、と思う」

「へえー。言われてみれば街のあちこちで漏水騒ぎみたいなのは起こってないみたいですが……それなら復興費用に埋設工事の予算はそれほど計上しなくてもよさそうですね……ただそれだと今度は道が塞がれて往来が不便になっちゃいますけど。街の中心部ずらします?」

「おー……それもたぶんだいじょうぶ」


サフィナがワッフの応急手当てをやり直してからのたのたと立ち上がり、教会の背後に鎮座している巨大な根……その近くの花壇から生えているものだが……の方向に手を伸ばした。

するとその根がゴゴゴゴゴゴゴ……と音を立て、ゆっくりとのたくいながらその丈を上げてゆく。


ちょうどしゃがんでいた老人が立ち上がるかのようにその根の中ほどが伸びあがってゆき、やがてそこに巨大な樹の根のアーチを造り上げた。


「これなら馬車とおれる」


あまりのことに皆目を丸くしてその光景をぽかんと見上げる。

静止した空間の中、けれど一人だけ蠢く者がいた。


その人物は魔狼……コルキの背からよじよじと降りんとして失敗し尻もちをつき、だが気にする素振りもなくむくりと起き上がるととすとすとすと大股でサフィナに近寄り彼女の両肩をがっしと掴んだ。


「今のはなんじゃ!? どうやった!? もう一度やってみせてくれんか! 再現性じゃ! 再現性を確認せんといかーん!!」

「おおー……めがまわる……」

「シャミルさんそれさっきわたしがやったやつー!」


シャミルに肩をゆすられぐるんぐるんと首を回し青ざめるサフィナ。

慌ててシャミルの脇の下に腕を通し押しとどめるミエ。


「どうどう。シャミルさんどうどう」

「やめんかー! わしは正気じゃー!!」

「正気を失ってる人ほどそういうんですー!!」


じたばたともがくシャミルだがいかんせんノーム族の体格では人間族(厳密には違うのだが)のミエの力には抗し得ない。

さらにはミエにそのままひょいと抱えあげられて完全に自由を封じられてしまった。


「これでよし!(キリッ」

「おー……サフィナぜったいぜつめいのピンチだた」

「わしはこどもかああああああああああ!?」


街が肥大化しすぎたせいで各々忙しくなりすぎて、こんなやりとりはなんとも久しぶりな気がするミエ、サフィナ、シャミルの三人。

かつてこの街がまだ村だった頃……いやそもそもその前身の森の中の小さな集落に過ぎなかった頃、あともう一人ここにいたはずだ。


そして……その人物が、帰還した。


「よお、やっぱここだったか。相変わらずお前の勘はよく当たんな」

「勘ではない気配だ気配。通りの向こうから漂ってきていただろう」

「お前だけだそれ」

「ゲルダさん! ティルゥさん!」


鎖斧を担いだゲルダと、剣を腰に差したティルゥである。


「どこに行ってたんです?」

「んー? まあ昔の因縁の決着を付けにな」


ミエの問いかけにゲルダがやや曖昧な言い回しをするが、脇にいたシャミルにずばと指摘される。


「例の傭兵団か」

「そうそう。それそれ」

「例の? ああゲルダさんの昔のお仲間とかいう方々でしたっけ?」

「お前命狙われといてその反応かよ」


呆れた顔でぼりぼり、と頭を掻きながらそんな呟きを漏らすゲルダ。


「で、その決着とやらはついたのか」

「いやー……それなんだが……」


ぶんっと頭を大きく下げて、ゲルダがミエに謝罪する格好となる。


「ふぇ!? どどどどうしたんですかゲルダさん!?」

「悪ィ。取り逃がした! 街に来てた奴はだいたい全滅させたんだけどなあ」

「だが敵の首魁どもを逃がしてしまった。傭兵団を名乗る以上戦力を整えるまで当分戻ってくることはあるまいが」


そう、ゲルダたちは取り逃がしてしまった。

かつての悪名高きラッヒュイーム傭兵団……今の魔人傭兵団の団長をはじめ幹部どもはこの街をまんまと脱出し逃亡しおおせてしまったのだ。


「まあ仕方ないですねえ。わたしとしてはゲルダさんが無事でさえあればそれでいいですけど」



小さく嘆息したミエは、改めて街の中央にそびえる巨大な樹木……世界樹を見上げる。



「あとは旦那様さえ帰ってきていただければ丸く収まるんですけどねえ」




×           ×           ×




街の北西部、多島丘陵エルグファヴォレジファートへと続く急坂。

その近くに小さな森があった。


ミエ達が植林したものではない。

元からそこにあったものだ。


丘陵部の急斜面にかかったその森は開墾に適さず、かといって伐採する程でもなく、昔から生えるがままとなっている。

かつて瘴気に満ちていた頃の名残かややいびつにねじくれた木々は、けれど街道からも耕作地からも外れた場所ゆえなかなかに浄化されず、その枝ぶりを持ち直す機会を失っていた。


そこに……人が倒れている。

鎖鎧を着こんだ男だ。

見たところ騎士のように見える。


けれどこの近くに人の住まうところはクラスク市とその衛星村しかなく、そしてそれらの街には騎士階級は存在しない。

とすると彼はおそらく元騎士階級の衛兵で、かつてキャスの部下だった人物であろう。


だがいったい彼の死因はなんなのだろう。

このあたりは街からも大きく外れ、戦場からも離れている。

わざわざ立ち寄るほどの場所でもない。


あえて言うなら誰かを追いかけて来てこのあたりで返り討ちにあった、という可能性だ。


その証左としてその死体の近くに数人の人がいた。

いや人と言っていいのだろうか。


なにせ彼らは黒い。

腕も足も顔も全身が黒いのである。


「しっかし魔族どもが全滅しちまうとはなあ」

「ま。連中の隠し玉が上手く転がったってところか。今回はあの街が一枚上手だったな」


話し合っているのは魔人傭兵団副団長、鞭使いのニューモット。

そして団長のグラオールである。


彼らは魔族達の形勢が不利と見るやとっとと尻尾を巻いて逃げ出してきたのだ。

このあたりは実に傭兵団らしい見切りの速さである。


「けどいーんですかい。魔族ども見捨てちまって。俺ら一応連中に雇われてる立場じゃないですか」


魔族に魔人に変えられてしまったというのに、彼らの人格には表向き大きな変化はないように見える。

普通魔物と化せばもっとその精神や性格に暗い影が落ちるものなのだけれど、彼らにはそうしたものがまったくない。


よほど精神力が強靭だったのか……

あるいはそもそも闇落ちするまでなく元から人格の腐り切ったであったか、そのどちらかなのだろう。


「気にすんな。魔族は魔族でも俺らの雇い主は連中じゃねえ」

「あー、そういや闇の帳シヴィトゥカフ・デ・フェックとか言ってたな」

「そうそう。俺らは言われてこっちの勢力に手を貸してただけで、連中のピンチを助ける義理もなけりゃ守ってやる契約もねえときたもんだ」


ハハハハハハ、と乾いた笑いを漏らした団長グラオールはゆっくりと腰を上げる。


「じゃあ報告に戻るぞ。そうしねえと後金がもらえねえ」


彼と共に立ち上がった黒い影はグラオールを除き計四体。

副団長ニューモットとあと三人である。


「だいぶ減っちまったなあ」

「ゲルダの奴が踏ん張りやがったからな」


少し忌々し気に呟いたグラオールは、けれどすぐに口調を変えた。


「ま、楽しみが増えたと思やいい。なにせこんなカラダだ。リベンジの機会なんざいくらでもあるだろ」

「そりゃそうだ。ハハハハハ」


笑う。

わらう。

わらう。


乾いた、だが冷たい笑い声を上げた一行は……






冷たい北風が吹き抜けたかと思うと、既にその場から姿を消していた。






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