第892話 実験都市クラスク
魔族どもは棄民たちに収穫期までもつような食料を与えなかった。
ついでに言えば山賊どもを唆し途中で食料を奪わせもした。
理由は簡単である。
彼らがより多く苦しんだ方が負の感情を喰らう魔族どもとしては都合がいいからだ。
かつてミエの世界の近世期、『農民と菜種油は絞れば絞るほどよく取れる』といったニュアンスの諺があったけれど、それに近い感覚だ。
魔族の計画を実現させるため棄民どもには生き伸びて指導者たるフィラグを祀り上げてもらわなければならないけれど、生きてさえいるのならできる限り苦しませておきたいのである。
だが、その性癖……違った。
もとい食欲が災いした。
もう少し、もう少し苦しめてから救いの手を差し伸べてやろう。
苦しんで苦しんで苦しみ抜いた末に伸ばされた手であれば人間どもは感涙にむせび泣いてしがみつくだろうから。
そんな風に思っていたところに、森から現れたオークどもが瞬く間に彼らに食料を与え丸め込みそこに村を作り始めてしまったのだ。
計算と打算と策謀とで手を差し伸べるタイミングを計っていた魔族どもと。
見つけた瞬間即座に救いの手を伸ばさんとしたミエ達と。
その純然たる善意の差が両者の、そして棄民たちの運命を分けたのである。
……かつてクラスク村が森の外に造られた際、秘書官トゥーヴがやけに危機感をあらわにし、征伐しようと躍起になっていたことがあった。
またその際クラスク村を激しく批判しつつもやけにその成り立ちについて詳しくもあった。
事情が分かってみれば当たり前の話だろう。
なにせ本来その地に村を作りたかったのか彼自身だったのだから。
そしてその後自ら騎士団を率いて討伐に来た理由もまた明らかだ。
村を武力で滅ぼし、けれど国の南西部の開拓は必要だからとそこに居座って、滅ぼした村の跡地を己が管轄しそこに砦を作って計画を取り戻さんとしていたのである。
だがあろうことか彼が辿り着いた時既にクラスク村の城塞化は完了していた。
ツゥーヴが数年がかりでやろうとしていたことを、たった数か月で、それこそこの世界の常識ではあり得ない速さでオーク如きが作った村が成し遂げてしまっていたのだ。
彼の計画はここでほぼ費える。
王城でクラスクを亡き者にせんと画策していたのは彼の計画の総決算などではない。
すでに敗北していたものの最後の足掻きに過ぎなかったわけだ。
……秘書官の計画については大体これが全てである。
だが魔族の計画についてはむしろここからが本領だ。
魔族どもはオーク族が棄民たちを吸収し村を作ったことに素直に驚いた。
オーク族にそんな知性があるとは思ってもいなかったからだ。
けれど彼らはすぐに事情を理解した。
このオークの集落には知恵者がいる。
族長の愛人の座に収まり、彼を唆しオーク族を自在に操る策士の存在が。
確かにオーク族の武力を知的に利用できるのであれば
そのオーク族を組織化するという彼女の手腕は評価に値する。
そこで……魔族どもは、そしてグライフは思いついたのだ。
自分達の代わりに、彼らにこの村を育てさせようではないか、と。
あの日、クラスクが初めて旧き死…グライフ・クィフィキに出会った時、なぜこんな村に目を付けたのかと皆首を捻ったものだ。
なんのことはない。
クラスク市……もとい当時のクラスク村は、その設立当初から魔族どもに目を付けられていたのである。
さて魔族どもは当初自作自演で村に自衛の必要性……要塞化を推進するための必要悪として自ら招かんとしていた地底の連中、これをまずクラスク達にぶつけた。
もしそれでクラスクらが全滅したらそれはそれ。
蹂躙され苦しみ喘ぐ村人たちからたっぷりの負の感情を喰らって、腹がくちくなったころ合いで当初の予定よりやや遅れ、人の姿を借りたグライフの化身が救いの手(めいたもの)を差し伸べて本来の計画に立ち戻ればいい。
魔族としては全く困らない。
続いて地底軍の二度目の襲撃。
今回はだいぶ相手も本腰を入れて攻めてくるはずで、クラスクらがそれを凌げるかは未知数な部分もあった。
けれどもしそれで彼らが全滅しても、作りかけのまま放置された城壁に魔族が少し手を加えれば簡単に砦が完成する。
ついでに地底軍を追い散らせば…まあその中途で村の者達にはだいぶ呻き足掻き苦しんでもらうことになるだろうが…生き神のように迎えられることだろう。
そしてそのまま当初の計画を進めればいいわけだ
これまた魔族としては一向に困らない。
ただこの時この街が行った、〈
彼等の演算では
このことで魔族達はこの街に潜む策士についての評価をさらに上げることとなる。
そして……かの赤竜である。
流石に化身では話にならぬと、この時ばかりは旧き死、グライフ・クィフィキ自らがその巣穴に赴いた。
地下迷宮を抜け、未だ休眠期にあった赤竜を強引に起こし、憤怒に燃える赤竜に彼の縄張りを侵す不届き者がいると注進する。
さらに彼らは短い間に大いに栄え、その街には大量の財宝が眠っているとも。
赤竜はその魔族の事を胡散臭く思ったし、信用ならぬとも感じたけれど、占術で確認したところ少なくとも己の縄張りに領土を隣接せんとする愚か者(そう、シャミルの計画により厳密には赤竜の縄張りを侵していなかったのだ)どもがいたことは間違いないようだったし、その街に莫大な財宝があることもまた確かなようだった。
竜族は怒りや恨みをいつまでも覚えているし、執拗である。
己を騙した魔族などがいればいつまでもいつまでも付け狙うことだろう。
だが竜種である以上財宝の魅力には抗いがたい。
寿命の長い竜種は気も長く、眠りを妨げたその魔族への意趣返しはまあ早め(だいたい百年以内くらい)にしておくか、程度で切り上げて、目下の興味をクラスク市へと向けてしまった。
すべてグライフの計算通りである。
さて今回は流石にクラスク市も分が悪かろう。
魔族どももそう思った。
なにせあの赤竜が相手である。
魔族ですらグライフのような高位魔族でもなければ相手にならぬ千年期の支配者なのだ。
それを
計算通りであればクラスク市は赤竜に焼き払われ壊滅。
その後灰燼と帰したその街の復興を旗印に各地から人……に化けた魔族どもが集まって、住民達を助けながら街の復興に尽力する…ように装う。
そうして信用を得た彼らはアルザス王国に恭順。
国に納税をしながらこっそりとドルム攻略計画を進める事となるあろう。
本来の計画より若干遅れるが、長寿の魔族としては大した問題ではない。
むしろ休眠期を終えた赤竜がいつ襲撃しに来るのかと怯える村人たちから好きなだけ恐怖や絶望や諦観の感情を啜れるためかなり美味しい想いができる。
これまた魔族どもには何の問題もない。
だが……もし。
もしその街が、クラスク市が、かの赤竜を討伐し遂げる事ができたのなら。
その時こそ、魔族どもは真の計画が発動する。
クラスク市が勝利と栄光を謳う影で、彼らに……そしてこの大陸に破滅をもたらさんとする計画が。
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