第881話 絶望招来

一気に加速して刃を突き出すキャス。

それは角魔族ヴェヘイヴケスの胴の傷を狙っていた。


そこにはさきほど飛び散った液状の銀が付着している。


角魔族ヴェヘイヴケスは鉄鎖を両手で持ってその刃を受けつつ頭上から尾の一撃を彼女の頭上へと落下させた。

ギリギリだったがこれで詰みだ。


瓶を開けて武器に塗布する余裕すらなかったこのエルフにこれ以上打つ手はないはず。

彼は勝利を確信し……


「ッ!?」



そして次の瞬間……彼は命を絶たれていた。



いない。

いない。


そのエルフが放った刃は鎖をすり抜け、彼女の脳天を正確に狙った尾は空を切った。


いや違う。

彼の尾は正確には


何もないはずの空間。

そこに何かある。

いや何かが


それはそのエルフ……キャスのだった。


風幻花ギューンスローム〉…それが彼女が用いた呪文の名。

風の精霊が術者の周囲の空間を視覚的に屈折させ、居場所をずらして認識させるいわゆる幻覚系統の呪文である。


かつてサフィナがアルザス王国から紫煙騎士団が襲撃してきた際、城壁の上で用い遠くの戦闘をまるで間近で起こっているかのように見せた〈遠目ウヱフ・サイクレッグ〉の呪文。

あれと同系統の呪文を補助魔術として用いていると考えればいい。


この呪文の大きな特徴はことだ。

身振り手振りだけで風の精霊とコンタクトを取り、命じ、術効果を発現させる。

つまりこの呪文には詠唱の必要がなく、相手に発動を気づかれにくい。


効果自体も発揮後少しずつ本来の位置と幻覚がずれるようになっているため、注意深く観察していない限り誰かに見られていてもバレにくい。

またそれを気づかれぬようにするための〈風歩クミユ・ギュー〉である。

高速移動中に発動させることで動きのずれに不自然さを出さぬようにしていたのだ。


そう、現在のキャスの他者から見えている姿と彼女の現在の位置はズレている。

角魔族ヴェヘイヴケスが己の尾が直上から教会の床に叩きつけた際にわずかに掠っていたのが彼女の本体だ。


当然ながら角魔族ヴェヘイヴケスが守っていた場所も、彼女の狙いだと思わせた場所も誤っている。

キャスの狙っていたのは錬金術銀が付着した別の位置……角魔族ヴェヘイヴケスの胸の中心部だった。


そこには角魔族ヴェヘイヴケスの核がある。

人型生物フェインミューブの心臓に当たる部分だ。

それを貫かれればいかに角魔族ヴェヘイヴケスと言えども致死性のダメージを受けてしまう。


…キャスは最初からそれが目的だった。


錬金術銀は量に限りがあり、武器に塗布して利用できる回数は多くない。

物理障壁を無視してダメージを与えられるとは言っても通常の攻撃では相手の耐久力を削り切る前にキャスの魔力が枯渇してしまう。


彼女の本職はあくまで騎士である。

魔術はハーフエルフという種族特性によってわずかに修得できているだけで専門の術師ではなく、使える魔力にも限りがあるのだ。


これでも手にしている愛剣のいわく『魔巧』によって彼女の消費魔力はだいぶ軽減されている。

そうでなくばとっくの昔に魔力不足で詰んでいただろう。

そうしたサポートがあった上でなお魔力がギリギリだったのだ。

それだけ危険な相手なのである。


ゆえに彼女はやり方を変えた。

本来であればしっかりした援護で相手を削り切るところを。隙を見つけての一撃必殺に。


そのためには相手を『必ず殺せる』個所がわからねばならぬ。

つまり角魔族ヴェヘイヴケスの急所である。


だからキャスは幾度も加速した一撃を浴びせた。

相手の物理障壁と貫通できぬ、だがその上で相手にダメージを与えられる攻撃を繰り返し与え続けた。

そうすることで相手の防御を見極めていたのだ。


ここは瘴気地ではない。

喩え上位魔族と言えどここで死んでしまえば復活できぬ。

ゆえに角魔族ヴェヘイヴケスといえど急所への攻撃は必ず防ごうとするはずだ。


先程のキャスの攻撃で角魔族ヴェヘイヴケスが途中から攻撃をそのまま受けず腕で防いだのはその攻撃の軌跡の先に彼の急所があったからである。

彼女は幾度も幾度も。様々な角度から攻撃を行い、確かめてきた。

己の身体と魔力をギリギリまですり減らし、相手の急所の位置を特定したのだ。


そして錬金術銀を相手の身体に浴びせかけ、幻影の一撃を以て相手に別の場所を守らせて、遂にその急所に物理障壁を無効化する一撃で刺し貫いたのである。


「ハァ、ハァ……!」


角魔族ヴェヘイヴケスがどうと倒れるのと、キャスが膝から崩れ落ちるのがほぼ同時。

今の攻防で一切攻撃を喰らっていなくとも、キャスにはそれまでの戦いで蓄積したダメージが溜まっていた。

魔術を使って加速していると言っても実際に駆けているのは彼女の足である。

言うなれば全力の短距離走をひたすら続けてきたようなものなのだ。

その痛みと疲労が一気に噴き出したのである。


剣を杖代わりにしてなんとか倒れ込むのを防いだキャスは、その総身に汗を滲ませる。


危なかった。

本当にギリギリだった。


明らかに無理に走り過ぎた。

脚の筋肉が断裂寸前である。

今の一撃で倒し切れなかったら本当にアウトだったろう。


だが……


「おおー…すごい」

「やりましたねキャスバスィ様!」

「まだだ! そこから出てくるな!」

「「!?」」


母の形見の愛剣を杖代わりに、震える足でキャスは無理矢理立ち上がる。


確かに角魔族ヴェヘイヴケスは死んだ。

だがこれで終わりではない。


高位の聖職者が神の御使いである天使などを招来できるように、魔族もまた同族を呼び出す事ができる。

≪魔族招来≫と呼ばれる妖術の一種だ。


字の如く他の魔族を呼び出す妖術である。

位階が高い魔族ほど強力な、或いは多くの魔族を呼び出し、使役する事可能となる。


『招来』効果なので呼ばれた者は一定時間経過すると消えてしまうけれど、戦場に於いて単純に戦力を増強できる効果は計り知れぬ。


魔族達は厳格な階級社会であり、上の命令に下は逆らえない。

ゆえに招来効果で呼び出されたら基本従うしかないわけだ。


ただ彼らが好んでこの力を使う事はない。

なぜなら魔族は契約や貸し借りを重視する種族性のため、己の仕事の為に呼び出した魔族どもに『借り』ができてしまうからである。


さて、そんな中でも魔族どもが呼び出すことへの抵抗が比較的少ないのが『懲罰部隊』と呼ばれる連中である。


なんらかのミスをしたり責任を擦り付けられたりして降格の危機にあるけれど、それまでの功績が大きかったり或いは降格させるほどではない場合、彼らはこの懲罰部隊へと登録される。

そして他の階級が己以上の魔族に使役され、様々な雑役を一定量なすことで元の地位に復帰できるのだ。


≪魔族招来≫はその使役先として最たるものである。

戦闘に於いて他の魔族を助ける功績は大きく、彼ら懲罰部隊は率先してその招来に応じる。


こうして呼び出しった懲罰部隊の魔族どもにも『借り』ができるが、それは普通の魔族どもを呼び出すよりずっと少ないものだ。

なぜなら呼び出した側の方も「懲罰部隊から抜け出すための機会を与えてやった」という『貸し』を相手に与える事ができるためである。


その角魔族ヴェヘイヴケスが死ぬ瞬間、倒れる前に何かをしかけた事にキャスは気づいた。

だが止めようとしたけれど体が動かいてくれず、それを阻止することは敵わなかった。


もし彼が為したのが≪魔族招来≫だとしたら、ここに魔族どもが追加で湧いてくることになる。

[招来]効果で呼び出された者は≪魔族招来≫を使用できない。

つまりこれ以上の増援はないはずだ。


だが……魔族どもの今の懲罰部隊に所属している連中によっては、厄介な魔族が出て来るやもしれぬ。



キャスはそう覚悟を決めて……







そして、教会の中に、新たな角魔族ヴェヘイヴケスが二体、現れた。







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