第871話 謎かけ
「うわあああああああああああああああああ!」
「た、助けて……!」
魔族は人の負の感情を喰らう。
戦闘時の憎悪などは特に好ましいものだが、逃げ惑う怯えや恐怖もまた甘露である。
逃げ惑う街の住人達。
運悪く街に滞在していた行商人、旅人、吟遊詩人。
そして観光客たち。
街中に潜入した……或いは既に潜伏していた魔族どもは、目的地へと向かう中途、まるで行きがけの駄賃とばかりにそんな感情を存分に摂取していた。
目的地は大きく分けて二つ。
ひとつは聖ワティヌス教会。
彼らが人の姿に化けていた高位変身術を看破せしめた、この街を現在覆っている結界を破壊するためにそこに向かわねばならぬ。
もう一つが街の中心にある居館。
そちらが彼らの今回の襲撃における本来の目的地だ。
だが逃げ惑う
なぜ彼らは本来の目的地より教会戦を重視しているのだろうか。
それとも別に何か理由があるのだろうか。
何故そんなことをしているのかと言えば正直追いつきたくないからだ。
魔族の習性に詳しくない(おぞましい生態ゆえその方が幸福だろうが)
無論周囲からより多くの恐怖や絶望を得る目的で命を刈り取ることはあるけれど、それもあくまで生者が漏らす負の感情を多く得んがためだ。
恐怖に怯え逃げ続けてくれている限り、魔族どもにとっては餌がずっと湧き続けているようなものなのだから、彼らとしてはこの状況はなるべく維持し続けたいわけだ。
なにせ逃げ惑う彼らの『死が迫っているという恐怖心』を維持するために、うっかり誰かが転んで追いついてでもしまったらみせしめのためにその
ゆえに目的地に着くまでこの死の恐怖に塗りつぶされた鬼ごっこを続けるべく、魔族どもは威嚇の声を上げ……
……ようとして、眉をひそめ空を見上げた。
顔が、ある。
女性の顔だ。
それが頭上から魔族どもを見下ろしている。
巨人族だろうか。
いや違う。
なぜならその女性の首から下は猫科の生物のそれだったからだ。
猫科…というが猫と呼ぶにはだいぶ大きい。
知識がある者ならそれが巨大な獅子の胴体であることが見て取れるだろう。
そしてその背に生えているのは……大きな羽。
荒鷲が如き羽が悠然とその背から左右に広がっている。
化物である。
女の顔をした巨大な化物だ。
だが……その場にいた
そうだ。
知っている。
自分達は知っている。
見たことはなくも知っている。
聞いたことがあるからだ。
誰からと言えば吟遊詩人である。
この世界の数少ない娯楽である吟遊詩人の謡う
勇者が、英雄の卵たちが、こんな姿の化物に謎かけ勝負を挑まれたことを、彼らは知っている。
多くの大人たちが、子供の頃瞳を輝かせて聞き入った物語上の存在なのだ。
「「
幾人かの
高い知性を有し、旅人の前に立ちはだかり、謎かけを挑んでくる巨躯の化物。
もし答えられぬならその相手を喰らってしまうと言われる危険な怪物。
だが……なぜそんなものが突然現れたのだろう。
「汝らに問う」
視線からして逃げ惑う
彼らは震えあがって涙目となり、その場にへたり込んだ。
「汝らを追いかけている者は、何者か」
「「「………………?」」」
だがその後に続く問いに、彼らは一様に首を捻った。
謎というのはそれはあまりに簡単すぎやしないだろうか。
正直に答えていいものだろうか。
もしやして吟遊詩人のレパートリーにない新手の引っ掻け問題なのだろうか。
「ま、まぞく!」
困惑する人間達の中で……母親に連れられた一人の少女が叫んだ。
人間族の少女、ということはおそらく旅人か観光客だろう。
この街の住人にオーク族以外の子供はほとんどいないからだ。
「正解です」
そう呟くと同時にその
その巨躯から一見すると動作は緩慢にも思えたが、いざ動き出してみると恐ろしい程に俊敏であった、
なにせその胴体は獅子のそれだ。
高速で飛び掛かり組み伏せ相手の首の骨を折る程度造作もない。
謎が解けぬ時に襲い掛かってくる彼らが理不尽なまでに強いからなのだ。
瞬く間に魔族…
もう一体が果敢にもその槍で突き刺し呪いの力で血を吹き出させんとするが、その一撃は目に見えぬ壁に弾かれ横に逸れた。
物理障壁とは異なる、なにか魔術的な護りの力が彼女を保護しているのだ。
べじん。
まるで猫が鼠をいたぶるが如く。
身動きができずもがく
「〈
「ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」
魔族の悲鳴が響く。
めきめき、めこり。
「〈
「ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」
そして再び唱えられた呪文で、ジュウウウウウウウウウ……と肉の焼け焦げたような臭気が一層強くなった。
……それは神の御業である。
強く正しき信仰ある者のみが授かる神聖魔術の呪文である。
陽光が如き強い光を指先から光線として撃ち出し、相手を焼き焦がす焦熱の呪文だ。
特に
魔族相手に火属性は通用せぬが、これは聖なる光であるため属性としては『聖』『光』となり、魔族の耐性を突破する。
彼女はそれを、前脚の鉤爪で押さえつけている相手に零距離接射しているのだ。
ぶちゅん。
ついに終わりが訪れた。
彼女の前脚に踏みつけられた
他の魔族どもはもういない。
前脚に潰された彼を人身御供としてとっとと退散したものらしい。
魔族どもは去った。
この場に残った魔族は全てその
おそるべき強さ。
恐るべき存在。
魔族が去ったとて、危険は去っていない。
なにせ目の前にはその魔族すら凌駕する危険な化物が控えているのだから。
「………………………」
怯える
唯一の例外は先ほど
彼女だけはどこか恐怖というより畏敬を湛えた瞳でその
「さて………」
魔族どもが逃げ去った後、その
「怪我をした者は名乗り出なさい。傷の手当てをしましょう」
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