第854話 時間停止

そう、世界をまるどと止めるには魔導師には魔力が足りなさすぎる。

それを埋め合わせるために式をいじり膨大な魔力を調達しようとすると今度は式が長くなりすぎて儀式魔術にでもしない限り詠唱不可能となる。


つまり個人が戦場で唱える呪文として時間停止効果を得るなら『世界中の時間を限りなく遅くする』のではなく『術者の時間を限りなく早くする』方が圧倒的に楽なのだ。

魔力消費が遥かに少なくて済むからである。


「〈時間停止ベルクアイウォー〉とは即ち超高速の思考と動きによって世界が止まったように感じる呪文と考えられまふ」

「理屈ハわかっタ」


 クラスクは腕組みをしてうんうんと頷いた。


「ダガさっきネッカが言っタ言葉ノ意味マダわからナイ」

「はいでふ」


なぜ周囲の相手に影響を及ぼせないのか。

クラスクはそこがわからない。

ネッカはこくりと肯くとそのまま黒板の前へと向かう。


「クラさまは水浴びをされる時、時々勢いよく飛び込むことありまふよね。ほらこの前も…」

「あれハ川デ水かけあッテタネッカトイエタガエッチ…エロイノガ悪イ」

「状況の話はいいでふから!」


真顔でキリッと返すクラスクの言葉に真っ赤になってツッコミを入れるネッカ。


「その時水の抵抗とか感じなかったでふか?」

「水ノ抵抗……飛び込む時チョット痛イ奴カ?」

「そうでふ。それでふ」

「ム……?」


クラスクは何を思ったかつかつかと壁際まで歩き、カーテンをさわさわと触る。


「ゆっくり押すト普通に押せル」


そして次にボクサーのように拳を構え、肩口からカーテン目掛けジャブを放った。

ぼすん、と拳がカーテンに当たる。


「速度乗せテ殴ルトカーテンに止められル……」


 ふむふむとしばし考えていたクラスクは、やがてぽんと手を打った。


「速度上がルホド相手固くなル。つまり時間止めタ奴が超高速デ動イテルトすルト止まっテル俺達凄く……?」

「流石でふクラ様。その通りでふ。それが『抵抗』でふ。その結果時間停止している間は自分以外の相手に物理干渉することができないんでふ……その理屈で言いまふと厳密には術者の周囲の空気も重くなって停止させた当人も動けなくなるはずでふが、そのあたりは呪文効果で周囲の大気を流動させてるみたいでふね」

「ッテ事ハ剣モ斧モ効かナイノカ。時間停止ノ最中に武器デ殺すノハ無理ナンダナ」

「そうなりまふ」

「呪文ハドウナンダ」

「ネッカも詳しいわけではないでふが、おそらく呪文が『目標:術者』か『目標:個人』『目標:物品ひとつ』のような呪文で、その対象として術者本人や術者が所持している物品を指定するならそのまま効果を発揮すると思いまふ」

「攻撃呪文ハ?」

「それは……おそらく発動自体はすると思いまふが、術者から離れた瞬間に時間停止状態に巻き込まれてそこで固まると思いまふ」

「……本人へノ補助魔術カ防御魔術くらイジャナイト殆ど意味ナイナ。あまり強くナクナイカ?」


 時間を停止しても対象に直接物理的影響は与えられない。

 攻撃呪文も術者から離れた瞬間に時間停止にしてしまう。


 となると停止中に確実に効果があるのは自分へのバフくらいだが、戦闘中に唱える強力な補助系呪文は持続時間がかなり短い。

時間停止中には誰にも影響を及ぼせないのに停止中にもその呪文の持続時間は無駄に消費されてゆうくわけである。


 大量の補助魔術を一度に乗せた状態で一気に戦闘突入できるのは確かに協力だろうが、クラスクが最初思っていた程どうしようもない効果とは思えず、彼はやや拍子抜けしたように肩をすくめた。


「そうでもないと思いまふよ」

「ム?」

「例えばその旧き死グライフ・クィフィキがクラさまの前で時間を止めたとしまふ」

「うン。俺止まっタ」

「停止している間彼はクラさまを直接攻撃できないでふ」

「そうダッタ。俺平気」


むん、と腕を曲げクラスクは力こぶを作る。


「そこで旧き死グライフ・クィフィキは幾つか補助魔法で自分を強化した後、残った時間で攻撃呪文を唱えまふ」

「? 攻撃呪文ハ止まルンジャナカッタカ?」

「はいでふ。〈火炎球カップ・イクォッド〉と〈電撃ルケップ・フヴォヴルゴーク〉と〈凍嵐ウクァーサイソ〉と〈魔術の矢イコッカウ・ソヒュー〉が唱えられ、発動と同時に時間停止しまふ」

「さっき聞イタ。デモ時間……ア」


そこまで聞いて、クラスクも流石に察した。


「そうでふクラ様。停止した攻撃呪文は、〈時間停止ベルクアイウォー〉の持続時間が切れた後

「それハ……無理ダナ」


状況をイメージし、すぐに理解する。

と。


クラスクは魔導学院に出向いて学生たちの攻撃魔術の的になったりすることがある。

以前述べた通り不慣れな者が攻撃魔術を使うと狙いが逸れて大事故につながる恐れがあるため、狙いをつける授業というのが存在する。


通常ならば木製の的などを用意するものなのだが、この街ではその役を太守であるクラスク自らが動く的として引き受ける事があるのだ。


攻撃魔術の実験台である。

太守相手に考えてみれば…いや考えるまでもなくとんでもない行為であり、ネザグエンなどは真っ先に反対した。


だがこれはクラスクにもメリットのある行為であった。

彼は純粋な戦士であり、魔術を唱える事はできぬ。

だが魔術に対する対策は取らねばならぬ。

その練習台として魔力が低く威力も低い魔導学生達の唱える攻撃呪文は都合がよかったのだ。


実際のところクラスクはクラスク市の中でも圧倒的に高レベルかつ高練度の戦士であり、学生の攻撃魔術程度などまともに喰らったところで死ぬ事はまずありえないのだ。


そして……彼ら学生達の放つ攻撃魔術を、クラスクは結構かわしてのけるのである。


盗賊などがその素早い動きで攻撃魔術などを横っ飛びで回避したりすることがあるが、クラスクの動きもそれに近い。

ただ彼の場合盗賊たちのように反射的に回避するのとも違って、術者の動きをよく見る。


方向を決め、角度を決め、範囲を決める。

その際術者は必ずその地点を目視する。


彼等は魔術の専門家であって戦闘の専門家ではない。

己が目標とする対象から視線を逸らして誤魔化したり、別の地点を見つめる事で相手の視線を誘導したり、といった芸当はまずできないのだ。


そこから相手が放つ魔術の方向や範囲を察して、相手が範囲を確定させた後そこから逃げ出すのである。


無論熟練の術者ほどそうした隙は見せなくなり、一瞬で範囲指定して術を放ってくるけれど、基本はその延長線で対処が可能だ。

ただ互いの攻防や読み合いが果てしなく高度になってゆくだけである。


……が、今の〈時間停止ベルクアイウォー〉からの一斉攻撃にはそれができぬ。

クラスクには時間が停止された感覚がないわけで、つまり自分の周囲に忽然と攻撃魔術が出現し気づけば攻撃範囲に巻き込まれているわけである。


それはかわせない。

かわしようがない。

全ての攻撃をまともに喰らって甚大なダメージを被ることだろう。


「ア……ソウカ。デモそノ理屈ナラ弓ナラ俺ニモ同じ事ができルノカ」

「そうなりまふね」


自身が直接放った攻撃は完全停止した相手には効果がない。

自分から離れた攻撃は時間停止に巻き込まれ止まってしまう。


それなら弓や弩弓、或いは投石などの飛び道具を時間停止中にひたすら放ち、持続時間が切れるのを待てばいい。

そうすれば時間の流れが戻った瞬間に無数の矢が相手目掛けて飛んでゆき対象を矢ぶすまにできる算段だ。


「危険ナノハワカッタ。デドウ対策すル」

「それが……確実に有効な手段がないんでふ」

「マジカ」






ネッカの言葉に、がびんと目を剥いてクラスクが呻いた。






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