第819話 詠唱破棄
魔導術に於いて呪文詠唱は切っても切れない関係にある。
より強力だったり有用な効果を得るためにはより複雑で長い魔術式が必要で、高位の呪文はたとえ圧縮してもその圧縮式自体が長くなってしまう。
無論この詠唱を短くする方法はある。
≪詠唱補正(高速化)≫のスキルを獲得することだ。
≪詠唱補正≫スキルには動作省略、音声省略といったものがあり、その上位版が高速化である。
≪高速化≫に限らず、これらのスキルは一見地味だが地味だが魔導師にとって非常に有用に働く。
例えば魔導師は呪文を詠唱しないと魔術効果を発揮できないため、〈
だが≪詠唱補正(音声省略)≫のスキルがあればそうした状況を無視して呪文が唱えられるわけだ。
他にも呪文には身振り手振りが必要なため、ある程度魔術について聞きかじった戦士などは術師と戦う場合剣で斬りかからずそのまま取っ組み合いをして組み伏せようとする。
そうすることで呪文の動作要素を阻害して呪文自体を唱えられなくしようというわけだ。
けれど≪詠唱補正(動作省略)≫があればそこから逆転の呪文が唱えられるし、例えば〈
≪詠唱補正≫系のスキルはこのように非常に強力な効果である一方、補正する内容に応じて追加の魔力が必要で、特に高速化のような強力な効果は非常に高い魔力が必要となる。
ごく初歩的な呪文でさえ中位呪文程度の魔力消費になってしまうほどだ。
なにより問題はこれらのスキルは好きなだけ無尽蔵に取得できるわけではない、ということだ。
この≪詠唱補正(高速化)≫を獲得するために下位の≪詠唱補正≫スキルを幾つか修得する必要があって、そうなると場合魔導師達は大きな選択を迫られることになる。
つまり≪魔具作成≫系統のスキルとどちらを選ぶのか、という問題である。
≪魔具作成≫にも≪魔具作成(ポーション)≫や≪魔具作成(指輪・腕輪・足輪)≫など複数の種類があって、どれも有用かつ強力なものばかりだ。
なにせ金と時間さえあれば自分のその日の魔力上限とは別に幾らでも魔術的な効果を作り貯めておけるのだ。
こちらもあればあっただけいいに決まっているのである。
…少し話が逸れた。
ともあれそれらの理由で≪詠唱補正(高速化)≫を取得している魔導師はそう多くはない。
また仮にユーアレニルがそれを修得したとしても使いこなせはしないだろう。
高速化する際に必要な追加魔力を種族的に潜在魔力が低め…もとい極端に低い
ならば彼のやっている事はなんだろう。
実はユーアレニルのしている事はごく初歩も初歩のことで、魔導師なら誰だってやった経験があるはずの行為だ。
そしてこれまでの魔導術と魔導術の説明に於いて全て説明されている事でもある。
ただあまりにも無意味だから誰もそれを実戦でやろうとしないだけである。
…まず第一に呪文には『効果』と『目標』がある。
『効果』とはその魔術が発動したらどんな影響があるか……例えば対象を魅了するとか、あたりを爆発させて火属性のダメージを与えるとか、そういったものが『効果』にあたる。
『目標』とは対象が単体であったり、或いは範囲だったり、射程……どれだけ遠くまで届くかであったり、つまり先ほどの『効果』をどこにどうやって発生させるかを決めるものだ。
これについては以前述べたはずである。
そして第二に呪文詠唱は分割できる。
あまりに長い呪文の場合、複数の術者が同じ呪文を分割して詠唱し、主唱者がそれを取りまとめると、儀式詠唱の時に述べたはずである。
ならばこの第一と第二の法則により呪文詠唱のうち『効果』と『目標』に関する部分を分割することが可能なはずである。
そして分割できるならその片方を捨てる事もできるはずだ。
ユーアレニルしていることはすなわちこれである。
いわば『目標』部分の詠唱を破棄しているのである。
そんなことで呪文が成立するのかと言えば、実は成立するのである。
射程もなければ目標指定もできない。
そんな呪文が一体どうなるのか……これも以前述べたはずだ。
そう、第三の法則として目標が省略された呪文は対象が術者自身になるのだ。
例えば目標が『生物一人』や『武器ひとつ』などの呪文が目標部分を破棄されればその対象は術者自身となる。
まあ元の対象が『武器ひとつ』だった場合は、普通の魔導師は体を鍛えていないので身体が武器認定されずに
では〈
対象が術者自身になると術者が突然爆発して当人が焼け焦げたりするのだろうか。
否。
そうではない。
その場合『炎のダメージを与える』という『効果』が術者の掌に発生するのだ。
そしてその掌で誰かに触れれば呪文効果が発動し、火属性のダメージが与えられる。
効果範囲も『目標』部分として破棄しているため、元が範囲呪文であっても対象は常に単体のみ。
また放っておけば数秒で消えてしまう。
これを呪文の『触接化』と呼ぶ。
実はこれ、魔導学院に於いて魔導師見習い達がまず最初に倣う呪文形式なのだ。
なにせ射程と目標がある呪文は慣れない間狙いをつけるのがとても難しい。
卒業した魔導師は当然そのあたりの試験をすべて及第点以上でクリアしているため失敗することはまずないけれど、逆に言えばそうした呪文の狙いが甘い学生は決して卒業させてもらえないという意味でもある。
そして学院内にはそうした試験をまだクリアできていない学生がたくさんいるのだ。
となれば当然学院内であればそうした失敗は十分起こり得る。
喩え魔導学院の中だろうと見習い術師が攻撃呪文を唱え、うっかり狙いを誤れば重大事故に繋がりかねない。
そうした時にこの触接化呪文を用いるわけだ。
詠唱に誤りがなく呪文がちゃんと発動できているか、当人の魔力が発動に足りているか、そうした事は掌に呪文効果が発生することで確認できる。
そして放っておけばその術効果はすぐに掻き消えてしまうため事故にも繋がりにくい。
狙いをつけるのは呪文自体の練習とはまた別に行えばいいわけだ。
いわば練習用の呪文形式、というわけである。
もちろん大量に開発された魔導術の中には最初から触接前提の呪文もある。
なんとか低位のまま強力な呪文効果を実現させようとして四苦八苦した挙句、射程距離を放り捨ててしまった呪文などだ。
まあこうした呪文はいくら強力だろうと術師自身で相手に触れなければならないという絶大なリスクを侵さざるを得ない時点で魔導師達には大の不人気なのだが。
だがユーアレニルがしているのはそれらの呪文とはアプローチが違う。
元々詠唱の長さ的に問題ない呪文を、あえて『目標』部分だけ切り捨てて詠唱しているのだ。
詠唱を切り捨てればその分早く詠唱が完了する。
つまり他の事をしながら呪文を詠唱する余裕が生まれる。
『呪文を詠唱し、その後その効果を乗せて殴る』のではなく『呪文を詠唱しながらそのまま殴る』事が可能になるわけだ。
当然相手に直接当てなければならないし、持続時間は短いしと、魔導師的には何のメリットもない手法である。
だがユーアレニルにとってそれで全く問題がない。
なぜならそもそもがただ殴っても十分なダメージが見込める巨人族である。
それに加えて呪文詠唱の隙を生まずに攻撃することができ、さらに強力な巨人族の拳撃に魔術の効果を上乗せできるのだ。
そういう意味で、ユーアレニルは魔導師というよりむしろ『魔導術を攻撃に組み込んだ武術家』のような存在であると言えるだろう。
「……………………」
そんな彼の姿をしばらく見つめていたエィレは、やがてハッとあることに気づく。
「そうだ……そうだ! それだ!!」
「「「うん?」」」
シャル、ヴィラ、そしてユーアレニル……その場にいた全員がエィレの突然の叫びに首をひねる。
「ユーアレニルさん! あの! 私! お願いがあります!!」
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