第771話 馬鹿が車でやって来る
……魔族どもの幾体かが、それに気づいた。
背後の森から立ち昇る白煙にである。
先刻まで音も気配もしなかった。
魔術探知と哨戒を行っていた斥候どもも気づかなかった。
突然そんな無警戒の場所から煙が吹きあがったのである。
そして彼らが気づくと同時に突如そこから奇怪な音が放たれた。
ぶろろんっ! ぼふんっ! といった音である。
彼らはそんな音を聞いたこともなく、ゆえにそこから何が出てくるのかも予測できなかった。
現れたのは陽光にさんざ煌めく白銀の車両。
馬車の荷台部分に似た車体に蒸気機関を搭載した蒸気自動車である。
搭乗しているのはサングラスをつけたクラスク市太守クラスク。
それもなぜかたった一人。
仮にも次の標的と目されるクラスク市の最高指導者が、単独で自動車へと乗り込み、ハンドル切りながらその車両の正面をまっすぐとドルム城塞に向け、アクセルを踏み込み派手に蒸気を噴かせたのだ。
(知っているぞ。あれは車だ)
(クラスク市で開発された蒸気を推進力にして稼働する、生物動力なく稼働する馬車の一種だ)
(金属製。通常の馬車より耐久度は高いが非魔術の産物。破壊可能)
けれど驚いたのも一瞬で、彼らはすぐにその正体を看破した。
彼らは何らかの手段によりクラスク市を偵察しており、その内情を把握していた。
その内の一体がこの蒸気自動車を目撃していたのである。
だがその一体だけで十分だった。
彼らは精神生命体。
そしてその精神は互いに言葉を交わさずとも念じれ鵜だけで通信を行うことができる。
今回の魔族どもの秘策、
これにより次々に、そして瞬く間に彼らはその情報を共有し、その奇怪な銀の四つ足が対処可能な馬車の亜種であるとすぐに理解した。
たちまち、炎の雨が浴びせかけられる。
〈
魔導術であれば呪文の詠唱が必要(スキルで≪詠唱補正(高速化)≫などを有していれば別)だが、その爆発には事前動作も詠唱もなかった。
ただ手をかざしただけで爆発が巻き起こる。
だがクラスクはそれらの炎の爆発の爆心地点を避けるように巧みにハンドルを切り、だがブレーキを踏むことなくアクセルをベタ踏みしながら突き進んでゆく。
妖術には詠唱は不要だが発動には精神集中自体は必要だし、なんならそれが途切れれば魔術同様
つまり詠唱がないからと言って一瞬に術が発生するわけではないのだ。
ゆえにその僅かなスキを突いて、クラスクは幾つもの炎の大爆発を背後に、彼は一気に魔族どもの前へと躍り出た。
魔族たちは確かに一瞬で情報共有できた。
けれど彼らが共有したのは街で見た蒸気自動車の情報である。
シャミルが造った蒸気自動車は街の中ではその機動力を抑え、ゆっくりとしか移動させていなかったけれど、蒸気を全力で噴かすことでその自動車は荷馬車を引かぬ馬程度の速度で走行することが可能なのだ。
斥候たる魔族はその速度を知らず、それゆえ他の魔族どもとそれを共有できなかった。
しかも現在のこの車両は蓄熱池を複数取り付けて操作性と安定性を犠牲に排熱と速度を上げるよう魔改造された高速仕様である。
それゆえにその車両を破壊せんと放たれた妖術の数々は、彼らがなまじ正確に車両を狙ったことが逆に災いし、派手な爆発をクラスクが走り抜けたその背後に発生させ、彼の後頭部や髪をその熱で焼くに留まった。
だが急ピッチで組み込まれた機能は当然ながら安全のための考慮が一切されていない。
舗装されていない道、ゴムのない車輪、そして車体の負担を考えぬ速度……クラスクがまっすぐ進もうとするもその勢いのまま派手な蛇行をしてしまう。
けれどその不規則な動きはそれゆえ魔族どもの分析を困難にさせた。
それが荷馬車などであれば正確にカーブする瞬間を捉え狙い撃ちもできたのだろう。
だが高速で走行する蒸気自動車の、それもその車両自身が未知の領域である速度域での不安定な挙動など流石に一瞬で解析するには無理がある。
それゆえ彼らの無数の攻撃を、クラスクとその車両は結果的にその間を縫うように爆走し切り抜けた。
それを幸運と呼ぶなら確かにとんでもない幸運である。
「ナルホド、慣れタ」
未知の挙動という点に於いては今の状況、魔族どころかクラスクもまったく初めてである。
なにせこの最高速モードを使ったら蒸気エンジンが焼き付きかねぬとシャミルに念を押されここまで使用してこなかったからだ。
ぶっつけ本番のその挙動。
だが魔族どもとクラスクには大きな差があった。
自分の手で操作しているか否かである。
彼は両手で掴んでいた舵……もといハンドルを左手のみに切り替え、右手で背後の筒をひっつかむ。
蒸気エンジンとは別に設置されていたその筒には持ち手があり、縦長ゆえ落ちぬよう車体の床に止め具で固定されていた。
その止め具は筒を回転させずらすことで開放される仕組みで、クラスクはその5フース(約150cm)ほどの大筒を片手でひっつかむと肩に担ぎ、先刻まで床に向けられたいた方を己の正面の魔族どもへと向けた。
……いや、狙いを定めた、と言った方がいいだろうか。
「確カこうしテこう。手が足りんナ」
降りしきる砲弾……もとい妖術の中、彼はむしろのんびりとした口調でそう呟くと、どっかと椅子に深く座り直し、己の左足をハンドルにかけた。
そしてあろうことか左足指でハンドル操作を、右足でアクセルをふかしながら、両の手で肩に担いだその大筒を発射する。
ずどん、と巨大なものが大筒から飛び出てきた。
砲弾である。
いや厳密には砲弾ではない。
それ自体が何らかの推進力を伴って飛空している。
とすればクラスクが担いでいるのは大砲のようなものではなく噴進弾投射機……いわゆるロケットランチャー、ということになる。
その弾は斜め上空めがけて放物線を描きながら放たれて……空中で破裂、さらに八つの小さな弾となった。
そしてその小さな弾どもは四方八方に飛び散って……さらに空中で破裂する。
中から飛び出てきたのは……なぜか水である。
火の雨、という表現はあるけれど。放たれた弾にはその『火』が抜けている。
大量の水が、まるでシャワーのように降り注ぎ、一瞬そのあたりが大雨となった。
空が晴れているがゆえそれは煌めきを放ちながら降り注ぎ、まるで狐たちが嫁入りにでもゆくかのよう。
その雨の中に足でハンドルを切りながら蒸気自動車で突っ込んでゆくクラスク。
「ウッホウ!」
わずかなぬかるみにタイヤが取られ、小石に車両が跳ね、一瞬あさっての方向に車両がすっ飛びかけるが、足指でハンドルを強くひっつかみ左に切って、車体を軽く滑らせながら鮮やかに走り抜ける。
だが魔族どもはどうしたのか。
彼の正面にはドルムを取り囲む魔族たちがいたはずだ。
その魔族どもは……彼の道を空けていた。
そして左右に分かれた魔族どもから悲鳴が上がっていた。
降り注いだ雨を浴びた魔族どもから白煙がたち昇る。
まるで硫酸を浴びて大火傷でも負ったかのようだ。
そう、降り注いでいるのは単なる水ではない。
聖水である。
それも通常の聖水にさらに高位の祈りを捧げた、非常に強力なものだ。
聖水は魔族たちの治癒能力を阻害する働きがある。
魔族どもの物理障壁を突破し傷つけた上でそこに聖水を振りかけた場合、彼らの高速な治癒能力は発現しない。
時間をかけた自然治癒に任せるしかなくなってしまうのだ。
ただし通常聖水それ自体には魔族を傷つける効果はない。
刃に塗布して使用すれば傷つけると同時に聖水の効果を発揮してくれるが、一振り二振りで効果は消えてしまうだろう。
だからその砲弾に込められた聖水には〈
聖水自体を武器に変えていたのである。
聖水は普通瓶ごと投擲して用いるものだが、この場合避けられてしまえばそれでおしまいだし、実体を持たぬ相手にはすり抜けて効果がない。
栓を抜いて振りまけば近距離に降下があるけれど、それでは個々への効果が少なすぎる。
ゆえにそんな高位な魔術を込めることなどコストパフォーマンスが悪すぎてまずありえない。
それこそ今回のように、雨のように降り注がせる算段が付かぬ限りは。
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