第761話 クラスク新聞新聞社ギャラグフ支部

「ふう……一本上がり、と」

「おお、マメだねえ」

「次の定時通信が来るまでに少しでも記事を書き貯めておきませんとね」


部屋の中で書き物をしている若者を、上品な身なりをした男が覗き込んでいる。


「三日に一度にはなりましたがそれでも時間が足りなさすぎます」

「時間が足りないというか記者が足りない、だな」

「それですねえ」


ため息をつきながら若者が凝った肩をぐるりと回す。


「そもそも本来の計画ではこちら側からの記事をはじめるのはもっと先の予定だったわけですから…」

「だがならだろう?」

「個人的には賛成ですが、それを尋ねた全員から賛同が得られるとは思わないでくださいね、子爵様」

「何言ってるのさ。この社内じゃあ全員賛成するともさ、トレノモ」


トレノモ、と声をかけられたのは机の上で執筆……新聞記事を書いていた男だ。

クラスク市からアルザス王国王都ギャラグフへと赴きクラスク新聞ギャラグフ支部立ち上げに尽力した人物である。


本来であれば印刷機等の機材の組み立てと使い方の指導などを行いそのままクラスク市へと帰るところだったのだが、そこで少々予想外のことが起きた。

現地の記者としてスカウトされてしまったのだ。


声をかけたのは今彼の背後から記事を覗き込んでいる男、ガレント子爵である。

爵位があるというからには貴族であり、それも子爵という事は世襲の貴族ということになる。


男爵の場合平民出の兵士などが功績によって取り立てられて就くこともあるけれど、その場合は一代限りであり、世襲はできない。

だが子爵以上の地位であれば世襲により代々貴族であることが確定している。

いわゆる血統による貴族、というわけだ。


このガレント子爵はアーリンツ商会が王都にて新聞社を開こうと動いている際に支部の社屋と印刷機用の土地を提供してくれた人物で、そのまま新聞社のパトロンとなり、さらにはギャラグフ支部の支部長に居座ってしまった人物である。

念のためにと占術での調査を要請したところ快く承諾され、そのまま危険や邪心がないことが確認された。


なぜ助力してくれるのか、というアーリンツ商会の現地用地確保要員であった鹿獣人スフロー・ファヴトの質問に対し、彼は明快にこう答えた。


「面白そうだったから」


と。

貴族はいつでも娯楽に餓えていて、楽しそうなものは放っておかない。

そんな中でも特に彼は目新しいものが大好きで、だからその斬新な情報媒体に飛びついた。

色々と設立に尽力し、さらに資金まで援助して、遂には現地のトップに君臨してしまったわけである。


かなり強引な人物だが、実のところ彼の存在はアーリンツ商会側としてもだいぶ助けとなっていた。

なぜならアーリンツ商会は獣人族ドゥーツネムを優先的に採用している商会であり、王都に派遣された者もその多くが獣人族ドゥーツネムだったからだ。


アーリが同族である獣人族ドゥーツネムを優先して採用するのは彼らが差別されやすい種族だからであり、商売などの頭を使った仕事であればなおのことその偏見は根強かった。

獣人族ドゥーツネムは低能な馬鹿者で、知的な仕事など何一つできるはずがない、などと口にするものまでいる始末である。

そうした悪い印象のある獣人族ドゥーツネムが交渉に臨むとなると、用地買収にも書類手続きの際にも色々と面倒で不利なのだ。

下らぬことに文句を付けられたり、足元を見られて色々吹っかけられたりするのである。


だが人間族の、それも貴族がそうした諸々の手続きを代行してくれると言うのなら話はまるで変わって来る、

しかも王都側の、アルザス王国の正規の貴族である。

それは手続きも順調かつ速やかに運ぼうというものだ。

結果として彼がギャラグフ支部のてっぺんに収まってしまったけれど、それを飲まざるを得ない程には彼には借りがあるである。


まあそんな彼からの熱烈な勧誘で、新聞社立ち上げまで手伝った後クラスク市へと帰郷する予定だったトレノモは未だに王都ギャラグフへ留まっているし、もっと後で行う予定だったアルザス王国側からの情報発信も万端の準備が整う前に見切り発車してしまいこうしててんてこまいになっているけれど、それ以外は概ね順調に運んでいる。


いやまあ原稿を落としそうになったり印刷が間に合わなそうになったり原材料の木材がらみでエルフとひと悶着あったりと裏側では相当な修羅場があったりしたのだが、少なくとも現在のところ三日に一度の発刊ペースはしっかりと保たれている。

その定期性と恒常性こそが新聞の情報発信媒体としての優れた部分なのだと、ギャラグフ支部の社員たちも皆肝に銘じているのだ。


「こちら商品広告と求人広告のまとめ終わりましたー」

「お、だいぶ慣れたみたいだね」

「はい子爵様! じゃなかった社長! お任せください!」


元気よく返事をしたのは赤毛でそばかすの若い女性である。

身だしなみは女性の割にやや雑だが、なんとも元気がよさそうな、やる気に満ち満ちた雰囲気がある。


「見せて」

「はい! トレノモ先輩!」


奇しくもクラスク市と同じく新聞広告のお陰で大繁盛した店が発生したため、その日以降広告を希望する店が一気に増えた。

あまりに増え過ぎて紙面から溢れかねず、広告掲載待ちが出るほどである。


商売的な側面で言うなら紙面をもっと増やして広告欄のページを増やせばいいのだけれど、クラスク新聞はエルフの協賛を得ている関係上計画を越えて木材を消費することができぬ。

ページ数を増やしたり発行ペースを上げる際にはどうしてもそうした問題が立ちはだかり、結果広告ページのとりまとめには結構神経を使うようになっていた。


「ふむ。悪くないんじゃないか」

「ホントですか!? やた!」

「子爵様、ドールゥにもそろそろ記事書かせます?」

「えっ!? いいんですか!?」

「子爵ではなく社長と言いたまえ」


ドールゥと呼ばれた女性は、このアルザス王国王都ギャラグフで現地採用された最初の社員である。

新聞社の扉を叩く前日まで新聞の事を何も知らず、だが噴水前で売られいた新聞に雷に打たれたような衝撃を受け女の身でこの会社に飛び込んできたのだ。


新聞記事の書き方も文章のまとめ方も何も知らず、だが幸い商人の娘だったため読み書き自体は普通にできたので、今日まで雑用などをこなしながら徐々にスキルアップし、今では広告欄のまとめをこなせるまでになっている。

そんな彼女に遂に新聞記者としての初仕事が命じられたのだ。

それは発奮しようというものである。


「ふむ……正直まだちょっと早い気はするが、まあ何事も経験か」


腕組みをしてそんなことを呟くガレント子爵……もとい社長。

トレノモは彼の言葉に少しだけ眉根を寄せた。


ガレント子爵は興味や趣味で新聞社を引っ掻き回すが、人を見る目は確かである。

その彼が言うのだからきっとドールゥにはまだ記事を任せるのは早いのだろう。


だが何事にもやり時というものがある。

多少未熟でも書かせることで学べることが間違いなくあるはずなのだ。

トレノモはそう心に決めて、ドールゥへと向き直った。


「よし、じゃあとりあえず記事を。ひとつふたつ上げてみようか」

「やたー!」

「とはいえすぐに新聞に載るわけじゃないぞ。普段の記事とは別にストックしておいて、いざという時に載せる臨時の記事だ。紙面に穴がなければ載せられないし、出来が悪ければ塩漬けにされる。そういう記事でも構わないか?」

「はい! やってみたいです!」

「よし、ならまず最初にテーマだな。いつ乗るかわからないものだから時候のネタは避けて……」



記事のいろはについて彼が説明を始めたちょうどその時……






新聞社の扉を叩く、ノッカーの音がした。






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