第733話 同日、王都にて
「お、なんだなんだ?」
アルザス王国王都ギャラグフ。
その南門近くの噴水前にて小さな人だかりができていた。
一仕事終えたユールディロがそれに気づき目をしばたたかせる。
そのユールディロなる人物の顔面はおよそ異貌と言ってよかった。
硬そうな毛に覆われ、斜めに曲がった大きな牙が生えており、目もやや血走りいかにも物騒そうな面持ちだ。
そんな容貌ゆえか、彼は街中を歩いていても自然と周りからの視線を集めやすかった。
どう見ても獰猛そうに映るからであろう。
とはいえその見た目は別に彼特有というわけではない。
いやこのアルザス王国王都に於いては彼くらいしかいないかもしれないが、彼固有の容貌というわけではない。
それは彼の種族から来る異貌だからだ。
彼は獣人。
猪の獣人だ。
ユールディロとは
獣人族はあまり名前に頓着しないというか、人間族程には大切にしない傾向があり、付けられる名も単純なものが多い。
彼の名もおそらくそうして付けられたもので、名付け親が知らぬ数代前にはきっと同じ名が転がっていたはずだ。
ともあれユールディロはその人ごみが気になって、己もその中に分け入り掻き分け背伸びして彼らが群がっているものを注視する。
どうやら何かを売っているらしい。
それを皆争うように買い求めているのだ。
食べものか…と一瞬期待したユールディロだったが、どうやらただの紙束のようだった。
目当てと違うらしきことが分かりがっかりして立ち去ろうとしたところ…彼は周囲で興奮気味に話す
ぐりんと首から上だけを急角度で巡らせ、売り手を凝視する。
その不気味な挙動に周囲が引いて、一瞬だけ人垣が左右に開いた。
ユールディロはどずんと足を踏み込んで、その中心部へと歩を進める。
「ま、毎度……」
彼の剣幕に少し気圧されたような売り手は人間族の娘であった
彼女が手にした紙束をぎょろりとした目で睨めつけながらユールディロが尋ねる。
「それはなんだ」
「し、新聞ですっ」
「新聞…いくらだ」
「ど、銅貨で五枚になりますっ」
「安いな!?」
「ヒッ!?」
ものすごい剣幕での言葉に娘が思わず怯えるが、ユールディロとしては別に怒っているつもりはない。
単に学もなく礼儀も知らぬ言動が周囲からそう聞こえてしまうだけだ。
彼は小袋を取り出して中にある小銭を数える。
それくらいなら彼でも十分購うことができそうだった。
「か、買いますか?」
「だがなあ…う~~ん」
「か、買いませんか?」
「そうとは言ってない! うう~~ん」
「あ、あの、他のお客様をお待たせしているので…」
「よ、よこせ!」
「きゃっ!?」
ユールディロは腕を組んで肩をいからせ、散々迷った挙句結局それを買った。
新聞を買った者達は噴水のヘリなどに座り込みそれを読みふけっている。
だが彼がそうすることはなく、新聞を強く握りしめたまま怒涛の如く走り去っていった。
「
ユールディロが向かったのは町外れの丘の上にある小さな教会だった。
「あら、どうしましたかユールディロさん」
祭壇の前で返事をしたのは修道服に身を包んだ
この教会の修道女、リムムゥである。
ユールディロはこう見えて毎日の祈りを欠かさぬ敬虔な
クラスク市が舞台だと忘れそうになるけれど、ほとんどの村や街は単一種族で構成されることが多い。
人間族だけは若干他の種族を受け入れているけれど、それも
少数派は大概の場合割を喰う。
肩身の狭い思いもする。
となると自然少数派同士、人間族以外の距離が近くなる。
特にこうした時、他種族に寛容な
普通に考えると少数勢力を糾合している
集まる場所が教会である以上、王国大司教であるヴィフタ・ド・フグルの管轄下であるし、むしろひとつところに集まってもらった方が彼らの動向も把握しやすい。
そうした理由もあってこの王都でも彼らの動きはさほど大きな問題にならず、看過されてきだ。
「これこれ! これ!」
「これ……なんでしょう?」
興奮気味のユールディロの真意が掴めず、リムムゥは首をひねる。
彼が持っている紙の束がどうかしたのだろうか。
「これ!
「まあ。
新聞の概念がまだ理解できていないリムムゥが、けれど言われるがままにその紙の束を受け取った。
「お?」
「なんだなんだ」
「リムムゥ様、どうかなさいましたか?」
後から教会に祈りを捧げに訪れたらしき信徒たちが圧余って来る。
リムムゥはとりあえずその紙束を大きく広げてみた。
「おお!」
「なんだこれ!」
「でけえ!」
「ああ、なるほど。こういう仕組みですか」
リムムゥはすぐに新聞の構造を把握し、書かれている事にざっと目を通して教会で読み聞かせても問題ないものと判断すると、信徒たちに告げる。
「これはユールディロさんが買ってきた新聞というものだそうです。今から読み聞かせますので、皆さんもよろしかったら聞いてゆかれますか?」
「なんだそれ面白そう!」
「聞かせてください!」
「ユールディロさんもそれでよろしいですか?」
ユールディロはぶんっと勢いよく頷く。
反り返った牙が猛々しく獰猛に蠢いた。
だがここに来ている者達は彼の言動が物騒なだけで根が正直者で善良であることは重々承知していたため、大して気にもしなかった。
「では最初のところから。ええと、クラスク市、大統領制を導入……?」
「クラスク市!?」
「クラスク市ってなんだ?」
「あのオークたちの街か?!」
「ダイトウリョウセイってなんだ?」
「ダイトウリョウ?」
「ダイトウリョウ?」
聞いたこともない単語に彼らは面食らう。
「ええと日付は……昨日ですね。先日クラスク市が公式に大統領制の導入を発表。今後時間をかけて街の人たちにこの制度についての教育を推進してゆく、と書かれています」
「「「おお~~~~~」」」
よくわからぬまま取り合えず感嘆する一同。
「っていうか昨日?」
「なんで遠い街の昨日のことがもう書かれてるんだ?」
彼らにとって情報は足で運ばれてくるものだ。
吟遊詩人たちは徒歩で移動するし、商人たちの噂話はもう少し早く届くがそれでも荷馬車の速度を超える事はない。
それより早いとなると早馬や魔術による情報伝達などだが、このレベルになると大概機密情報クラスの情報の為庶民には滅多に情報が降りてこない。
魔導師を用いた通信はどうしても金がかかるため多用できない、という理由もある。
「そうですよね。なんで遠く離れたクラスク市の昨日のお話がここに載っているのでしょう?」
リムムゥも不思議そうに首をひねる。
「先、読んでくれ」
「あ、はい。ちょっと待っててくださいね…」
色々謎な事は多いが、これを持ってきたのはユールディロである。
彼の意向に沿うようにしてあげよう。
リムムゥはそう判断し新聞の記事のその先を読み始めた。
「ええと、大統領とは何か…あ、ここに書かれてますね」
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