第726話 大人の社交場(えっちなやつ)
「ええっと…どうする? 嫌なら今回はやめておく?」
娼館への取材がだいぶシャルの気に染まぬものらしいと知り、取材の中断を提案するエィレ。
だがシャルはかぶりを振ってそれを拒んだ。
「別にいいわ。私なら絶対やらないってだけの話でそういうことをやりたがる人を否定するわけじゃなし。それに…いろんな視点がある方が取材には都合がいいんでしょ? なら私みたいなものの見方する人がいた方がいいってことじゃない」
「それはそうだけど…」
確かに複数の異なる意見は重要である。
取材をはじめる前に確か『多角的な視点』がどうのとミエが説明してくれたはずだ。
例えばなんらかの事件が起きて、怪しい人物が容疑者として逮捕されたとする。
それを新聞でいかにも犯罪者のように取り上げて実は冤罪でした……などとなったら目も当てられない。
仮に無実だと証明されたとて、それまでの世間の噂や、その無実だった者の家族への心無い誹謗中傷などをなかった事にはできないからだ。
ゆえに取材をする際は常に幾つもの視点で考える必要がある。
その人物が実際に犯人であった場合。
実は冤罪で無実だった場合。
あるいは本当の犯人を知っているのだけれどそれをかばっている場合。
その人物が本当に犯人であったとしてもなかったとしても、それが判明するまではその両方の視点から見ることが肝要なのだ。
「そーいえば私の方ばっかり話してたけど、ヴィラの方はどーんなの?」
「どー?」
「娼館よ娼館。巨人族として何か思うところないわけ?」
シャルに問われたヴィラは少し困ったように眉根を寄せて首を傾げた。
「う~~ん、う~~ん……す、すごい?」
「「すごい?」」
そして彼女の口から発せられた少々突拍子もない言葉にエィレとシャルが同時に疑問の声を上げた。
「う~~~ん…なんだろう。わたしあまりうまくせつめいできない」
腕を組んで首をぐぐいと傾けるヴィラ。
「ええっと…そもそも巨人族に娼婦っているの?」
「いない。はじめてきいた」
「でしょうね」
エィレの問いにヴィラが返して、シャルが納得顔で頷いた。
確かにヴィラの返答はエィレにもある程度予想がついていた。
巨人族はそもそも貨幣をもっていない。
一部の巨人族を除けば鋳造技術そのものを持たないからだ。
貨幣がないから貧富がない。
村で取れるものは皆の食料であって、誰かが占有や独占するようなものではない。
さらに言えば巨人たちは小集団で村を作りそこで生活を営んでこそいるけれど、彼らの集落を統べる巨人たちの王がいない。
国がないのである。
つまり彼らは全員で豊かな生活を送るか、全員で餓えるか、そのどちらかしかない。
かなり素朴な原始共産制の生活様式に近い暮らしと言えるだろう。
そうした場所で娼婦は生まれようがない。
娼婦とは性を売り物にして対価を得る職業である。
だが村全体が顔見知りで、収穫や収入が共有財産であるならそうした対価を個人で得る意味がないからだ。
厳密に言えば原始的な暮らしの中でもそうした職能を有するケースもある。
神様との交信を性的な営みに於いて行う神娼と呼ばれる存在などがそれだ。
ただこれはあくまで性事を魔術の一環として行っているものであって娼婦とは些か趣が異なるため除外する。
また婚姻が制度として成立していない地域などであれば乱交などによって子を為すケースもあり、そうした中で娼婦と似たような行為を行う女性も出てくるのだが、これもカテゴリが異なるので別枠だろう。
まあそれ以前にそもそもエィレにはそこまでの性知識がなかったため、そちら方面については思いつきもしなかったのだが。
「え~っと、えっと、男と女が、こう、抱き合って、子供つくる。それあたりまえのこと」
「うん、まあ、そうだね」
「…んもー」
ぽつぽつと自分の考えを纏めながら語るヴィラの呟きにエィレが頷き、シャルが少し頬を染めてそっぽを向く。
ただミエの世界ほどに彼女たちはそうした話を忌避していない。
今やクラスク市の生活は爛熟を迎えつつあるけれど、それでも世界的にはまだまだ文化より生存が大切な時代である。
そうした時代に於いては少しでも子供を産み育て数を増やしてゆかないと種族として立ち行かぬ。
最悪
なにせ人類が万物の霊長ではないのだから。
オーク族がこれまで他種族の娘達を必死にさらってきたのもまさにそのためである。
だからこの世界、この時代の者達は子作りやその行為自体を過剰に忌避したり恥ずかしがったりしない。
もちろんそこに羞恥の感情はあるけれど、必要ならば普通に会話することに躊躇はしないのである。
より原始的な暮らしを営んでいる巨人族や、より文明より自然を大切にする人魚族などであればよりその傾向は強いだろう。
まあ人魚族の場合はそこに彼女ら特有の恋愛観が加わるようだけれど。
「そのたりまえを、売って、お金にかえる。そんなやりかたもあるんだって知って、びっくりした」
「なるほどねー」
「……………」
ヴィラの言葉は心からのものであろう。
男と女が自然と近づいて、抱き合って、結ばれる。
そういう原初の生活に近い暮らしを巨人たちは営んでいた。
だから春を売る生活など想像だにしていなかったはずだ。
だがヴィラは巨人族でありながら
当然そこには貨幣があり、彼女もまた働いてそれを得る身である。
そんな彼女だからこそ、労働の対価として金銭を得る。
肢体を売って対価ちすて金銭を得る。
この両者を理解し、そして理解できたがゆえに驚いたのである。
そんなやり方もあるのか、と。
「まあ知らなかったら確かに驚くかもね…」
「そうよー、びっくりしたのはこっちもなんだからねー」
「ニンゲンて、スゴイ!」
口々に会話しながら下街を進む三人。
そして……ようやく目的の店が現れた、
「あ、あそこだ!」
「どれどれ?」
「どこ! どこ!」
単に取材先の建物だというのに、妙に興奮する二人。
それはその近辺の建物としてはだいぶ大きく、アパートに近い建物だった。
アパートはほど横に細長くはないがその分奥行きがあり、中はそれなりに広そうである。
そして…そんな店に次々と入ってゆく男、男、男。
オーク、オーク、オーク。
そしてどこか腑抜けた顔、顔、顔。
まさに娼館である。
「うわ、なにあのだらしない顔」
「だらしない! …だらしない?」
「情けない…でもわかんないか。ええっと腑抜けた…こうきちんとしてない顔ってことよ」
「きちんとしてない!」
「……わかる! きちんとしてない!」
「それはよかったわ」
どうやらヴィラにも通じたようだ。
客足は途切れない。
行列が伸びている。
どうやらこの娼館は大盛況のようだ。
娼館自体が盛況なのはエィレ自身も良く知っていた。
王都ギャラグフでも結構な繁盛だったからだ。
まあ当時の彼女は娼館のなんたるかについてはそこまで理解できていなかったけれど、今は知っている。
王都と異なるのは客の少なからぬ者がオーク族であるという事くらいだろうか」
「…あれ?」
さて……そんな中、シャルが怪訝そうな声を上げ、手をかざし目を細めた。
何か気になるものを見つけたらしい。
「どうした! どうしたの?」
「ねえ、あれ……女の人じゃない?」
シャルが指さした先……そこには行列の横で客の男性と会話している女性がいた。
「おきゃくさん?」
「え? あれ女よ? …女よね? 女同士?」
「ええっと……」
男性同士、女性同士の色事自体はこの世界にも存在する。
エィレもそうした嗜好の持ち主にまだ出会ったことはないが、知識としては知っている。
ただ人魚族や巨人族ではどうやらそうした趣味嗜好は発達していないようで、二人はいぶかしげに首を傾げた。
「…たぶん違うと思う」
娼館の前にいる、行列とは距離を置いて立っている女性。
行列客と語り合い、娼館の前を通る男性に声をかけている。
となれば彼女の正体を察するのは容易だ。
娼館の客引き。
本日の取材相手である。
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