第707話 知の土壌

「「「記事……?」」」


ミエの言わんとすることがまた理解できなくなって、一同が困惑の表情を浮かべる。


「ええっと…ネッカさん黒板借りますねー?」

「はいでふ」


ミエが壁際に立つと、黒板に新聞紙を広げた図を描く。


「例えばー、折っても読みやすいように真ん中で区切りましてー、こう切って、こう…」


そしてその紙面を幾つかの線で区切り始めた。


「例えばー、最初の一枚目にはこう『クラスク市太守クラスク様…じゃなかったクラスク、大統領制導入を宣言!』みたいな目立つ感じのを載せます。人目を引きたいので」

「…ニャるほど? 店売りする時に表に向いた場所だから一番売りにニャりそうなネタを配置するわけかニャ」

「はい! で今度次の紙面からはこう…『クラスク市の書籍、安さの秘密』とかー、『地底を走る水道管』とかー、こんな風に区切ってですね」


ミエが黒板上の紙面を次々に区切って記事で埋めてゆく。


「こういう風に分割すれば、それぞれを書くのはそこまで手間じゃないですよね?」

「それはそうじゃが…ひとつひとつ考えるのもそれはそれで手間じゃろ。一人でやるには限界が…あっ」


そこまで言い差してシャミルはハッと口元に手を当てた。


「そうか…記事が短く内容が個別ならなにも一人で全て書く必要はない…! ならばそれをそれぞれ別の者が書けばよいのか…!」

「はい御明察です。新聞は複数の『記者』が書いた短い文章…『記事』の集合体で構成されています。一人一人が短い記事を書くだけならさほど時間はかかりませんよね?」

「…成程。確かにそれなら負担の軽減になるな」

「はいキャスさん。でさらに紙面に特徴を持たせるためにですねー、こうこのぺ^自は政治面、このページは経済面、このページは社会面みたいにページごとにテーマを決めましてー、興味のあるところだけ読めるようにしたりもできます」

「おー、森面とかお花面とかもある?」

「それはまとめて文化面ですねえ」

「長すぎてそこに収まりきらない場合はどうするんじゃ」

「『連載』にします。たとえば三回とか十回とかに分けまして、それを毎日区切りのいいところまで少しずつ載せてくわけです」

「ほほう、連載!」

「はい! せっかくなので文化面には記事以外も載せたいですねえ。こう吟遊詩人スリアッポロのヴェーニックさん…ええっともう娯楽小説の方が儲けになるから吟遊詩人はやめちゃったんでしたっけ? あの人に新聞向けの連載小説を書いてもらいましょう。毎日少しずつお話を書いてもらって、毎日買えば続きが読める! 的な」

「あずりいそれ絶対続き気になるやつじゃねーか!」


ミエのアイデアにゲルダが目を剥いた。


「他にもー、さっきのサフィナちゃんじゃないですけど、日常的な記事でもいいんです。『暮らし・生活面』的なやつですね。例えば花の種類とかー、畑で見かける鳥の種類と見分け方とかー」


ミエの台詞にサフィナが瞳を輝かせ、イエタが興味深そうに身を乗り出した。


「グルメ記事とかもいいですね。クラスク市食べ歩き紀行! みたいな感じで毎回違うお店の食べ物を食べて評価するみたいな」

「へえ、そーゆーのならアタシにも書けそうだ」

「そうそうゲルダさんそんな感じです。それぞれが得意な分野を持ち寄って、クラスク市について紹介してく感じです。テーマによっては同じ題材を専門の違う別の人に評価してもらうなんてのも面白いと思いますがー」


ミエの説明が進むにつれ、その場にいた者達にもようやく彼女の言わんとすることが伝わってきた。


「毎日その記事とやらを書くという事は、連載記事を除けば載るのはその街の最近の、或いは最新の情報ばかり…つまりクラスク市の最新情報、というわけか」

「はい。だから新聞…『新しい紙モイトヴェヴォル』なんです」

「情報で金を取る…要は魔導師に調べもの頼むと金かかるのと一緒ってことか?」

「それはちょっと違いまふね」


ゲルダの言葉をネッカが否定する。


「魔導師が依頼で呪文を使う際お金を取るのは自分の魔術の研究費用にするためでふ。いわば自分の目的のための手段として金銭を要求してるわけでふ。でふがミエ様の言ってることは違いまふ。ミエ様は、って言ってるんでふ」

「そうニャ。そしてための試みニャ、これは」


ネッカの言葉をアーリが継いだ。


情報こそが価値である…それは商人にとっては非常に重要な考えだ。


例えばある街で砂糖が不足していて木材が余っているという情報を手に入れたとする。

その町に別の街から砂糖を運べば需要がある分高く売れるし、だぶついた木材を安く仕入れられれば別の街で仮に定価で売ったとしても仕入れ値が安く済んだ分だけ儲けが出せる。


ただしこれは


その不足が恒常的なものならともかく一時的なものであるならば、誰かが最初に砂糖を大量に持ち込んだ時点でその需要は満たされてしまう。

遅れて砂糖を運んできても定価でしか売れないわけだ。

こうなると輸送費の分だけ損になってしまう。


つまり早い者勝ちである。

というのはつまりそういうことだ。


商人は相場などを通じてそうした情報価値について早くから気づいており、それを利用して儲けてきた。

王侯貴族も戦争における情報戦の重要性などは重々承知しており、魔導師などを金で雇ったり従軍魔導師を組み込んだりしている。

彼らにとっては半ば常識と言ってもいいことだ。


アーリが当初偶然からクラスク達の村に迷い込み、そこでクラスクとミエ夫婦に出会い彼らを気に入ったのも、ミエが情報に金銭的価値があると知っていたからに他ならぬ。


だが……多くの庶民にその常識はない。

情報を知る、或いは情報を持つ有用性を彼らは知らないし、活用もできない。


多くの街の殆どの農民や町人にとって大切なのは日々の労働であり、そして目の前の仕事ばかり見ている彼らにはそもそもそうした知識を集め利用しようなどという思考や発想自体が浮かばないのだ。


アーリには、ミエがそこに風穴を空けようと言っているように聞こえたのだ。


何も知らぬ者達に突然そんなものを与えようとしても困惑するだけだろうし、最悪無知から無視や敬遠されてもおかしくはない。

良いものであればすぐになんでも無条件で受け入れられる、というわけではないのだ。

だがこの街にはそれらを受け入れられるだけのが醸成されている。


義務教育導入による識字率の大幅な向上。

手紙の流行や安価な書物の普及による文字文化の浸透。

そして賃金労働制の一般化による日々の余剰賃金の存在。


新聞の紙質を落とし、コストをできる限り下げることで大衆に余剰な小金の新たな使い道…『娯楽』としてを提示すると同時に、それを通じて彼らに知識とその有用性を知らしめようとというのである。


「ニャんて大胆なこと考えるニャ…」

「え? そうですか? 普通じゃないですかね」

「これが普通に思えるミエが怖いニャ」


確かにミエの世界では庶民が新聞を読んだりネットで情報を得たりするのは至極普通のことだ。

誰もかれもその恩恵を享受しているしそこに疑問も抱かない。

だからミエが新聞くらい…と思うのも無理はない。


だが知識は時に劇薬になり得る。

何も知らなければ己の環境が全てであって、それが当然のこと、仕方のないことと我慢し耐えられていたのに、他者の事情を知ってしまったがゆえに己の置かれたいる環境が理不尽かつ非道なものであると気づき耐え難いものに変貌してしまうこともあるからだ。


情報を知ることでができるようになってしまうからである。


ゆえに為政者の多くは下層の者が知識を得る事を好まない。

最低限の読み書き程度はできてもらった方が都合がいいので天翼族ユームズ達の青空教室などは許容するが、書物などのそれ以上の知識はなるべく与えたくないのだ。

これまで筆写中心の書籍の数が少なく値段が高かったのは、単に商人たちの利潤目的だけでなく、知を特権としたい為政者達にとっても実は都合がよかったのである。


だがミエは知識の占有や寡占など毛ほども考えていない。

そんなこと少しでも考えていたら義務教育など導入すまい。

知はあって然るべきものであって、多くのことを知った上で当人の選択があるのだと考えているからだ。





それはこの世界の為政者としてはだいぶ異端の…人によれば危険思想と受け取られかねない発想である。





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