第682話 坑廃水

エィレの疑問の言葉に、ダッコウズが我が意を得たりとばかりににやりと笑い、オムローがいかにも嫌そうに眉をひそめた。


「実はこの近くの岩肌に穴を掘っていてな。そこから採掘したものなのだ」


「え? この近くに?」

「そうなのだ。まっ…たく迷惑している」


ダッコウズの言葉にオムローが腕組みをしながら不承不承彼認めた。


「えーっと、このあたりって宝石とか産出するんですか?」

「…以前からそう言われていたらしいな」

「うむ」

「以前から?」

「らしい?」


エルフ族、オムローの苦々し気な呟きにエィレとシャルは互いに顔を見合わせ、その後ダッコウズへと向き直る。


「なんでそんなことがわかるんです?」

「ってゆーかわかってたんならなんで掘らなかったの? その宝石って地面掘って見つけるやつでしょ?」


二人の質問にダッコウズは肩をすくめつつ丁寧に答える。


「簡単な事だ。ここより南西、多島丘陵エルグファヴォレジファート…だったか? にグラトリアという国がある。ドワーフの国だ」

「それは知ってます」

「私は知らない」

「その最北端にオルドゥスという街がある。ノームの国ファルンと並んでこのクラスク市と最も早くに同盟を結んだ街だ」

「それも聞いてます」

「それも知らない」

「うむ、エィレッドロ嬢ちゃんの方はよく知っておるな」

「なによー」

「別のお主の方も責めとらんよ。で、その街の大採掘場の採掘具合からこのあたりの鉱脈がある程度推測できるのだ」

「できるんですか!」

「うむ。ドワーフだからな」


ダッコウズが得意げに鼻を鳴らし、オムローがこれまた嫌そうに眉根をひそめた。


「でこのあたりによい鉱脈があるのはわかっていた。そちらの人魚…ジェイルシャルだったか、の問いの答えだが、わかってはいても長い間採掘ができなかったのだ」

「赤竜の『狩り庭』…だったからですね」

「あー……」


エィレの言葉にシャルはようやく納得の声を上げた。


「なるほどねー。竜が怖くって誰もここを掘ってこなかったってわけか」

「ハハハそうだな! まあとは言っても今まで欲にかられたドワーフが幾度か挑んだらしいがな。わしらが今掘っておる場所も実は先人が残した坑道の続きなのだ」

「ああ、やっぱり前に挑戦した人がいたんですね…」

「うむ。これまたドワーフだからな。優秀な鉱脈があると聞いて黙っておるのはドワーフの名折れだろうともさ」

「じゃあその人たちは…」

「ハハハ。全員坑道の中で骨になっておったよ」

「「「なにそれこわい!」」」


肩をすくめ笑いながらそう告げたダッコウズの言葉に三人娘が互いにしがみつき震えあがる。

いや正確にはにょっきり顔を伸ばしたヴィラに二人がしがみつく。

もしヴィラの方がそれをやれば人間族と人魚族など簡単に捻り潰されてしまうことだろう。


ただエィレにはふと気になることがあった。

竜は休眠する。

欲に駆られたドワーフ達とて竜の活動期に坑道を造ったり掘ったりはしないだろう。

では竜でないとしたら彼らを襲い殺したのはいったい誰なのだろうか、と。


「まったく欲に駆られたドワーフの末路に相応しい」

「それに関しては返す言葉もないな。確かにわしらは黄金が眠るかもしれん採掘に心躍り欲を抑えきれんともさ。だがそれを言うなら森を取り戻すために幾度も竜の縄張りに入りその都度焼き殺されてきたお主にらエルフ族に言われたくはないぞ」

「なんだと」

「なんだと」

「まあまあ! まあまあまあ!」


その日幾度目かの角突き合わせる二人にエィレが慌てて止めに入る。

だがエィレほどにはシャルもヴィラも反応していない。

どうやら二人のいがみ合いに慣れてしまったようだ。


エィレの方もなんとなくわかってきた。

この二人のいがみ合いをユーアレニルが止めようともしない。

そもそも二人と旧知らしきアウリネルが一切相手をしていない。


ということはこの二人、表面上険悪に見えても実は見た目ほどに致命的な状態ではないのではなかろうか。

そもそもこれまでの話を総合すればこの二人は高練度の冒険者パーティーの一員ということになる。

一緒に幾度も死線を潜り抜けてきた仲間だったはずだ。

であれば当然互いに強い信頼関係で結ばれているはず。

ならば互いに口汚く罵り合っている程には酷い事態にならないのではなかろうか、


「なんなら斧で優劣をつけても良いのだぞ」

「弓でわからせてやってもいいのだが」

「まあまあまあまあ! まあまあまあまあまあ!」



…たぶん。



エィレが間に入って二人を引き離し、ようやく互いに落ち着いたようだ。


「まあともかくそういうわけでわしらはここを実験採掘しておるわけだ。成績がよければこのまま、鉱石の出が悪ければ別の場所を掘る予定になっておる」

「それで実際のところは…」


返事は聞かなくともわかった。

ドワーフ族のダッコウズとノーム族のアウリネルが御満悦で、エルフ族のオムローがなんとも不機嫌そうな表情を浮かべていたのだから。


「まったく…ここの太守夫人にもしてやられたものだ。森の再生が思った以上に進んでいる事には感謝しているが……変に感じ入って色々譲歩したのが悪かった」


オムローの実感の籠った呟きにエィレはハッとした。

エルフ達はこの状況に不満を抱いても逆らえないのだ。

なぜなら彼らはクラスク市の市民になってしまったからだ。


彼らは森の復興のためクラスク市から全面的な協力を得た。

だがそれは同時に森の再生がエルフ達だけの目標ではなく、クラスク市のになってしまったということだ。


そしてドワーフ達の採掘もまたクラスク市のプロジェクトのひとつである。

無論エルフ達はそれに不満を覚えればクラスク市に陳述するし是正を求めるだろうけれど、少なくとも目の前で行われているそれを即排除しようと動くことはできぬ。

市の扱いとしてはあくまで同格のプロジェクトなのだから。


「いいか。ともかく鉱毒は垂れ流すなよ。森に流れる川が汚れたらただではおかんぞ」

「わかっておるわかっておる。これまで採掘した鉱石も全て街に運び出しておるでな。ここでは1アングフ(2.5cm)ほども研磨したりはしとらんよ」


そんな会話を交わす二人に、シャルが少しムッとした口調で口を挟んだ。


「ねえねえねえ。鉱石を研磨? ってのをしたらなんか水が汚れるの?」


ダッコウズはその問いに対し少し難しい顔をして、言葉を選ぶようにして説明する。


「うむ。鉱毒というと聞こえが悪いが、まあ『坑廃水』というやつだな」

「こーはい水?」

「そうだ。採掘するために坑道を掘る。これはよいな? でこの時地底から湧き出し漏れる水を『坑水』と呼ぶ。そして採掘した鉱石を研磨加工した結果残った廃石は集積場などに貯めておくんじゃが…そこに雨が降って汚れた水を『廃水』と呼ぶ。何故汚れるかと言えば金属の中には水に溶けるものがあるでな。そうして汚染された水にはこやつの言う通り植物や人体に悪影響を及ぼすものもある。これらを総じて坑廃水と呼ぶのじゃ」

「へえー…」


先ほどと同じように感心したような声を上げたつもりのシャルの声音は、だが先刻までよりだいぶトーンが低かった。


「それって別に街に運んでも改善しなくない? 結局街でも水は汚れるんだし、その汚した水を川に流すんでしょう?」


目を細め、放たれた言葉には棘が含まれている。

エィレは彼女の様子が変貌した事にすぐに気づいた。


考えてみれば当たり前の話である、

シャルは人魚族なのだ。


人間がこの地上で当たり前のように暮らしているように、人魚たちは水の中で暮らしているのだ。

その水が汚染されるという事は、人間にとってみれば周りにある大気が汚染されているのと等しい。


そんなことになるリスクを抱えたものを己が暮らしている場所に持ち込まれて、人魚族がいい顔をするはずがないのである。

エルフ族が坑廃水によって森が汚されることに怒るのと本質は同じなのだ。


「まあ懸念はわかるがな。そう心配せんでもよい。街の下水道と同じ浄水装置の実験もしておるし、最終的に川に流す前に聖職者の助けを借りて水をきれいにしてから流しておる」

「なんだ…それならいいけど」


口調は軽く、だが内心はより安堵した様子でシャルが胸を撫でおろす。


「とはいえ今は実験採掘ゆえそれでなんとかなっておるが、いざ商売となると毎回毎回採掘と研磨のたびにそんなことをしておってはいかに良い鉱石が取れても採算が取れんでな。そのあたりが課題となっておる」



いい石が取れるだけでは駄目なのだ。

無論周囲への悪影響を考えずそうした採掘を続ける鉱山も世に多い。

ミエの世界とて鉱毒汚染による被害は近現代ですら発生している根深い問題である。





環境に配慮した採掘というのもなかなかに骨の折れる仕事なのだ。





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