第671話 消滅時効

「ええとつまり皆さんはあの土地…無人荒野ミンラパンズ・アマンフェドゥソでしたっけ? に昔住んでいた方々で故郷を復興させたいと」

「そうだ」


エルフの一人が力強く頷く。


「で今その土地の権利はうち…というか旦那様ににある、と?」

「……まあそうなるの」


竜退治をした者が際その竜の縄張りを手に入れる、ということはこれまでも例がないではない。

竜の縄張りは彼らの所有物として扱われ、竜を討伐した場合その権利は『討竜法レイ-・ドラゴントリュームズ』によって…少なくとも一時的には…討伐者のものとなる。

そこに竜の巣で得た財貨によって街を作り上げそのまま領主となった者や、巨万の富を得て己の国を打ち立てた伝説すら残されている。


だがそうした事例は滅多にあるものではない。

第一に竜の個体数が少ないこと。

第二に広大な縄張りを手に入れる事が難しいことだ。


竜は加齢とともに巨大化し、大きくなるにつれ強くなってゆく。

当初は名工の打った武器であればなんとか傷つけられたその鱗は年経るごとに硬くなり、やがて魔法の武器でないと傷つかなくなって、遂には個体ごとに異なる特殊条件を揃えねば殆どの物理攻撃を弾き返す物理障壁を獲得するに至る。


竜が巨大化すればするほど彼らが集めた財貨も増えてゆき、それに応じて縄張りも広くなってゆく。

当然討伐した際の見返りも多くなるわけだが…それに反比例して討伐の事例が急速に減ってゆく。


ある程度以上強くなってしまった竜はそもそも討伐自体がほぼ不可能なケースが多いのだ。

なにせ単体であれば魔族よりも強大であり、神々や魔王が天界や魔界に居を構えている以上、この地上世界に於いてもっとも強大な個大は最古老に達した真竜であるとすら言われているのだ。

要は『退治できる竜』はまだ若く、成長過程のドラゴンばかりであって、そうした竜の縄張りはかなり狭いのである。


さらに土地問題を論ずる場合、仮に退治できたとてまだ問題がある。


竜は人も喰うが別に主食というわけではないし、見かけたら即殺して回るほど偏執的に憎んでいるわけでもない。

成長過程の時点ですら強力な冒険者や一国の軍隊でもなければ太刀打ちできぬ彼らにとってほとんどの人間は羽虫かせいぜい小動物程度の存在であり、宝を集める際に都合がいい宝物庫程度の認識であることが大半だ。


つまり彼らの縄張りであっても村や街が即壊滅するとは限らず、営みが続く可能性があるのである。

無論いつ竜の気まぐれで焼き滅ぼされるかわからぬ、薄氷の上の生活ではあるけれど、それでも存外人というものは己が生まれ育った場所から動かぬものだ。


自分達が開拓した、或いは先祖代々暮らしてきた故郷への強い思い入れ。

被害に遭うまで自分だけは平気だろうと思い込んでしまう正常性バイアス。

逃げ延びて何も知らぬ異邦の地へと向かうことへの不安と怖れ。

そしてなにより移住に必要な余剰の資金の不足。


旅行などを当たり前のようにしている世界・時代の人間にはピンと来ないかもしれないが、輸送技術や移動技術が未発達な古い生活様式に於いては想像以上に知った土地から離れるという行為はハードルが高いのだ。


となると竜が近くに棲みついても村や街というのは案外その場に残り続けることになる。

竜に対する討伐の機運が高まるのはそうした村や街が滅ぼされた時だ。


となればもし見事、或いは運よくその竜が討伐された場合、そこには色濃く人々の営みの跡が残されている事となり、それらの土地はそこから逃げ延び、或いは生き延びた者たちの下へと返還される事になる。


また竜を退治したのは王や貴族の軍隊だったならいざ知らず、根無し草の冒険者が土地をもらっても困る、ということもある。

その場に定住して腰を落ち着けるならまだしも、そうでないな土地など彼らにとっては大した価値はないのだから。


よって仮に竜と退治して土地の権利を得たとて、彼らはそれを住民たちに返却するか、或いは些少の金銭で売却するか、或いはそもそもそうした法を知らずそのまま放置して旅立ってしまい、消滅時効によって権利を失ってしまうか、大概そのような結末になる。


今回のように広大な縄張りを有する年経た竜が、定住する者によって討伐される事例というのはこれまでほとんど存在しなかった。

少なくともこの地方に於いては前代未聞と言っていい。


『狩り庭』以外の彼の縄張りはそのほとんどが多島丘陵の北部の山岳地帯であり、耕地としての旨味は少ないが、それでも土地の広さだけなら大貴族にも比肩する程の面積がある。

かの竜退治がクラスクに、そしてこの街にもたらしたものは想像以上に大きいのだ。


「………………?」


ただシャミルの返答にやや間があったことからミエはそこに何らかのがある事に気が付いた。

僅かに逡巡したミエはすぐにその理由に辿り着く。


シャミルがエルフ達に並べ立てた理屈は完璧ではない。


それは考えてみれば実に単純な話で、この街自体が勝手にアルザス王国内部に建てられた、いわば『不当な街』だからだ。

もし彼らエルフと言い争いになって、結果その結論が国際会議などに持ち込まれた場合、こちら側が非常に困った立場に追い込まれかねないのである。


もちろん竜の討伐は正当なものだし証拠も十分に提出できる。

そちらの方の権利を喪失することはないかもしれない。

だがそのあおりで現在急速に発展しつつあるクラスク市の正当性について議論され、せっかくこれまで積み上げてきた街の実績が否定されたら元も子もないのだ。


「ともかく法の上では理はわしらの方にある。それはわかっておろうな」

「………………」


シャミルの言葉に押し黙るエルフ達。

けれどその瞳は諦めた者が見せる色ではない。

あくまで徹底抗戦する構えのようだ。


だがシャミルにも引く気はない。

かの『狩り庭』は、クラスク市にどうしても必要なものだと思い極めている。

断固たる決意を以てこの会談に臨んでいるのである。


それはなぜか。

それはあの土地が、ミエが察した以上にクラスク市にとって重大な価値を有しているからだ。


ミエの世界などであれば国境線が海や平地のど真ん中を突っ切ることも珍しくないけれど、近世以前に於いては国境というのは大抵地形に沿って引かれたものだ。

人間では動かしようのない地形こそが境界線として適切だったからである。


例えばミエの世界の古文書こもんじょには一風変わった記録が残されている。

中世に記されたその訴状は、とある家の住人が北の村から南の村へ移住してしまったけれど、南の村は税が厳しいので元の村に戻りたい、と訴えている内容だった。


ただしその者も彼の家も1ミリたりとも動いていない。

にも拘わらずある日突然彼の帰属する村が変わってしまったのである。

一体何が起こったのだろう。


少し考えれば答えは簡単である。

北の村と南の村は川を境に区切られていたのだ。


だがその川が大雨により氾濫してしまった。

治水技術が拙い古代から中世に於いて、川の氾濫はしばしば川の流路それ自体の変化をもたらす。

つまりかつてはその訴状の主の家の南側に流れていた川が、洪水の後その家の北を流れるように変わってしまったのだ。





川を村境として定義していたため川の位置が変わったことにより村境もまた変化し、その訴状の男の意思など無関係に、一夜にして所属する村が変わってしまったのである。

『地形を区切りとする』とはつまりそういうことなのだ。


そして…アルザス王国は大きな盆地である。

国境として定義されているのは西の丘陵地帯、南と東の山嶺、そして魔族が巣食う北部の森だ。


となると平野部分にせり出しているかの赤竜イクスク・ヴェクヲクスの縄張り…通称『狩り庭』は、定義的にアルザス王国の国土、ということになる。





そしてそれこそが…シャミルがその地を最重要視する最大の理由だった。





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