第642話 クラスク市探訪

エィレは足を止めることなく歩きながら各所で街の様子を観察してゆく。


「なるほどなるほど…各家庭の水道工事が終わるまでは敷設された水道管は公共設備として利用してもらう感じかー…」


公園などに水道があって、誰でも自由に利用できる。

街の住人が井戸代わりに利用しており、早く自分の家にも水道が来ないものかと噂しあっていた。


先日ミエに聞いたところ自宅で水道を利用した場合若干の利用料が税金としてかかるそうだが、それでも水道利用希望者は止まらぬ勢いだという。

まあいちいち外から水を運ばなければならぬ手間を考えれば自宅で蛇口をひねるだけで水を得られるのは利水の大革命と言っていい。

それは多少金がかかったとて是非導入したいだろう。


ただ未だ工事の順番が巡ってこないことを愚痴る主婦たち(そしてその周囲で駆けまわるオークの子供)だが、その表情は笑顔であり芯からの不平や不満の色は感じられない。

アパートの前の水道を利用できるだけでも井戸に比べ汲み上げの手間がなく格段に楽だし、蛇口をひねるだけで貴重な水を得られる現状で既に十分便利だからである。


水道の導入に関して、エィレはアパートの高層階に住んでいる住人にとっては割と切実なのではないかとという懸念を抱いていた。

桶に汲んだ水などを三階四階まで運ぶのは結構な重労働に思えたからだ。


だが街を歩いてみてその懸念が杞憂だったことがわかる。

各アパートの側壁には各階毎に出窓があって、そこからロープが伸びている。

ロープは一階まで届いており、その先にフックの付いた車輪があって、ロープはそれを通って再び上の階まで続いていた。

いわゆる滑車である。


そして広場で汲んだ水桶を一階の滑車に取り付け、上階で蓄熱池を嵌め込むと、この滑車は自動的に上に引き上げられてゆく。

もちろん手で手繰って引き上げる事も可能だ。

どうやらこれが水道が導入されるまでの臨時の措置のようである。


他に気になるところと言えば蛇口の締め忘れによる水の出しっぱなし問題だが、どうやら定期的に行われている衛兵の見回りが各地の水道にも目を光らせているようで、そうした無駄な吐水は抑止できているようだ。


さて街の住人以外でもこの水道に興味津々な者達がいる。

観光客たちである。


蛇口をひねって水を出して驚いて、逆にひねって水を止め、いったいどういう仕組みでこれが成立しているのかしきりに首を傾げており、そんな様子を見ながらエィレは思わず相好を崩した。


ただそうした観光客に混じって明らかに様相の違う者達を目にした時、エィレの瞳が僅かに細くなる。


おそらく外交官たちだ。

エィレと同じ各国から派遣された外交官やその随行員達が、この街の水道について色々調査しているようである。

自国にも導入できぬものかと検討しているのだろう。


初日の邂逅のあとまだ少ししか会えていないけれど、ミエの性格を考えると直接尋ねれば全部教えてくれそうな気もする。

ただ知ったところで各種族の長所や特性を融合し活かし切ったこの街の手法は普通の街では技術的に再現不可能だ。

この街ほどに多様な種族を擁している街や国を、エィレは寡聞にして知らぬ。


そう、なんとも皮肉なことに。これまで長きに渡って他種族との間に不和と拒絶とを振りまいてきたオーク族が造り上げた街でのみ、多種族間の融和が成立しているのだ。


「あとはあれはなんだろ…あ、トイレか!」


公共の場に提供されているのは水道だけではない。

この街ではトイレもまた街中に設置してあった。

いわゆる公衆水洗トイレである。


公共のトイレ、しかも水洗のそれは観光客を驚嘆させるには十分すぎるほどのインパクトだった。

利用するためには銅貨が必要だけれど、皆珍しがって用もないのにトイレを利用する始末であり、本当に用を足したい者が困り果てる事態になったことすらあった。


ちなみに利用するのに銅貨が必要というのも観光客の興味を著しく引いたポイントである。

なにせトイレの入口の扉に付いている凹みに銅貨を乗せるとそれが扉の中に吸い込まれ、扉の鍵が開くのだ。


これは街のノームの技師たちがミエのアイデアに目を輝かせて図面を引き街のドワーフに発注して造られたものだ。


コインを入れると扉が開く。

コインを入れると扉が開く。


それが面白くてこれまたトイレを利用しない観光客が連コインしてトイレがしばらく利用できなくなる事態になったこともあったそうな。


他にもトイレの中の紙が大量に盗まれて問題になったり、使用者が水の流し方がわからず大慌てで利用法を記した張り紙が張られたりとトラブルも色々あったらしいけれど、現在はおおむね平和裏に利用されているようだ。


「よしよし、水回りの確認よし。じゃあ次は…っとイズカルクさんの工房探しかな?」


ふんすと鼻息荒くかの女神像の製作者を探し始めるエィレ。

こちらの進捗も今日中に大いに進展させなければ。



…だが水回りの調査と違ってその芸術家の探索は難航した。

なにせ街の者の誰もがその工房の場所をまるで知らぬのである。



「おっかしいなー…絶対目立つと思うんだけどなあ…」


聞き込みしたところによるとかの女神像はあの場所で造られたわけではなく、完成品があそこに持ち込まれて設置されたものらしい。

つまりあの大きさの女神像を格納できるだけの広々ととした工房がどこかにあるはずなのである。


それだけ大きな工房なら絶対に目立つ。

ゆえに丹念に聞き込みをすれば必ずその正体に近づけるはず…という目論見だったのだが、どうにも当てが外れたようだ。


昨日ミエにも聞いてみたのだが。彼女の妙な返答がまたエィレを困惑させた。

ミエは『お教えしますね』と言ったのだ。


もう少ししたら教える、ということは正体が秘密というわけではないらしい。

だが今はまだダメだ、という事でもある。



では一体なにがなのだろう?



「今は駄目…ってことはいつかは教えるってことだから…ええと」


ミエはエィレが頭の回転が速いと褒めてくれた。

だから考えねば。

自分で考えて答えを出さねば。

それがきっとミエがエィレに望んでいる事であり、そして外交官として求められている資質でもあるのだろうから。


「ええと…つまり今は『まだ』ダメ、ってことは今は…ってこと?」


時期的、季節的な問題なのか。

この街への適応や慣れの問題なのか。

それともまた別の秘密があるのか、


ともかく何かがエィレにはまだ足りていなくって、それでまだ明かすわけにはいかない、ということなのだろう。


だがそれでおいそれと引き下がるような『お転婆』エィレではない。

なにせ彼女はとても賢いのだ。

ミエは直接は教えてくれなかったし、教えるにはまだ早いと言ったのかもしれないけれど、エィレに『調べるな』とは言わなかった。

つまりエィレ自身が答えに辿り着くのであれば問題ない、というスタンスなわけだ。


それならエィレの方から引き下がる道理がない。

全力全霊で調べ上げその秘密に迫ろうではないか、と改めて気合を入れる。


「えーっとえっと、工房工房…あ! そうだ!」


エィレは素早くメモ帳を見返して走りだす。

目的地は街の外側、とりあえず西外大門がいい。



「よ~っし、やっぱりいた!」


先日街中を興味本位に歩き回って調べていた折、その人物を見つけた。

今のエィレにとても人物である。


「ゴェドゥフさーん! こんにちわ!」

「ひ、姫様!?」


エィレが声をかけたのは元翡翠騎士団第七騎士隊隊員、ゴェドゥフである。

第七騎士隊隊長キャスバスィは現在この街に勤務しており、その部下たちもまた街のほうぼうに散って仕事に従事していた。


ゴェドゥフの今の仕事は番兵。

背後にある扉を守るのが彼の役目だ。


「お久しぶりです!」

「本当ですな。この街に外交官として赴任された事はエモニモ隊長から聞き及んでおりましたが…」

「ふーん、今はエモニモさんが隊長なんですね!」


にこにことの笑顔を振りまきながら近づくエィレ。

彼女はそのお転婆でちょくちょく城を抜け出しては翡翠騎士団などに顔を出し剣の試合なども見学していた。

その中でもよく入り浸っていたのが第七騎士隊である。

他の騎士隊から見れば落ちこぼれの集団のようなその騎士隊は、彼女にとっては妙に居心地がよかったのだ。


「それで、どのようなご用件でしょうか」

「あのねあのね、ゴェドゥフにお願いがあるの」


ずずい、とその身を寄せて上目遣いで懇願する。

悪戯っぽい笑みを浮かべながら。





「その後ろの扉を開けて、エィレを城壁の上に上げてほしいなー、なんて!」





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