第619話 夜の会合

がば、とエィレは唐突にベッドから上半身を起こした。

扉をノックする音が聞こえたからだ。


「姫様。姫様。もうお休みでしょうか」

「じいや? いいえ、起きています」


内心己の呟きを聞かれてやしないかとドキドキしながら返事をする。

まあ部屋の大きさと扉の厚さを考えれば、ベッドの上での小声の呟きなどまず外に聞こえる心配はなさそうだけれど。


それにしてもクラスクの前とはだいぶんに口調が違う。

そう、この少女はお姫様然と振舞うことだってできるのだ。

する必要のない時はしないだけで。


「どうしたのですか。今日はお夜会はなかったはずだけれど」


宮廷に於いては夜でも政務がある。

貴族たちの社交場たる夜会などがそれだ。


ただこの国のそれは毎晩開かれる程の頻度ではない。

そもそも魔族が北方に控え瘴気の開拓が中途である現状、国情的にも経済的にもそこまでの余裕がないのである。


「いえ。その、国王陛下のお達しがありまして…私は反対したのですが…」

「お父様が?」


ベッドから腰を上げ扉の方へと向かうエィレ。

扉越しのじいや…執事の声は、後半ごにょごにょと消え入るようでよく聞こえなかったからだ。

ただ父王のお達しで何かがある、ということだけははっきりと聞き取れた。


「わかりました。それで父の達しとはどのような要件ですか?」


がちゃり。

扉を開けてエィレが直接尋ねる。


「は。申し訳ありません。こちらへ…」

「どうしたのじいや。何か困りごと?」

「い、いえ、なんでもありません!」


いつもはきびきびとした態度の執事の妙に煮え切らない態度に違和感を覚えたエィレが声をかけるが、彼はすぐにそれを否定した。

だが彼の様子が常のそれに戻ることはなく、エィレは首を捻りながらその後に続いた。


「こちらです」

「…………?」


案内された先は応接室である。

客人などを歓待する部屋だ。

ただここが客人の為に使われることは滅多にない。


なにせエィレがいるのは第一居館。

つまり王族が暮らしているいわゆる『本館』である。


クラスク市より遥かに大きな居城には居館が複数あり、それぞれに応接用の部屋が備え付けられている。

そして大概の賓客はここ以外の応接室で間に合わせてしまうのだ。


国王とその家族が住み暮らしているこの本館の応接室を使うのは相当に親しい賓客のみである。


(まさか……!)


知らず胸を高鳴らせながら扉を開ける。

だって今この城に招いている賓客は一人しかいない。


だったら、だったらもしかして。

もしかしたら彼が、この扉の向こうに……!


「あら、エィレも呼んだの?」

「あらあら、まあまあ、どうしましょう」

「ええ…パパが?」


三者三様の声が部屋の中に響き、エィレが驚きに目を瞠った。


「お姉様方!」


そう、そこにいたのはアルザス王国の誇る美姫三人にしてエィレの姉たち。


すなわち長女エリザメス。

次女アッロティラソ。

そして三女トゥヴァッソの三人だった。


「私たちだけで、という話をしたはずよね」


じろり、と冷たい視線を放つのは長女エリザメス。


謹厳にして厳粛、プライドが高く高圧的。

まさに苛烈な王家の娘そのものだ。


「は。国王陛下のお達しにございまして」

「あらあらあらあら、まあまあまあまあ。困ったわ。困ったわね。どうしましょう」


頬に手を当て困惑しているのは次女アッロティラソ。


和やかで艶やかで、それでいて優雅にして優美。

優しさと美しさを兼ね備え、やや優柔不断なところもまた愛されている。


「まったくパパったらなーに考えてるのかしら!」


腰に手を当てふんぞり返っているのは三女トゥヴァッソ。

口調はやや幼いがこれでもエィレより二つ年上だ。


流行にうるさく着飾るのが大好きで、財を浪費つかい贅を尽くす。

その舌鋒は鋭い刃のようで、彼女に言い寄った貴族の息子がその毒舌にトラウマを抱えるほど。

それでいていつも宮廷の華として大人気の、羽を持たぬ小悪魔である。


「…姉さま方がお揃いだなんて珍しいですね」


エィレの言葉は皮肉でも何でもなく心からの言葉だ。

なにせ長女のエリザメスは男顔負けの習い事や稽古、それに軍学や馬術まで学び、この国の男どもに万が一があった時に備えている傑女だし、次女アッロティラソは普段庭の庭園の世話をしながらのんびりと茶を嗜み本を読むスローライフ派だし、三女に至っては城下のあらゆる服飾の店の店主を呼びつけては服を造らせドレスを着飾る浪費家の洒落者である。


三者三様、皆優れた才覚を持ってはいるけれど、その方向性がまるで違う。

決して仲が悪いというわけではないけれど、食事と夜会以外で彼女らが顔を合わせる事は滅多になかった。

ましてやこうして四人揃うことなど。


「私たちだけで決めるはずだったのですが…そうですか、父上はエィレにも候補となれというのですね」

「どうしましょう。どうしましょう。ああ困ったわ。さすがにエィレちゃんに頼むわけにはゆかないし…」

「あったりまえでしょ! だからとっとと私たちだけで決めちゃいましょ。ほらエリザお姉さまが受ければいいじゃない。長女なんだし。それで解決よ!」


三女トゥヴァッソの言葉にエリザメスが首を振る。


「それではこの国を護る者がいなくなります」

「お兄様たちがいるじゃない! 女なんだからそんなの気にしなくたっていいんだってば!」

「そうはゆきません。男は城を空けるもの。そうでなくとも今は北の情勢が不安定です父上と並んでアムホズモゥ兄様やトールアット兄様が出陣することだって十分に考えられますとも。その時貴女にこの城を護る事ができますか、トゥヴァッソ」

「その時はとっととツォモーペまで落ちのびるわ」

「ですから王女としての誇りと本分を…」

「そんなのは輿入れした後に考えるからいーの。じゃあアロ姉様はどうなの? 庭いじりなんてしてんだから暇でしょ? 決まりじゃない?」

「そうねえ。でも庭をいじってはいるけど暇ではないわ。ああ見えていろいろと忙しいのよ。季節の地味も考えないといけないし。完成予想図を考えながら種を撒いて苗を植えないといけないし…」


姐三人がなにやら喧々諤々の言い争いをしている。

いや喧嘩を売っているのはどうも三女のトゥヴァッソ一人で、姉二人がそれを受け流している構図のようだけれど。


「あーもう! ようは嫌なんでしょ!? 大切な仕事だっていうのに!」

「そんなに大切に思っているのなら貴女が行きなさいトゥヴァッソ」

「イヤよ! 絶対イヤ! そんなことするくらいならいっそ死んでやるわ!!」


終わらない言い争い。

纏まらぬ話。

一向に見えぬ己が呼ばれた理由。





エィレはわけのわからぬまま、ただ姉たちの言葉に耳を傾けていた。






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