第605話 閑話休題~外交使節~

『くらすく? 街の名前?』

「オーソウダベ。クラスクノ兄貴…ジャナカッタダ市長……デモナカッタダナ今ハ。太守クラスク様ノ街ダベ」

『正気なのですか、サフィナ』


ワッフの言葉をさらりと無視してサフィナに語り掛ける。


「おー…そう言った」


サフィナは返事をしながらも懐から何かを取り出す。

一瞬緊張し警戒したアルヴィナは、だが取り出されたものを見て怪訝そうに目を細めた。


それはだ。

つまり中に手紙が入っていることになる。


『なんですか、それは』

「おー、太守クラスクからの親書。女王アメジバーブ…様? におとりつぎおねがいしたくてもってきたやつ」

『……本気で言っているのですか』


アルヴィナの問いに、サフィナはしっかりと視線を合わせて応える。

占術越しの、目に見えるはずのないアルヴィナの視線に。


「ほんき」

「オラ達ハ本気ダベ!」


オーク族の戯言はそのままスルーするとして、アルヴィナはサフィナの言葉にすっかり頭を抱えた。

理由はわからぬがサフィナはどうもオーク族の手先のような役目を負っているらしい。

だが一体なぜあの聡明で先見さきみに長けていた少女がそんな過ちを犯しているのか、アルヴィナにはそれが理解できぬ。


『サフィナ。教えて。なぜ貴女がこんなことを…?』

「おー…サフィナクラスク市のじゅーにん。オークのおよめさんだから」

「デヘヘヘヘヘ…」


サフィナがそう宣言しながら隣にいる醜い種族を指さし、その緑肌の汚物が照れくさそうに頭を掻いた。

そしてその様を見ていつもは無表情のサフィナがポッと頬を染め恥ずかしそうに視線を逸らす。



時が、止まった。



アルヴィナの眼が死に、思考が完全に停止した。

脳が理解を拒み、エルフ族自慢の耳が腐ったのかと疑った。


だが覆せぬ。

その言葉が耳に届いてしまった。


そして…



『……わかりました』

「おー……親書受け取る?」

『そのオークを、ころします』



アルヴィナは、キレた。



「おー…?」

『サフィナ、貴女は混乱しています。錯乱しています。騙されています。もしくは操られています。そうでなくばそのような状態になるはずがありません。ただちにその迷妄の原因を除去し貴女を正気に戻して差し上げます』

「おー……親書受け取らない……?」


くくい、と首を傾げて指先の封筒をひらひらするサフィナ。

なおも主張を変えぬ彼女の様子にアルヴィナの頭は完全に茹で上がってしまった。


戯言たわごとを言うのも大概にしなさい!! 遊びは終わりです! もうすぐ衛士達がそこに到着します! その汚物を除去してすみやかに貴女を回収してそれで終わりです!!』


激昂するアルヴィナの声にサフィナが困惑したように眉根を寄せる。


「おー…相手の国おこらせた。がいこーかんとしてだめなやつ。反省」


そしてくくい、と首を回してワッフの方に向き直る。


「……なんで?」

「アレダベ。オーク族ハ嫌ワレモンダカラソレト夫婦めおとニナッテルッテノガ癇ニ触ッタンダベ」

「おー…でもワッフーいいひと。いいオーク。サフィナ助けてくれた。いのちのおんじん」

「ソウイウ事情知ラナイ相手ダカラ仕方ネエベ。話ヲ聞ク前ニ決メツケルノガ偏見ッテ奴ダベナ。オーク族ガコレマデシデカシテキタコト考エレバ仕方ネエ扱イダト思ウベ」

「おー…へんけんよくない。むずかしい…」

『オーク風情が偉そうなことを抜かすなあっ!!』


オーク族の分際で!

オーク族の分際で!!

オーク族の分際で!!!


何故オークが外交の事を偉そうに口にする。

互いの種族の致命的な軋轢のことをまるでわかった風にほざく。

小賢しいにもほどがあるというものだ。


「サフィナー。戦ノ準備イルダカー? オラサフィナノ故郷ノエルフ傷ツケタクネーダドモ」


背中の斧に手をかけながらそんなことを平気でのたまうのがまた腹立たしい。

ではないか。


「おー…いらない。へーき」


けれどサフィナは首をふるふると振って視線を再び上に向ける。


「サフィナと同じ、ワッフーもがいこーかん。がいこーかんに失礼な口きくのよくない。めっ」

『ですから貴女達の戯言はもう終わりだと……』

「太守クラスクには……」


突如森の中から影が四つの飛び出し、二人を襲わんとする。

だがワッフが素早くサフィナの背後に回り込み腰を落とし、じろりとその影を一瞥した。


「「ッ!!」」


一瞬で接敵せんとしたその影どもが素早く飛び退すさる。


今の攻撃は、駄目だ。

どこにどう動いてもあのオークに止められていた。


強引に攻めればむしろ数で勝るはずのこちらが痛手を負っていただろう。

どことなく抜けた顔なのに、近くに寄って見れば相当な修羅場をくぐっている歴戦の猛者であろう事がその雰囲気からすぐにわかった。


一瞬で藪の中に消えたその陰どもは、やがてそのその向こうからゆっくりと立ち上がる。

手にしているのはエルフ造りの長弓。

それが四人。

四人にエルフの衛士が、横に並び弓を構えワッフに狙いを付けていた。


「~~……よーいがあるの」


そして、背後の様子に一切惑うことなく、サフィナが己の用件を伝えた。


『え……?』


先ほどの言葉より、サフィナの告白より、さらに大きな衝撃がアルヴィナを貫いた。


本気で……正気で言っているのか?

戯言ではなく?

それを?

本気で?


『…私たちがそれを信じると思うのですか』

「信じる信じないはかんけーない。森の女神イリミ様に聞けばすぐにわかるはなし」

『ちょ、ちょっと待って! 待って! 待ちなさい!』

「アルヴィナ様、こやつをどう処理すれば……」

『それも待って! ちょっと待ってて!!』

「「は……?」」


ばたばたと大きな足音が宙空から聞こえて、徐々に小さくなって消えた。

エルフ族はそうそう足音など立てる種族ではなく、それゆえにこそ彼女の激しい動揺が伝わってくる。


「「…………」」


エルフの衛士どもは互いに顔を見合わせ、たが緊張だけは解けぬとその弓をつがえ続けた。


『……嘘ではないようですね』


しばらくして再び宙空から声が響いた。

どうやら落ち着きを取り戻したらしい。


「おー……だから最初からそう言ってる。占術で調べればすぐにわかること」


そう、調べればすぐにわかることだ。

だがエルフ族には、いやエルフ族に限らず殆どの種族にはまず『オーク風情が』という強い思い込みがあり、情報を精査する前に切り捨ててしまう。

クラスク市と直接のやり取りのない街や国であれば信頼すべき情報は少ないし、また距離が離れるほど噂には尾ひれがついて信憑性が低下してゆくからだ。


ネット検索などと同じである。

何かを調べるべく打ち込むキーワードは、そもそも当人が興味あるものや調べたいものばかりになりがちだ。

つまり検索しようとする時点で既に当人の恣意が働き、調査範囲が限定されてしまっているのである。


そして偏った検索内容からは傾斜した結果しか得られない。

オーク族に対する他種族の扱いはおおむねそういうものだ。


『詳しい話を聞かせなさい』

「おー…親書に全部書いてある」

「ッ!!」


アルヴィナはサフィナのに瞠目した。

この森としては攫われたサフィナをなんとしても取り戻したい。

だがもしその親書を受け取ってしまった場合サフィナノ立場は『親書を届けに来た外交官』になってしまう。

他の国や自治都市の外交官を己の国の身内だからと言って好き勝手にはできぬ。


サフィナに親書を持たせたは、そこまで見越して彼女を寄越したのだ。


だがそれでもその親書を受け取らざるを得ない。

それほどに先ほどサフィナが語った内容は重大事だったからだ。


『衛士達、彼らを神樹のへ』

「は、いえしかし…」

『構いません。責任は私が取ります』

「承知しました。ではサフィナ殿、こちらへ。そこのオーク、ついてこい」


互いに顔を見合わせたサフィナとワッフは、頷き合って彼らの方へと歩を進める。


「おー…わかった」

「ンダバ……ヨロシクオ願イスルダエルフノ衛士殿バーク セイシスグル エルフェイ コスゲイィール

「「「!!?」」」


ワッフの言葉に衛士達が驚愕のあまり大きく目を剥いた。

そしてそこにはいないアルヴィナもまた息を飲んだ。



ややたどたどしいながら間違いなくエルフの言葉である。

それも魔術などを用いる事のない、素で語彙と文法と発音を学んだれっきとしたエルフ語だ。


(しまった……!!)


それを聞いた瞬間、神樹の中のアルヴィナの背に戦慄が走った。


エルフ族は言葉を大事にする。

言語を学ぶというのは大変な事だ。


相手の言語を学ぼうとする行為は相手の種族を学ぼうとすることに等しい。

つまりエルフ語を学ぶという事はエルフ族の事を知ろうと努力しているということであり、歩み寄ろうとしているということでもある。


人間族の国や冒険者どもは魔導術の〈翻話ヴェオラックヴァクル〉の呪文などで楽をしようとするけれど、エルフ達に言わせればそんな連中は信用するに値しない。

魔術を学ぶことに苦労はしているのかもしれないが、エルフ語を学ぼうとせぬ彼らがエルフ族を識ろうとしているか、友好的であろうとしているのかわからないからだ。


逆に言えばエルフ達は己の種族の言語を学ぶ者を粗略には扱えぬ。

特に神樹に導かれし者がこちらの言語を話せるというのであれば丁寧にもてなさざるを得ない。



、だ。



彼らはそれを最初から見越していたのだ。

初めからそのオークがエルフ語を話していれば確かにアルヴィナの無礼な発言は減ったかもしれない。

けれどその分彼女に警戒され、神樹へ案内することなくサフィナだけ連れて行ったかもしれない。

などということ、エルフ族には耐えがたい行為だからだ。


だがその順番を違え、案内された後にエルフ語が使える事を示されたなら今更神樹に入ることを拒否できぬし、粗略にも扱えぬ。

つまり親書を受け取ったことによりそのオークを外交官として扱わざるを得ず、エルフ語を話せるという事で丁寧に接しなければならぬ。


「ンダバ行クベカ。ココカラガ正念場ダベ」

「おー…きばってく」






衛兵たちの…に従って森の奥へと消えゆく映像を見つめながら、アルヴィナは強く実感した。

彼らは、間違いなく他国から派遣された……一流の外交使節なのだと。







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