第604話 閑話休題~巫女の役割~
『サフィナ…サフィナなのですか?』
「おー…アルヴィナのこえ」
結界を抜けて数瞬、すぐに声が聞こえた。
開けた森の中なのにまるで狭い密室のように反響する妙な声。
それが周囲から聞こえてくる。
「ナンダベ、ナンダベコレー!?」
唐突に聞こえてきた声にワッフが目を丸くして驚き辺りをきょろきょろと見回す。
だが当然ながら周囲には誰もいない。
「おー…だいじょうぶ。世界樹の中からお話してるだけ。サフィナたち結界抜けたから向こうから場所わかる」
「オオ声ダケダベカ。確カニコッチヲドウコウハデキナサソウダベナ。気配感ジネエベ」
サフィナの言葉に狼狽えながらも身構えていたワッフは緊張を抜き、その声の主がわずかな間押し黙った。
まずそもそも外の者がこの結界の中に入る事自体が至難である。
森の木枝一本たりとも折り落とすことなく抜ける事ができる者が殆どいない。
エルフ族以外でそれを為せるのは専門の魔術や訓練を積んだ
森と共にあるエルフと大自然と共にある彼らとは比較的主義主張が近いからだ。
だがそれでもこの世界樹を護る結界の近くまでやってくる者はいるし、ごくごくまれに中に入り込んでしまう者もいる。
熟練に熟練を重ねた盗族などがそれだ。
サフィナが攫われたのもこの結界を抜け出たすぐ近くであった。
そうした時、この声は役に立つ。
結界を抜けてきた相手ならすぐに侵入した位置が特定できるし、外にいる者にも声を届かせることはできる…ただその場合相手の位置はまた別の手段で探さねばならないが。
だがこの間抜けそうな闖入者は、声を聞いてすぐに警戒を解いた。
この時点では届かせることができるのが声のみで、自身に実害が及ぶことはないとすぐに看破したのだ。
妙に気の抜けた見た目だが、存外侮れぬ
『サフィナ…貴女が連れてきたのね。その薄汚い種族を』
「おー…ワッフーきたなくない。毎日おふろ入ってる」
「ンダ。清潔ハ健康ノ秘訣ダベ」
「風呂? オークが…?」
にわかには信じ難いとその声の主…アルヴィナが怪訝そうな声を上げる。
サフィナはなぜか嬉しそうに万歳をしていた。
「コノ奇麗ナ声ノ娘ッコトサフィナ知リ合イダベカ」
「おー…おさななじみ」
「ソウダベカ。ヨカッタダナーマタ会エテ」
そう、そうなのだ。
その汚らわしい種族の言葉(なぜか
『そうよ、サフィナ。貴女が行方知れずとなって森はもう大騒ぎだったの。“深緑の巫女”が森から姿を消すだなんてあってはならない事なのだから』
「おー…しんぱいかけた」
バンザイしながら幾度も伸びをするサフィナにアルヴィナは思わず相好を緩める。
昔からなにも変わっていない。
身分の差など関係なく、彼女はアルヴィナに優しく接してくれた。
そんな少女に、幼いながらも彼女は強い憧れを抱いていたものだ。
『とにかく戻ってきてくれて嬉しいわ。すぐに案内を寄越します。貴女の無事を祈る者達が大勢いるのですよ』
「おー…久しぶりで楽しみ。でもサフィナ今日仕事で来てる。そっちはまたあとで」
「仕事……?」
サフィナに言われて今更気がついた。
オークのような薄汚くがさつな種族が結界を通り抜ける条件を単独で満たせるはずがない。
ゆえにその間抜け面のオークが結界を抜けるための手助けをサフィナがしているはずなのだ。
サフィナは“深緑の巫女”として高い精霊魔術の力を備えている。
その力を用いれば一人二人くらいの部外者を護りながらここまでたどり着くことも可能だろう。
問題は…魔術的にそれを連れてくることができるかどうか、ではない。
なぜそれをわざわざ連れてきたか、その理由である。
「仕事とはなんですか、サフィナ」
「おー…サフィナがいこーかん。クラスク市のがいこーかんとしてこの森と仲良くなりにきた」
「オラモダベ」
「外交官……?」
明らかに想定外の言葉を聞いてアルヴィナは少し困惑した。
サフィナが優れた
さらにオークである。
薄汚いオーク。
それが外交官?
そんな難しい単語を知っている事が彼女にはまず驚きだった。
『…クラスク市、ですか』
その街の名は聞いたことがある。
旅の
人間族の国土の中に、オーク族が勝手に村を作り人を住まわせているのだという。
だが所詮オーク族の集落だ。
せいぜい柵を張り巡らせた小さな砦のような場所に。人質まがいの住民を押し込めている程度の場所なのだろう。
そんなところのオーク族が外交官を名乗るだなどとおこがましい。
アルヴィナは勝手にそう決めつけた。
『いいですか、サフィナ、貴女は騙されているのです』
「おー…だまされてる? だれ?」
「そのオークどもにです」
「おー……?」
くくく、くい、とサフィナは己の上体を傾け、ワッフの方をじいと見つめる。
「ワッフーサフィナのことだましてる?」
「ダマシテネエベー!!」
疑われて本気でショックを受けたらしきワッフが激しく否定する。
「……だましてないって」
「オークの言葉など信じるものではありません。忘れたのですか。貴女には大切な大切な役目があります。そのために生まれてきたのです。外交官だなどと、そんなごっこ遊びはもうやめて、森へ戻りなさい」
「ごっこ……?」
アルヴィナの言葉にサフィナが少しだけ眉根を寄せた。
「サフィナごっこちがう。サフィナちゃんとがいこーかん」
「貴女のような外交官がおりますか」
憧れの少女の戯言と思いつつも、アルヴィナは一応それに付き合ってやる。
時間稼ぎをする必要があるからだ。
現在アルヴィナから連絡をつけてエルフの兵士たちがサフィナたちの所へ向かっている。
彼らが到着すればすぐにサフィナを連れて森の中へと戻り、そのオークは突き殺…すとサフィナが悲しむかもしれないので森に放り出す程度で勘弁してやってもいいだろう。
どうせサフィナの援けがなくばこの森の中で半日ともつまいが。
「サフィナの…やくめ…」
「そうです、サフィナ。貴女にはこの世界の命運を左右する大切な大切な導き手としての役割があります。貴女の託宣をこの森のエルフ一同首を長くして待っていたのですよ」
「おー…たくせん、もうしてる」
「は……?」
サフィナの言葉に、アルヴィナの声が僅かに動揺した。
「よげんも、もうしてる。サフィナはうんめーのみちびきて。だからこの地のめーうんをさゆーする戦いにゆーしゃをおくりとどけるためのしごとは、もうしてる」
「もうしている…とは、どういう意味ですか」
震える声で、アルヴィナが問う。
サフィナが無事なのはわかっていた。
どこにいるのかまでは占術で調べられなかったけれど、生きている事だけはわかっていた。
英雄を導くとされる”深緑の巫女”。
深緑の巫女が生まれるという事は世が動乱に陥る危機という事であり、巫女はエルフの勇者達を導き世界の運命がかかった戦いへと赴かせるのだと思っていた。
アルヴィナはそう思い込んでいたのだ。
「よげんのことばにサフィナがゆーしゃをみちびく、ってあった。でもそのゆーしゃがエルフ族だとは、よげんいってない」
「…………………!!」
アルヴィナが息を飲み、サフィナが虚空を見つめる。
だがその視線は……何もない宙を見つめているようで、確かに、アルヴィナがサフィナを見つめている、不可視の占術の眼をまっすぐと見つめていた。
「サフィナが森を出たのも、さらわれたのも、クラスク村に、ワッフーに助けられたのも、きっとぜんぶそのため。サフィナは……クラスク市のサフィナとして、クラスクとミエとみんなをみちびくの」
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