第589話 ハプニング
その日……アルザス王国王都ギャラグフはいつものような喧噪の中にあった。
ただその雑踏の中から、常とは違うある噂が飛び交っている。
「オークが、来るらしい」
それが最近の彼らのもっとも新しく、そしてセンセーショナルな話題であった。
無論王国は公的には庶民にそのような御触れを出してはいない。
いないがそうした噂は必ず庶民へと広がってゆく。
それは王宮に務める者達が家で家族にうっかり漏らした話が日常の会話…クラスク市で言うところのいわゆるイドバタカイギ…によって広まったり、或いは宮廷に雇われた吟遊詩人などが街の酒場などで唄にして広めたりと、そうした経路が幾つもあるためだ。
人の口には戸は建てられぬ。
彼ら
ともあれ庶民たちはある程度の情報を知っていた。
己の国の南西部に勝手に街が造られているらしいこと。
そしてそこの市長はあろうことかオークであること。
そのオークが地底のよからぬ輩を退けたらしいこと。
それどころかあの伝説の赤竜をも退治したらしいこと。
ある程度という割にはだいぶ色々な伝わっているが、それにはちゃんと理由がある。
クラスク市は情報媒体として吟遊詩人を活用している。
そして吟遊詩人はほうぼうの街を渡り歩いて様々な物語を語り、謡い、そして別の地方地域の情報を伝えてゆく。
いわばこちらの世界に於ける新聞やニュースのような存在なのだ。
まあニュースと呼ぶにはやや信憑性に欠けるし、だいぶ話を大袈裟に盛る傾向があるけれど。
クラスク市はその設立初期よりそんな吟遊詩人たちに優遇政策を施し、彼らを情報媒体として活用してきた。
王宮には宮廷があり、宮廷では様々な理由でしばしばパーティーが開かれる。
そしてパーティーには吟遊詩人がつきものだ。
となれば当然吟遊詩人たちはそれを目当てにしばしば王都へと足を運ぶし、その際街の酒場で各地から集めた情報を語ったり謡ったりすることになる。
その結果クラスク市の物語が王都にて謡い語られる事は決しておかしなことではないのである。
なにせクラスク市とその市長は庶民の興味の的で、何よりあの街はいつも何かのイベントやら災難やらに見舞われて話題に事欠かぬのだから。
まあとはいえ吟遊詩人の語りはだいぶ大袈裟だ。
聴いている側も子供でもなければ皆話半分に聴く。
だから王都の者達は王国の南西部にオークが村を作ったあたりまでは信じても、それが幾重もの城壁に囲まれた堅牢で巨大な城塞都市だなどとは信じてないし。地底軍なんて大げさで実際は
まあそれでも十分な戦果ではあるのだが。
これに関してはクラスクの方にも問題がある。
彼がやり遂げた数々の武勲がオーク族にしては少々大きすぎるのだ。
道化師が騙る法螺よりも彼の真実の方が信憑性がないのである。
まあそれはともかくその街の市長が、噂に聞く大オークが、国王陛下に招かれこの街に来るのだという。
それは皆興味津々というものだろう。
ただ…それが今日この日だったとは、さしもの彼らも思いもしなかっただろうが。
街の南大門がゆっくりと開かれる。
先刻国王直属の翡翠騎士団が戒厳令を敷いた場所だ。
何か危険な魔物でも現れたのだろうか。
そしてそれらは既に駆逐されたという事だろうか。
騎士達に追い払われ西門などに誘導された隊商達から話を聞いても彼ら自身もよく事態が呑み込めていないようで一向に埒があかぬ。
一体何があったのか…と皆が口々に噂しているところで…南門が開いたのだ。
門の向こうから整然と行軍しているのは煌びやかな馬具を身に着けた立派な馬に乗った騎士達だ。
国王直属の精鋭、翡翠騎士団の面々である。
事情はよく呑み込めぬまま、だが行進する彼らを歓呼で迎える街の者達。
実際騎士団というのは街の人気者であり、特に幾つもある騎士団の内比較的気さくで街に出張ることも多い翡翠騎士団は庶民の人気者である。
そんな彼らの行軍となれば庶民たちが盛り上がらぬはずはないのだ。
だが…彼らの歓呼の声は行軍の途中から少しずつ怪訝そうな小声のささやきに取って代わった。
騎士団の後方に、同じく馬に乗り鎧を纏った一団がいたからだ。
見た事のない騎士団である。
馬の大きさや色はまちまち。
鎧は
武器は所持しておらず、なぜかまとめて荷車に乗せて翡翠騎士団が運搬している。
武装解除しているという事は何か悪者なのだろうか。
だがそれにしては縄で縛られているでもないのが気にかかる。
何より驚くべきはその先頭を往く者の姿である。
翡翠騎士団のすぐ後ろ、謎の軍団の先頭で馬を操る謎の人物。
でかい。
とにかくでかい。
巨人族と見紛うばかりの巨体に、彼が跨るに相応しい巨馬。
そして彼だけはなぜか武器を所持したままだ。
だが一体全体何者だろう。
隣国の騎士団にこんな姿格好の者がいただろうか。
「おい、見ろよあの肌の色…」
「ヒッ!?」
「ま、まさかあれって……
「「「オーク…?!」」」
目ざとい者がその集団の正体に気づく。
だが彼らの言葉には妙な疑念が渦巻いていた。
それはそうだろう。
金属鎧を着て馬に乗ったオークなど彼らは見たことも聞いたこともなかった。
そもそもオークにとって馬は食料ではなかったのか?
なにより彼らの整然とした一糸乱れぬ隊列はどうしたことだろう。
前方を往く己が国の騎士団と遜色ないではないか。
「これって……」
「まさか……?」
「「噂に聞くクラスク市の……?」」
ざわざわ、ざわり。
街の住人が口々に小声で囁き合う。
もしかして彼が吟遊詩人たちが謡っていた『あの』オークなのだろうか。
彼らが口々に語っていた見上げるほどの巨躯のオークと、彼を支える漆黒の巨馬。
大袈裟に語っているだろうと話半分に聞いていた庶民たちは、その日初めて知ることになる。
ことそのオークに関しては吟遊詩人たちの語りは決して大袈裟などではなく、紛れもない真実だったと。
しかしいったいどういう行軍なのだろう。
国王から招かれたというのになぜ武装解除させられているのだろう。
確かにオーク達を街に入れるなら武器を奪った方が安心ではあるけれど。
事態がよく理解できぬまま様々な憶測が流れ、語られてゆく。
そんな中で…それは起きた。
球遊び…獣の皮に獣毛を詰めたごく単純なものだが…をしていた子供が、珍しいオークどもの行軍に気を取られ、手にしていた球を落とし転がしてしまったのだ。
慌てた子供は周囲の事など気にもせずに転がる球を追いかけて…オークの行軍の中へと飛び込んでしまった。
上がる悲鳴。
飛ぶ静止の声。
だが子供は止まらない。
気づかない。
オークどもの勘気に触れてあわや若い命が…
静止が間に合わず馬に撥ねられるか踏みつぶされてしまうのでは…
などと見守る観衆たちが息を飲む中…
気づけば、子供の前にあの巨体のオークが膝をついていた。
彼は片手を後方に突き出し行軍を一瞬で止め、馬首を巡らし一息に取って返すと、子供の前を馬が走り去る直前に飛び降りて、転がってきた球をそっと指先で止めた。
そしてびっくりして立ち止まった子供の前でなるべく背を屈め視線を合わせた彼は…指で摘まんだその球をそっと彼の掌の上に置く。
「大事ナものカ?」
「…うん!」
「そうカ。大事ナもの守ル為にオークの前に飛び出すトハ気に入っタ。勇気あルナ!」
そっと子供の頭を撫でたそのオーク、クラスクは…立ち上がると同時にさっとマントを翻し、ゆっくりとだく足で戻ってきた己の愛馬に素早く飛び乗った。
「勇気溢れル少年に拍手を!」
ど、っと観衆が湧いた。
それは明らかに彼らの知るオークではなく…けれど同時に彼らが吟遊詩人の謡を聞き勝手に抱いていた英雄クラスク像と重なったからだ。
彼の言葉通り拍手が沸き起こる。
だがそれは少年へと向けられたものではなく、どちらかと言えばクラスクに、そしてその配下たるオーク達に向けられたもののように聞こえた。
どこか高揚した様子で群衆の中に戻ってきた子供を母親が慌てて抱き留める。
少年の瞳には激しい興奮があり、母親を心配させる。
どこか怪我でもしやしないかと子供の身体をまさぐった母親は…少年が球と一緒に盛っているものに気づいてぎょっとした。
それは金貨だった。
庶民が滅多に見る事の出来ない高価な貨幣。
それもこの街で流通しているものより若干大きめのものだ。
庶民の出たるその母親には気づき得なかったが、それは滅んだ国の貨幣、ニールウォール金貨だった。
「これ、どうしたの!」
「もらった。ゆうきのおだちんだって」
その子供の言葉はたちまち周囲の者達に伝わり…遠からず街中の庶民たちの耳に届くことになった。
そして彼らは…ハプニングを巧みに利用したクラスクの意図通り皆同じ感想を抱くことになる。
国王様が招いたそのオークはどうやらただ者じゃなさそうだぞ、と。
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