第566話 運命の手紙

春風が麦畑を吹き抜けてゆく。

収穫はまだまだ先とはいえ、緑の麦穂が美しく風に揺れた。


その麦畑の片隅に、人の輪ができている。

農夫たちが輪をつくって座り込み、中央にいる人物の話に耳を傾けていた。


大柄な人物だ。

いや巨漢と言っていい。

だがその巨躯からはその大きさ程に威圧感は感じられず、むしろ周囲の農夫たちは随分とリラックスしているように見える。


「そこデ俺ハあの大トカゲに言っテやっタ。『うちのヨメにはお前のサイズデカすぎル!』トナ」


どっと沸く農夫たち。

その中心で身振り手振りを交えながら面白おかしく竜退治について語る巨体のオーク……クラスク。


つい先刻腰を抜かさんばかりに驚いていた農夫たちは、今やすっかり彼の話術の虜となっていた。


「ワハハハハハ! それで嫁さんはなんて言ったんだ!」

「怒られタ」


大笑いが麦畑に広がって、クラスクの言葉に思わず吹き出す者もいる始末。

もはや最初の警戒心はどこへやら、である。


「さテ……そロそロ時間ダ」


のそりと腰を上げるクラスク。

農夫たちはその巨躯に改めて驚く。


「でっけーなあ…」

「いやほんとたまげた。オークっつーてもこんなにでかいのは初めてだわ」

「よく言われル」


大きく伸びをするクラスクを農夫達に混じって話に聞き入っていた子供たちが羨望の眼差しで見上げている。

彼らからすれば目の前に物語の英雄がいるような気分なのだろう。

まあ実際クラスクが成し遂げたのは後世に語り継がれるレベルの英雄譚なのだけれど。


クラスクは少年たちの視線に気づくとたった一歩で彼らの前までやって来る。

そしてびっくりして目を丸くしている子供たちを怖がらせぬよう腰を落とし視線を合わせ、にこりと笑うと彼らを抱えて高く高く掲げた。


一瞬驚き怯えたその少年たちは、けれど視界が一気に開け、見慣れた光景が一変すると驚嘆と高揚に思わず嘆声を漏らす。

まるで木の上から、丘の上から自分たちの村を見下ろしているかのよう。

いつもはあまり先まで見通せぬ麦穂が、まるで黄金の絨毯のように眼下に広がっている。



まあ時期的に黄金と呼ぶにはその麦は少々青臭かったけれど。



きゃっきゃとはしゃぐ友達の様子を見て、他の子どもたちが我も我もとクラスクにせがむ。

クラスクは分け隔てなく全員を空高く掲げた後、農夫たちに手を振って再び馬上の人となった。


「イヤーノンビリシタ村ダッタナ」

「ダッタ。アトスゴイ油断シテタ」

「シテタシテタ。アノ麦奪イ取り放題ダッタナ」

「ダッタ。燃エソウナ家ダッタナー」

「「ナー」」


すっかり気を許し手を振る農夫たちにこれまた笑顔で手を振り返しているオークどもがなんとも物騒な会話を交わしている。

彼らの会話はオーク語なので農夫たちにはさっぱりわからないし、そもそも和やかな表情をしている彼らがそんな危険極まりない話題をしているとは夢にも思っていない。


無論クラスク配下のオークどもにもはやそんな凶悪さはなく、あくまで冗談として語っているに過ぎないのだけれど、もしオーク語を僅かでも解する者がいたなら飛び上がって驚き慌てた事だろう。

それほどに農村部におけるオーク族と言うのは忌避と恐怖の象徴なのだ。


逆に言えば会って早々に彼らとあれほど打ち解けられてしまうクラスクがいかに好人物であるか、という事でもある。

同じ人間族でも初見の相手になかなかああはできまい。


「……道中急イダノハアイツラト話スタメカ」

「ソウダ」


オーク騎馬隊の先頭を行くクラスクに話しかけてきたのは副将にして彼の親友たるラオクィクだ。


「ナンデコンナコトスル」

「俺達の相手ハこの国ト喧嘩シニ来タわけジャナイ」

「知っテル」

「ダガ喧嘩にならナイトハ断言デキナイ」

「ワカッテル」

「ドっちに転ぶにシロ俺達ハこの国ト事にナル。ならこの国がドウイウ国カ知っテおく必要アル」

「ソレデアイツラカ」

「そうダ」



さて……そもそもなぜクラスク達がこんなところにいるのだろうか。



ひと月ほど前、アルザス王国からクラスク市に書面が届けられた。

文面としては実に単純なものである。


『クラスク殿は名高き名剣“魔竜殺し”を有していると聞く。是非一度目にしたいものだ。王都にいらして拝見させてはもらえぬだろうか』


そして…国王の署名が記され、通行許可証が付帯していた。



クラスク市首脳陣に衝撃が走り、すぐさま円卓会議が招集された。



「遂に来る時が来た……という事か」


キャスが眉根を寄せて小さく呻く。


「まさかで呼び出すとはのう」

「手紙を出してきたってことはそれなりに認めたって事じゃねーの?」


シャミルが苦虫を噛み潰したような表情で手紙をひらひらと揺らし、ゲルダがなんとも楽観的な意見を述べる。


「そんなわけあるか阿呆」

「うへ手厳しい」


普段であればここでサフィナがゲルダの側に立って万歳でもしてくれるところなのだろうけれど、残念ながら彼女は長期不在であり、その日の円卓に彼女の味方をしてくれる者はいなかった。


「この街を認めてくれてるなら旦那様の事を『市長』なり『太守』なりって呼び方をするはずですものねえ」

「…そうだな、ミエ。逆に言えばそういう書き方をしてしまえばこの国がこの街の存在を認めた事になってしまうし、我々にそれを喧伝されてしまう恐れもある。安易にそうした文面は書けんだろうよ」

「私たちに揚げ足を取られたくないってことですか」

「そう言う事だ」


ミエの言葉にキャスが頷き、同意するようにエモニモが小さく頷くとそっと己の腹を撫でる。


「…エモニモさん、あまり無理なさらないでくださいね」

「いえ。アルザス王国との一件は私にとって他人事ではありませんから」


ミエが気遣うように告げるが、エモニモは小さくかぶりを振って低く息を吐いた。


現在彼女の腹は大きく張っており、出産もほど近いのではと思われる。

小さな体には不似合いな程腹が大きく、見る者に母体の危険を感じさせずにはいられない。


なにせオークの子である。

それが小柄な彼女の腹に宿っているのだから苦しそうなのも当然と言える。


「まー無理すんなって。一応あたしも少しは家事覚えたからさー」


一方で腹回りがやけにすっきりしているのはゲルダである。

彼女は既に出産を終え、職務にも復帰していた。



オーク族と結婚した(この街以外のオークであれば無理矢理犯され子を孕まされた、であろうが)大概の女性はひどく苦しむこととなるであろうことは以前にも述べた。


ただオークの子を産むほとんどの娘が受けるであろうそうした苦しみをほとんど受けずに出産を迎えた者がいた。

ゲルダである。


なにせ彼女は半分とはいえ巨人族だ。

背丈にも夫のラオクィクと遜色ないし、横幅ならむしろ彼女の方が上である。


そんな彼女からすればオークの子供など人間族同士の並の出産と大差ない。

むしろ若干楽まである。


なおゲルダは出産直後から元気に動き回り、運動能力も大して落ちていなかった。

食人鬼オーガの血を引いているからだろうか。

経産婦だというのに恐ろしい程の筋肉の張りで、運動不足でだいぶなまってしまっているエモニモをいたく羨ましがらせたものだ。


ただゲルダにも依然とだいぶ変わってしまっている部分がある。


胸部である。

授乳の関係で乳房が以前より一層大きく張ってしまっているのだ。





ちなみに会議に出ている現在、ゲルダの子は乳母であるマルトに預けられている。

どうやら彼女もまたミエともどもマルトに当分頭が上がらぬ生活をすることになりそうだった。





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