第562話 (第十章最終話)太守不在

「調ベルッツーテモ巨人族ダカラナ。本人ニモイロイロ聞クゾ。ソレデイーンダナ?」

「はい。ご本人を疑ってるわけではないので」

「フーン……?」


かつて地底の住人だったスフォーからすれば今日会ったばかりの異種族の娘(あの巨人を娘と呼称するにはスフォーにとっては少々巨大すぎたが)を会ったその日に信用するなどと凡そ信じ難かったけれど、それが地上の、そして目の前の女の強さであることもまた彼は理解していた。

そうでなくばあれほど万全の準備を整えた地底軍が小さな城(当時)ひとつ落とせず撤退するなどという失態起こり得るはずがないからだ。


「ソレジャア調ベルダケ調ベテミルゼ。街ノ外ニ出ルカモシレネエカラ少シカカルカモダゼ」

「はい! 御予算の方はいつも通り申請して……」

「阿保。ニンゲンドモノ金モラッテココノ街以外デ俺ガドウ使ウンダヨ」

「そうでした」


この街でなら彼は比較的認知度が高い。

街が適格者に配布している許可証を首から下げていればゴブリンだろうとそれなりに買い物なども可能だ。

そもそも許可証を得ている時点で共通語は十分話せるはずであり、多少のいざこざは当人で回避できるはずである。


まあスフォーの場合普段街中では無用な混乱を避け他人の影に隠れて移動し、用のある店以外で衆目に晒されるような真似はしないのだろうが。


「マ、必要ナラ後デ請求スルワ。ソレジャア任サテタ」

「はい、お任せしました!」


ぺこりんと頭を下げるミエ。


「……一番調ベタイノハオ前ダガナ」

「? なんですか?」

「ナンデモネエ」


ぼそりと小声でつぶやいたセリフはゴブリン語だったこともありミエには伝わらなかったようだ。


普通の人間族ならゴブリンを見ればもっと

地上でも旅人が夜営中にゴブリンに襲われることは珍しくないし毒を使ったりもしてくるし、何より単純に人間族の目で見て彼らは醜い。

こちらを襲ってこないと理性で理解した上でさえ、ほとんどの人間族はゴブリン相手に多少の警戒はするものだ。


それをこうも当たり前のように人当たりよく接してくるこの娘は一体何なのだろうか。

太守クラスクの第一夫人に収まったのもその美的感覚がズレているせいなのだろうか。

スフォーの疑問は尽きぬ。


ただ仕事は仕事である。

彼は割り切ってその小人族フィダス並の小柄な体躯にしては大きすぎる椅子から飛び降りると一瞬で姿を消した。

目の前でいきなり見えなくなったミエはぎょっとしてきょろきょろ周囲を見渡すが当然何も見つからない。

幾度か目をこすった彼女は、誰もいない壁の方に向かって再度ぺこりと頭を下げると酒場を後にした。


「おまたせしましたー…って早かったですねシャミルさん」

「お主が遅いんじゃ」

「おー…シャミル早かった。いそいでもどってきた」

「皆まで言わんでよろしい」

「うまふひゃへへはひー」


サフィナの口を横に引っ張るシャミルにくすくすと笑いながらミエが車に乗り込む。

改めてこれをこの世界の技術のみで造り上げたシャミルに感心した。


「それにしてもよく造れちゃいますねーこんなの」

「アイデア出しはお主じゃろ。わしは実現の算段をつけただけじゃ」

「つけただけじゃて」


それが簡単にできるなら彼女の世界ではもっと早くに飛行機が実現できていたはずだ。

理想に技術を合わせるというのは相当に大変な事なのである。


「ただ本格的に運用するなら整地の必要性が高いですよねー」

「おー…ごとごと揺れる。楽しい」

「趣味で楽しむ分にはそれでいいんでしょうけどねー」


両手を挙げてはしゃぐサフィナの頭を撫でながらミエが苦笑する。


「まあそうじゃな。今のままでは乗り心地は世辞にも良いとはいえんしの」


尻を撫でながらシャミルが不満をごちる。


「アスファルトかゴムタイヤか、せめてサスペンションがあれば違うんでしょうけどねえ」

「待てミエ今何と言ったか。全部教えんか」

「あー…えっと…」


思わず口走った元の世界の知識にシャミルが食いついてミエが困ったように頭を掻いた。


「簡単に言っちゃうと地面を整地するか、車輪を弾力のあるものに変えるか、車輪からくる衝撃を車体で吸収するか、ってことですね」

「ふむ、その程度ならわしも考えとったわい」


当然シャミルも乗り心地について考えてはいた。

なにせあまりに揺れが酷いと己の尻への負担がとても大きいのだ。


ただ試作車一台のために街の地面をまるごと整地することはできないし、そもそもそれではこの街の中でしか乗り心地が向上しない。


車輪の材質についても色々試してみたけれど、強度を考えるとなかなかに金属の車輪を変えることはできぬ。

なにせこの地方には現状ゴムの木やそれに類するものが存在しないのである。

まあシャミルはそもそもゴム自体の存在を知らないだろうが。


「なるほど…確かにそっち方面は難しそうですねえ」


ゴムの木はそもそも熱帯地方原産で、特に高温多湿であることが望ましい。

土地自体は痩せていてもある程度問題ないが、強風には弱い。


冷涼かつ乾燥した気候で、かつ常に多島丘陵エルグファヴォレジファートからの山おろし…もとい丘おろしだろうか…に晒されているこの地域には育ちようがないのである。


「とはいっても高温多湿と強風への防護自体は達成できてますし、元になる素材がどこかに生えてれば輸入して対応できるかもですが…」

「何の話をしとるんじゃ」

「あいえこっちの話です」


この地方は確かにゴムノキの育成には不適である。

ただし…この街の西部だけは話が別だ。


そこにはミエが導入した魔具により外部の環境から護られた、高温多湿のがある。

ここであればゴムノキを育てるのに十分な環境が整っているはずだ。


まあ環境があるかどうかとこの世界のゴムノキが存在すのかどうかはまた別の話なのだけれど、とりあえず今度アーリに相談してみよう、などと考えるミエであった。


「で残りの車体の方じゃが…屋根を付けて車体をぶら下げたり色々試したみたんじゃが、なかなかしっくりくるものがなくてのう。お主の言うさすぺんしょんとはどういう機構じゃ」

「えーっと私もあまり詳しくはないんですけど……こうなんでしょう。発条バネを使う感じでー」

「バネ? 弩などに使われておるあれか?」

「あー…そういう認識になっちゃいますか……」


バネと言うとスプリングやコイルなどを思い浮かべる事が多いが、厳密には物体の弾性…『変形すること』と『戻ること』を利用した機構の事を指すため、獣を捕えるトラバサミや弓などもすべてバネ仕掛け、ということになる。

つまり現状この世界にはバネを衝撃吸収に利用しようという発想がまだないわけだ。


「こう…なんでしょう、螺旋状にくるくるくるーって巻いた金属を造ればですね、押したら戻るバネになるじゃないですか。これを車輪なんかの車体の下と人が乗る部分の間にうまーくつけてやれば……」

「ほおおおおおおう! 成程! それは面白そうじゃな! 引っ張ったら戻るではなく押して戻るバネか! 以前フィギュアを輸送する用に造ったあの魔具を魔術の力なく実現できそうじゃな!」

「あー、そういえばそんなのもありましたね」

「上手くすればこの車から馬車に転用できるかもしれん。とするとアーリから予算が捻出できるやもじゃ。これは面白くなってきたぞ!」

「おー…お尻いたくなくなる…?」

「うむ、! うむ! アーリを説得できればの!」

「おー…ならサフィナもきょーりょくする……」

「それは助かるの! よし工房に戻る前にアーリンツ商会に殴り込みじゃ!」

「おー…なぐりこむ」


両手を掲げてバンザイのポーズを取ったサフィナが車の横にしがみつく。

今すぐにでも『なぐりこみ』に行くつもりのようだ。


「あー…手加減して上げてくださいねー…あはははは」


乾いた笑いを漏らしたミエは、己がもたらすであろう若干の皮肉について少し思い悩んだ。


本来であればサスペンションの導入は馬車の乗り心地の悪さが原因であり、そこからそのまま初期の自動車へと引き継がれたはずだ。

だがこのままではこの世界は自動車から馬車に引き継がれてゆくことになる。

そうしたを自分はこの世界にもたらして果たしていいものなのだろうかと、ミエは内心懊悩した。


こんな時……彼がいれば。

夫であるクラスクがいればいろいろと相談できるのだけれど。



いない。

クラスクは今、この街にいないのだ。




「ハァ……旦那様、上手くやっているのかしら」




クラスクは現在オーク騎馬隊と共にこの街を発ちギャラグフの街へと向かっている。







クラスクとミエが国土の内側に勝手に街を造り発展させているアルザス王国…

その王国の王都、ギャラグフである。






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