第561話 盗族酒場

かの伝説の赤竜討伐の折、ミエとクラスクがその重要性について骨身に染みたものがあった。


『冒険者』である。


軍隊が相手できない、或いは相手しにくい強大な『個』。

それを討つためのシステムとして、彼ら冒険者は非常に有用なのだ。


無論この街にも冒険者は居ついている。

下街……今は中街と名を変えているが……にある冒険者の酒場にて彼らに仕事を依頼することもできるし、つい先刻も巨人娘ヴィラウアの一件で彼らの助力を借りた。


それはいい。

よそからやって来た冒険者が居つく分には十分な準備が整っているはずだ。


問題は……この街で冒険者の一団が結成される時である。


戦士はいい。

この街は戦士が豊富だ。

すぐに集まるだろう。


魔導師もいい。

この街には魔導学院がある。

魔導師やその卵たちに冒険者稼業への興味があるかどうかはともかくとして、人材自体は輩出できる。


聖職者もなんとかなりそうだ。

天翼族ユームズ達がこの街に移り住んだ折郵便局員として働く者が多かったが、同時に聖職者を希望する者も少なくなかった。

実際この街は拡大の一途を辿り、その人口増にイエタが務めている上街西部の聖堂だけでは手が足りなくなってきており、彼らの申し出は街にとっても渡りに船だった。


結果として現在、複音教会ダーク・グファルグフは上街西部のイエタが務める教会だけでなく、中街に三つ、さらに下街に七つの小教会が誕生し、近在の住民たちの礼拝の場所となっている。


彼らが冒険に興味があるかどうかはともかくとして、聖職者自体が致命的に不足しているという事はない。



ただ……盗族だけは別である。



なにせ下街(現中街)を整備する際サフィナの感応の力を借りて街中から犯罪の芽をあらかた摘み取ってしまった。

無論犯罪がゼロになったというわけではないし、その後根を張った連中もいるのだろうけれど、少なくとも現在この街に犯罪を標榜、或いは統括する組織は存在していない。


盗族は重要だ。

冒険者の一向に盗族がいるといないとでは道中の安全度に格段の差が生じる。

そのことをミエもクラスクも赤竜討伐の際に骨身に染みて理解していた。


まあ彼らに関してはその体感した盗族の実力がちょっと高すぎたところはある。

道中の罠と言う罠をあれほど華麗に予見し解除し無力化してパーティーをピクニック同然にボスに連れていける盗族など探してもそうそういるものではない。


とはいえあれほどの実力者でなくともパーティーを結成する際に盗族に一人や二人調達できぬようでは色々と困る。

だから盗族を訓練する組織は欲しい。



だが……



まずこの街の比較的初期の移住者たちにはギルドという組織自体に忌避感が強い。

他の街の男性的価値観に支配されている職工ギルドに女性だからという理由で不当な差別を受け、受け入れてくれるならオーク族の村ですらマシ、といった理由で移住を希望した女性が少なくなかったからだ。


現在近隣諸国でもその服が流行するようになった服飾職人のエッゴティラ、木工所統括として木材の需給と植林を受け持っているホロル、街一番の馬具店の店長たる鞍師トッレなど、例を挙げれば枚挙に暇がない。


また盗族ギルドを許容するということは、同時に街での犯罪を暗に認めるという事に等しい。

彼らは犯罪者を統括し、その中から技術者としての盗族を輩出している組織だからだ。


もちろん人がつどう場所で犯罪を完全に無くす事は不可能だろうし、そういう意味ではそうした組織に犯罪者を統括させそこと裏で繋がっていた方が為政者的には楽かもしれない。

少なからぬ上納金もあることだろう。

だがいかに犯罪を抑止するためとはいえ、街の為政者側が犯罪を許認するようなあり方は駄目だと、ミエは判断した。


ゆえに盗族ギルドは作らない。

けれど盗族自体は欲しい。



色々考えた上で、さらに紆余曲折の末に採用されたのが……ミエが現在いるこの場所、『盗族酒場』である。



盗族酒場はそもそもがまず酒場である。

酒場なので当然酒も出すし食事も提供する。

まったくの一般人や観光客も普通に来店して食事を摂ったりもする。

この酒場は単なる偽装ではなくそれを副収入としているため、接客も料理の腕もなかなかのものだ。


さらにこの酒場は公開されている。

街の観光案内のパンフレットにすら載っている。

盗族ギルドのように場所が秘されているわけではないのだ。

ゆえに誰でも足を運ぶことができる。



そして……この最大の目的が……『盗賊技術の修得』と『盗賊技術の供与』である。



要は犯罪者としての手練を盗族と言う技能職に適用した盗賊ギルトと異なり、この盗族酒場は純粋に盗族をとして扱い、育成・養成し輩出することを目的としているのだ。


技術を修得した盗族たちは冒険者となるもよし、街の技術職として酒場に登録し仕事を請け負うもよし。

街の依頼を受ければ当然給金を得ることができる。


盗族酒場の初代店長はアーリである。

つまりこの酒場は広義にはアーリンツ商会の傘下、ということだ。


何せ赤竜討伐隊の一人である凄腕の盗族が店長なのだ。

盗族やその見習いたちにとっても文句のあろうはずがない。


まあアーリ本人は己の活躍が吟遊詩人たちによって色々盛られ過ぎて色々閉口していたが。


今ミエの前にいるゴブリン、スフォーもまたこの盗族酒場に登録している盗族の一人である。


とは言っても彼は盗族技術をこの酒場で学んだわけではない。

元から盗族だった者が、酒場に後から登録した口である。


彼がこの街にやって来た経緯もなかなかに数奇だ。

なにせかつて彼はこの街を襲撃する側だったのだから。



そう……このゴブリン、スフォーはかつてこの街を襲撃した地底軍の一員だったのだ

だ。



盗族としての技術を学び、地底の法に則って強い者に付き従っていた彼は、かの攻城戦の折この城の城壁を越えんと挑んだ一人だった。

だが結局その時はその壁を越えることは叶わず、仲間の死体に隠れ巡回をやり過ごし逃走した。


だが彼は身を潜めていたせいで速やかに撤退した地底軍の残党と合流することは叶わず、一人地上にとり残された。


まあ合流した地底軍どももいざ地底に戻ろうとした時には既にその天窓が爆破されており地底に帰ることは叶わず、多島丘陵エルグファヴォレジファートのあちこちに隠れては各国に占術などによって探知され地元の軍隊に追い回されて数を減らし、遂には散り散りになって逃散ちょうさんし軍隊としての体を失ってしまったというから、果たして彼らと合流できなかったことが不幸だったのかどうかはわからない。


ともあれ一人残された彼は、その壁を越えられなかった自分がどうしても許せなかった。

そこで夜に紛れ登攀により幾度もその城壁の突破を試みたのだ。


とはいえ夜の闇は人間の衛兵はともかくオーク達にとっては昼間となんら変わらぬ。

幾度も幾度も見つかっては追い回された彼は、けれど決してあきらめることなく、遠間から衛兵の巡回パターンを分析、そして≪暗視≫を持たぬ人間族の衛兵が巡回しているタイミングを見切り、遂に挑戦から数か月後、場内に進入することに成功したのだ。



……そこで彼は、大いに驚いた。



高く聳える建物の群れ、整然と整った街並み…それは彼が想像していたあらゆる街を超えて美しかったからだ。


呆然とへたり込む彼の周囲を、いつの間にかオーク兵が取り囲んでいた。

幾度も城壁に挑む変わり者のゴブリンとしてクラスクの耳に入った彼は、ネッカの占術によって襲撃日を予測され、あらかじめ待ち受けられていたのである。


そしてサフィナによって敵意や悪意がない…いや正確には元はあったのかもしれないが、その壁に幾度も挑んでいるうちにすっかり手段と目的が入れ替わっていたものらしく、少なくとも捕らえられた時点ではなくなっていたらしい…彼は、ネッカの通訳の下、クラスクの説得によりこの街にこっそり住み着くこととなった。

人食い鬼オーガのユーアレニルとはまた別の、この街の非人型生物フェインミューブの住人の初期組と言える。


クラスク市としても彼の存在は非常に有難かった。

なにせ地底の情報を知り得る数少ない情報源である。

二度にわたり襲撃を受けた彼らとしてはとても重宝する存在となったのだ。





こうしてそのゴブリン・スフォーはこの街に住み着き、共通語ギンニムを学んで……盗族酒場が発足した今、ここで仕事を受けつつ盗族見習い達に技術指導をするようになっていたのである。





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