第524話 オークの勝因、竜の敗因
地べたに転がる竜の首。
その瞳にはもはや光なく。ただ虚空を見上げるのみだ。
大きく、大きく息を吐いたクラスクは、己の右腕…その斧を高く掲げると、火口中に響き渡る
「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!」
余韻が火口の壁を幾重にも反響する。
そしてそれがゆっくりと消えたあたりで……上の方から小さな小さな音が聞こえ、低く反響しながら火口まで届いた。
遥か山頂にて配下のオークどもが応えたのだろうか。
そして……この地方の覇者として君臨していた赤竜に挑んだクラスクの仲間たちが、わっと声を上げて彼の周りに集まってゆく。
そんな彼らに…クラスクが一人一人ねぎらいの言葉をかけてゆく。
「キャス。助かっタ」
「ああ、クラスク殿。やり遂げたな」
「コルキも頑張っタ」
「ばう! ばうばう!」
常にクラスクのフォローをし前線を駆け続けた二人…もとい一人と一匹。
汗まみれの笑顔で答えるハーフエルフの魔法剣士キャスと、魔狼コルキ。
彼が一時的にとはいえ死亡した時は、壁を隔てられ援護の魔術もなにもなく赤竜と一対二、という状況の中、赤竜に補助魔術を唱える隙を与えず全力で攻め立て続けた。
もしあそこで赤竜が己の強化の呪文を上乗せしていたらその後のクラスクの逆転劇は起こらなかったかもしれないと考えるとその功績はとても大きい。
特に赤竜の奥の手たる雷撃の吐息を見事に攻略し、竜の余裕を奪うに至った魔法剣士キャスの活躍は目を瞠るものがあった。
「ネッカ、よくやっタ。やり遂げタナ」
「ク、クラさまぁぁぁぁぁぁぁ~~~~~!!」
ドワーフの魔導師、ネッカ。
圧倒的な魔力を誇る赤竜の魔術をほぼほぼ完封し、彼を魔導戦に於いて優位に立たせなかったのはひとえに彼女の功績である。
特に大量の補助魔術で固めなければ足元にも及ばぬ程の彼我の戦闘力の差を考えると、彼女が赤竜の〈
本来魔導術は高位になるほど威力と精度が破格に上がる傾向があるため己より格上との魔導術の対決は基本勝ち目がない。
対抗魔術のみという限定付きとはいえそれをやり遂げた彼女は間違いなく今回の戦いの立役者と言っていいだろう。
「アーリ。よく逃げ出さなかっタナ」
「言うに事欠いてアーリへのねぎらいの言葉がそれかニャ」
今回は獣人族の盗族として参戦したアーリンツ。
その商人としての膨大な資金力によって様々な武器や魔具、それに呪文の巻物などをかき集める様はまさに物量作戦と呼ぶに相応しい。
かつて仲間の魔導師にこれほど万全の準備を整えさせたパトロンは他にいないだろう。
また盗族としても迷宮のあらゆる罠と謎を無に帰すその突破力にて仲間たちの被害を最小限に抑え、かつてない程完全な状態で竜に挑めるようにしたのは間違いなく彼女の手腕によるところが大きい。
「……ミエ。無茶をすルナ」
「えへへー……」
互いに目を目で見つめ合い、ミエが少し照れたように頭を掻いて顔を背けた。
ひたすら≪応援≫によって味方の士気を上げ続け、バフをかけ続け、≪畏怖たるその身≫の宿った咆哮すらも耐え抜かせたのは彼女のお陰だ。
また最後のクラスクの逆転劇も、彼の斧がミエの血をたらふく啜っていたからこそ成立していたものであり、ミエなくしてこの戦いの勝利はあり得なかっただろう。
「褒めテナイ!」
「きゃんっ!」
「ドウシテあんな無茶をシタ!」
「えーっと……予言で言われてた私の状態あるじゃないですか。あの真っ青になって倒れてるっていう……あの時あれを相手じゃなくて自分でやれば予言の見立てになるんじゃないかなーって思って……」
「「「あ……」」」
ミエの言葉で皆が今更ながらに気が付いた。
火山の火口の壁際。
崩れ落ちるミエ。
青ざめた肌の色。
確かにそれはミエが死んだ暗喩ともとれる。
けれどミエが自ら呪われた斧に血を与え、貧血で倒れた場合でも、確かに全く同じ構図になるのでは……?
「そーゆー事カ」
「だとしても無茶をする」
「し、心配したんでふぅぅ~~~」
「ふふ、ありがとうございます。さ、旦那様」
ミエがクラスクの前で頭を下げて一歩下がる。
そして……最後の功労者がクラスクの前に進み出た。
イエタである。
このパーティーの回復役で、〈
竜の最大の火力である≪竜の吐息≫すらも、その炎を完全に、そして雷撃の吐息すらも半分防いで見せたのは彼女の卓越した神聖魔術であり、竜の隙に唱え重ね続けた補助魔術はパーティーの戦力を維持向上させ続けた。
そしてクラスクの蘇生。
高位の聖職者のみが成し得る奇跡を以て彼をこの世に呼び戻し、その後の逆転の端緒となった。
ただ仮にそれがなくとも相手の圧倒的巨体の膨大な体力を考えれば短期決戦での勝利があり得ず、彼女がいなければ間違いなくクラスク達はジリ貧に追い込まれて敗北していただろう。
それほどに彼女の功績は絶大である。
「イエタ……」
「クラスク様……」
いつもは細めている瞳を僅かに開けて、どこか上気した表情、潤んだ瞳でイエタがクラスクを見つめる。
そして何を思い出したのか、その細い細い人差し指で己の唇にそっと触れ、優しくその輪郭をなぞった。
「その…なんダ」
「はい」
「大トカゲ……アー竜倒す為に必要ナ事ダッタ」
「はい」
「ダから…なんダ」
二人はじっと見つめ合い、そして同時に口を開いた。
「魔物の襲われタトデモ思っテ忘れt」
「ふつつか者ですがよろしくお願いしますっ!」
しばしの静寂。
さらにしばらくの静寂。
互いに目を丸くして、さらに見つめ合って、その静寂がもうひと伸び。
あれ?
あら?
そしてお互い不思議そうに首を捻る。
そんな中、ただコルキだけが『まもの? まもの? おれのこと? おれのこと?』とでも言いたげに尻尾を振ってばうばうと吠えながら周囲を跳ねまわっていた。
「アー……イエタ?」
「ええっと、その、ク、クラスク様は幾人も御内儀様がいらっしゃるので、てっきりわたくしも加えて戴けるものかと……」
肩をすぼめて、耳先まで赤くなりながらイエタが呟く。
「イヤイエタがイイならむしロ有難イんダガ……イイノカ? 俺デ?」
クラスクが己を指さし顔を近づけて問いかけると、イエタは赤い頬をいや染めて、そのまま上目遣いにこくりと頷いた。
わ、と歓声が沸き上がる。。
彼らが勝利の凱歌を謳った地は、新たな伴侶を得た祝福の地ともなったのだ。
× × ×
さてクラスク達はこの地に君臨する最強種、赤竜イクスク・ヴェクヲクスに見事勝利してのけた。
あらゆる口伝や文献を漁って彼の弱点を探し、行動パターンを洗い出し、徹底的にメタを張って勝ちを呼び寄せた。
ただ…彼らが認識している要因だけではこの勝利は少し語り足りぬ。
クラスク達一行が認識しているのは『彼らの勝因』であって、『赤竜の敗因』ではないからだ。
彼らが気づいていない赤竜が敗因は……さらに二つあった。
一つはクラスクとその手にした斧だ。
彼が手にした斧には強い呪詛がある。
それこそ手にした者を呪殺するか、或いは持ち手を操って敵でも味方でも構わず襲いかかり
存在自体が魔導の深淵にほど近い竜種は、それが見えるのだ。
彼にとっては不可解極まりなかったことだろう。
雌を奴隷としてしか扱わぬはずのオーク種が、複数の女を自発的に、それも高い士気で従わせ、それでいてそんな剣呑極まりない斧を彼女らの前で平然と振るっているその姿は。
ゆえに彼はクラスクを過剰に警戒し、その攻撃を全て硬い鱗で受け続けた。
それがクラスクが最後の最後まで苦戦し続けた原因ともなった。
だがそうして神経を尖らせ続けた彼は、それゆえにクラスクからの圧によって徐々に正常な判断力を奪われていった。
本来の彼であればあの石壁が崩れ、その先でクラスクが息を吹き返しており、その上イエタが彼の謎めいた加護の庇護対象に加わっていたと認識した時点で巣穴から徹底していたはずなのだ。
年経た竜は巣穴から逃げ出さぬ。
それは確かに帰納的に成立し、高確率で事実ではある。
だがそれは100%確実に成立するとは限らない。
特に赤竜イクスク・ヴェクヲクスは己の財宝に呪詛を撒いており、彼から奪われた財宝は彼が生きている限りその持ち主を次々と呪い殺しながら最終的に彼の元へと返ってくるようになっていた。
ゆえに彼にとっては必要とあらば己の財貨を放り捨てて巣穴から逃亡するのは十分にあり得る選択肢だったのだ。
逃げ出す事より命を失う事の方がずっとリスクが高かったからである。
余力がある内に彼に逃走を試みられた場合クラスク達にはそれを阻止する手立てがない。
山頂のオークどもも彼が万全の状態であれば簡単に全滅させられていたはずだ。
だが彼はそうできなかった。
このオークはこの場で殺しておかなければと思ってしまったのだ。
そう思わせたのはクラスクがその不気味な斧で彼に圧を駆け続けてきたお陰なのだけれど、クラスクは遂に最後までそれに気づくことはなかった。
そして赤竜のもう一つの敗因が……ミエである。
赤竜イクスク・ヴェクヲクスにとって、
ちょっとつつけば死んでしまうし、それに彼らから少し光り物を奪うだけで烈火の如く怒るのである。
奪われるのは弱いからだろう。
己の弱さをさもこちらが悪いかのように言い立てるとはなんと我儘な連中だろうか。
彼らから財貨を楽に奪うために
村を全滅させ生き残りを連れ帰り言葉を教わったのだ。
ただそうした時も彼らは死んだような眼をし、或いは怯え震えるのみで、これまた似たような反応しかしない。
怒りや憎悪。
悲嘆や絶望。
畏怖や恐怖。
そして畏敬や憧憬。
彼らが向けてくる感情はどれもこれも似たり寄ったりだ。
で、多様性を好む竜種には
だがその娘は違った。
仲間にするように当たり前のように彼に話しかけ、あまつさえ彼の言葉を言い直させすらした。
それがとても赤竜の興味を引いたのだ。
赤竜は占術によってクラスク達の襲撃を予期していた。
ゆえに扉越しに最初の不意打ちを敢行できたのだ。
そして彼らが自分たちが襲撃しようとしているあの街の住人だという事も知っていた。
だとしたらその娘の反応はおかしくはないだろうか。
知り合いを殺された怒りや憎悪はどうした。
なぜ最強種たる我を恐れていない。恐怖しない。
その不可思議な態度は、なんだ。
彼女の取った言動は彼女の世界ではさして珍しいものではない。
単なる『主張が異なる者同士の相互理解』である。
まあ知り合いを殺害した相手に対しなおそれを向けられる者が彼女の世界にどれくらいいるのかは疑問だし、向こうの世界でかろうじて生を繋いでいた当時、常に死を身近に感じていた彼女だからこそ身に着いた境地なのかもしれないけれど。
いずれにせよその竜は……
その娘に、ミエに価値を見出してしまった。
他種族を見下す竜種としては滅多にないことであり、前例が目撃されたことが皆無なためシャミルを含め
つまりあの時点で、ミエは赤竜イクスク・ヴェクヲクスに財宝と認識されてしまったのである。
ゆえにあの会話以降、赤竜の動きが明らかに変わった。
ミエへの攻撃は控えるようになり、彼の意図が悟られぬようミエを攻撃するような時であっても、必ずクラスクが間に合うような位置でしか行われなかった。
見た目通り身体能力に劣る彼女を巻き込まぬよう尻尾のような範囲攻撃に巻き込むことも避けていたし、結果として常に比較的近くでまとまっていたイエタやネッカもそうした攻撃の対象となるリスクが減った。
それが結果的に魔術をひたすら打ち消され、多くの補助魔術と治癒魔術を使われ続ける要因となり、遂には彼を追い詰めるに至ったのだ。
だがそれでもその赤竜は求めてしまった。
対等に言葉を交わす相手を。
己に対する理解を。
憤怒や憎悪のような下からでも、憐憫や侮蔑のような上からでもでもなく、己の横から当たり前のように声をかけてくれる存在を。
果てしない寿命の中のたとえほんのひと時であっても、無聊を慰める相手を。
そう、その赤竜は、結局のところ……
己の孤独に、負けたのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます