第519話 痒みの元
クラスクの斧が赤竜に痛烈な一撃を加えた。
いや正確には血で形作られた斧と奇妙奇怪に強化された斧の本体による二撃だが。
「グオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!」
「ウオッ! 暴れルナ!!」
自分で致命傷を与えておきながらクラスクが無茶を叫ぶ。
痛い。
痛い。
余りの痛みにもんどりうって竜が暴れる。
攻撃に全てを注いだクラスクは大きく蠢く背中でバランスを取る事ができず、足を滑らせごろごろと竜の背を転げ落ちていった。
勢いが付きすぎて止まることもできぬクラスクは、仕方なく転がりながら己の斧を幾度も幾度も竜の背に叩きつける。
その都度背中に痛みが走った赤竜は、呻き喚き吼え暴れた。
その時たまたま先刻の『大解放』によって傷つけた背中の傷に斧が深々と突き刺さり、その痛みで赤竜がより一層大きくうねった瞬間……クラスクは己の愛斧から手を放してしまう。
「ア………」
ごろごろ。
竜の背中を転がり落ちる。
まずいな、これは。
ごろごろごろ。
竜の腰を転げ落ちる。
斧があれば最悪どこかに叩きつけ引っ掛けて回転を止めることもできただろうが、このままだと背中をジェットコースターの如く転げ落ちて最後は壁に大激突コースである。
今の傷でそれは流石に不味い。
死ぬことは流石にないだろうが、最悪気を失いかねない。
意識を失うのはダメだ。
確かにさっきの攻撃は大きな手ごたえがあった。
普通の相手なら致命傷と言っていいだろう。
だがクラスクは竜の生態に詳しくない。
だからあとどれくらいで竜を倒し切れるかもわからない。
もしあの一連の攻撃で竜が死ななかったら?
こちらへ反撃する余力が残っていたら?
その時意識を失っていてはどうにもならぬ。
せっかくここまで追い詰めておきながら全滅しかねない。
それは駄目だ。
それだけは駄目だ。
だから止まらないと。
どんな手段でもいい、とにかく止まらないと。
掴むもの。
何か掴むもの。
クラスクは竜の背を転げ落ちながらも、狭い視界で必死に周囲を探る。
だが竜の背中はびっしりと鱗に覆われている。
それも彼が転がる方向に向けて順方向である。
当たり前の話だ。
重力に逆らう方向に向いた鱗などあるはずもない。
そしてびっしりと張り巡らされた鱗にはクラスクが指を差し込んでその勢いを止めるだけの隙間がない。
間近で見ると思った以上に密度が高く堅牢なのだ。
どうやら思った以上にヌヴォリの功績は大きかったようである。
うんうん、と妙に嬉しくなって転げながら幾度も頷くクラスク。
けれどどうすればいい。
いかにミエと一緒になって以降ずっと幸運に見舞われ続けてきたたとはいえ、竜の背中に鱗以外の何か掴むものなのどあるはずが…
「アッター!」
…あった。
嘘でしょ、とツッコミを入れられるレベルのタイミングで、クラスクはそれを見つけた。
竜の腰のあたりに、4アングフ(約10cm)ほどの何か棒のようなものが、まさに彼に掴んで欲しいと言わんばかりに伸びているではないか。
これまで彼らは竜の本体へとたどり着くこと自体が殆どなく、あっても前方か側方からのみで、巨大な竜の尾が控える後方に回ることはなかったため、腰の上の方、それも鱗の隙間のその突起物に気づく事はできなかった。
あえて気づいた者がいたとしたらコルキくらいだろうか。
なんでそんなものが生えているのかよくわからない。
よくわからないけれどともかくそれは間違いなく僥倖に思えた。
クラスクは転がりながらも竜の背を手を強く押して己の向きを変え、その棒きれの方向へと転げ落ちる。
そしてここぞというタイミングで手を伸ばし、その棒をはっしと掴んだ。
ぐりん、とその棒を支点にクラスクの身体が回転し斜め下から斜め上方向へとその軌道を変える。
そしてそのままもう半回転してのたうつ竜の背に再着地しようとして…
すぽん、とその棒がすっぽ抜けた。
吹き飛ぶ方向が変わっただけでそのまま竜の背から前方の壁へと吹き飛ぶクラスク。
さて困ったぞと空中で首を捻るクラスクの背が、その瞬間ぞわと総毛だった。
尻尾だ。
クラスクの背丈よりなお太い巨大な竜の尾の付け根が、真横から迫っている。
赤竜が暴れた余波なのか、それとも≪音響探査≫でクラスクの位置を把握しているがゆえのとどめの一撃なのか。
いずれにせよこれはまずい。
喰らったらまずい。
ネッカに付与された〈
今この一撃をまともに食らえば、おそらく彼は肉片となって飛び散ってしまうに違いない。
止めなければ。
受けなければ。
クラスクは咄嗟に体を強引に横に捻り、手にした棒で巨大な竜の尾を受け止めようとした。
(ダメダ……ッ!)
流石に覚悟して両目を閉じる。
ごおう、と大きな風切り音が己の左右を過ぎた。
(…………………?)
攻撃を喰らうはずのタイミングで己の身体にも受けたはずの棒にもなんの手応えもなく、クラスクは不思議に思って目を開けた。
目の前に尻尾がない。
ぱちくり、と目をしばたたかせて右を見る。
そこにはなにかピンク色の巨大な円が見えた。
てかてかに光っていて、真ん中に白い円がある。
それがなんなんなのか一瞬考えたクラスクはだがすぐに気づいた。
それは尻尾だ。
尻尾の付け根である。
竜の腰の先から伸びている尻尾、その断ち切られた断面だった。
ぱちくり、と再び目をしばたたかせたクラスクは今度は左を見た。
真横に大きなピンク色の円が見える。
それも尻尾だった。
クラスクを打ち肉塊にするはずだった尻尾、その断面図だった。
つまりクラスクのを中心として、竜の尻尾が二つに分かれている。
クラスクが咄嗟に受けたそれが、その棒きれがこれまで傷すらろくに付けられなかったその竜鱗纏う尻尾を両断してのけたのだ。
「嘘ォ!?」
びっくり仰天したクラスクは慌てて己が手にしたものを凝視する。
…それは剣だった。
白銀に輝く長剣……見る者に清廉さを感じさせる美しい剣だった。
「おぶぁっ!?」
それがいったい何なのかと空中で思考していた彼は、そのせいで己が壁に向かってすっ飛んでいたことをとんと忘れて火口の壁に叩きつけられる。
そしてそのままずるずると壁を滑り落ち、気を失って地面に大の字になって白目を剥いた。
ぶるん。
ぶるん。
壁に叩きつけられた際、その衝撃で彼が手にした剣はその手から離れ空を舞っていた。
ただそれは少々奇妙な動きであった。
通常ならとっくに地面に落下し突き刺さっているべきなのに、いつまでも空中で回転したままなのだ。
それはまるで……宙に浮かびながら今己を手にした者を見定めているかのようであった。
その剣は感じていた。
掴まれた瞬間、その持ち主の勇猛と正義と愛に満ち満ちた魂を。
彼こそが己の新たな主に相応しいオーク……
……オーク?
ぶるんぶるん。
剣が回転を続ける。
勇猛……
でもオーク。
正義……
でもオークですわ。
愛に満ち満ちた魂の……
でもこの方オークじゃありませんことー!?
まるで激しく葛藤するかのようにさらに幾度か回転したその剣は……
けれど最後に、まるで何かを諦め嘆息でもするかのようにのろのろと空中で向きを変え、地べたにひしゃげたカエルのように倒れ伸びているクラスクの方角へと剣の切っ先を向けるとそのまま高速で彼目掛けて落下した。
クラスクを突き殺すためではない。
彼の腕の隣の地面に、まるで主人の元へ帰る従者かのように突き立ったのだ。
それこそが……その剣こそが百七十八年前にその赤竜を大いに苦しめた剣。
竜の身体を切り裂いて手ひどい傷を与えながら、奮戦むなしく彼の胃袋に収まった勇者が手にしていた武器。
ヌヴォリの斧刃と共に、そしてそれよりずっと以前からその赤竜に『痒み』を与え続け、彼の苛立ちの要因となっていたもの。
“竜を殺す”という強い概念…『
『
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