第483話 赤蛇山の火口にて

ぐつぐつ、ぐつぐつと煮え立つ音がする。


厨房の話ではない。

山の中だ。


ただし山の中と言っても山中…つまり山腹の森の中というわけではない。

文字通りである。


上から見下ろせばその山頂には大きな真円が描かれている。

火山の火口である。


山頂までの高さは二千mを超えるだろうか。

火口付近は森林限界を超えており荒々しい岩肌が広がっている。


その山は天頂以外に噴火口がなく、これまで同じ場所から幾度も幾度も噴火と噴煙を繰り返し放ってはその溶岩と噴石を積みあげて、己のいただきを上へ上へと押し上げていった。

いわゆる成層火山のたぐいである。


火口の直径は500mほどとそれなりに大きいが、その内部を下に降るにつれ徐々に狭くなってゆき、火口底の直径は凡そ200m弱程度だ。


ただし…その位置がだいぶ

山頂から火口底まで、降って降って、ずうっと下の方まで続いている。


通常ここまでの深さとなればわざわざ山頂まで噴煙が運ばれることはない。

大概山腹に新たな噴火口…いわゆる寄生火山が生まれ、そちらから溶岩を噴出させるようになる。


だがその山の火道かどうはいつの頃からか魔力によって強化され、直上の噴火口のみが存在を許された。

ゆえに噴火のたびに山は高くなり、その火口底は低きままそこに残り続けたのだ。


その火口底は地熱により猛烈に暑くはあるが、長らくむき出しの地面があった。

だが今やその火口の端にはマグマ溜まりができつつあり、火山活動が再開されるるある事が伺える。



そこに…がいた。

あかき鱗の巨大な竜種。



そのとぐろを巻いた頭部から尾の先までの長さは凡そ30mほど。

竜種の中でも相当の大きさである。


竜は加齢によりゆっくりと大きくなってゆき、最老齢の状態が最も巨大である。

魔導の深淵にほど近い存在である彼らは年経るごとに次々と魔術的な能力や妖術、そして魔導行使能力に覚醒してゆき、他の生物種には届かない高みへとと成長してゆく。


寿命は千歳とも二千歳とも言われるか判然としない。

ただ千を超えた齢の竜は半ば手の付けられない存在として放置される。

言うなれば物理的に存在している災厄…地震や台風と同じもの、という扱いだ。


邪神や魔王どもがこの世界に仇為し呪詛を振りまくのを誰も止められぬように、竜の無体や横暴もまたその多くが諦観を以て受け入れられる。

年経た竜と言うのはそういう存在なのだ。


この山…赤蛇山ニアムズ・ロビリンの主…自らをその山の名として冠する赤竜イクスク・ヴェクヲクスは、黄金に輝く寝床の上でとぐろを巻いてまどろんでいた。


くああ…と目を閉じたまま大口を開ける。

どうやら欠伸をしているらしい。

その開けた口の内側には危険極まりない巨大な牙がずらりと並んでおり、その喉奥からぼっ、ぼっと小さな炎が数度放たれすぐに虚空へと消えた。

ただの欠伸だというのになんとも剣呑な様子である。


その赤竜は気だるげに欠伸を噛み殺しつつごろんと寝床の上でひと転がりした。

寝床と言っても紅く輝く黄金の寝床だが。


その大半は金貨…つまり黄金である。

国ごと、時代ごとの様々な種類の、大きさの、価値の金貨が彼の下に敷き詰められており、黄金の寝床の大半を構成している。

冒険者が見れば垂涎間違いなしのベッドだろう。


その合間合間、黄金の海の間から別のものが生えている。

それらの多くは贅を凝らした腕輪であったり美しい銀杯であったり象牙の嵌め込まれた竪琴であったり、或いは金の鎖のペンダントだったりと様々な時代の美しい装飾品達だ。


だがそれらに混じって古めかしい本や荘厳な女神像、不気味な装飾の施された縦長の鏡や宝飾の凝らされた剣なども埋もれている。

そうした品の一部は魔具、或いは神具と呼ばれる強力な魔法の品々で、膨大な魔力と圧倒的効果、そして計り知れぬ価値を有している。

本来の持ち主であるこの地方の国々や種族どもがそれを見れば、憤怒のあまり目から血涙を流すに違いない。


ただそれらの財宝がマグマを湛えた溶岩流を間近に控えながら痛んでもおらず融解もしていないのはいささか奇妙である。

黄金は確かに融点が高く、千度以上でもなければ溶けることはないけれど、マグマの温度は千度前後あるし、金が溶けてもおかしくない。

だからもしやしたらその黄金の寝床から生えている魔具やら神具やらの何か、或いは彼自身の魔術がそれらの財宝を保護しているのかもしれない。


ごろん、と寝床の上で再び転がる赤竜。

いつものように腹ばいではなく、その背を寝床に擦り付けていた。

単にじゃれているように見える行為だが、それには一応意味がある。


まず彼の寝床である財宝をよく見てみると、単なる黄金の輝きではなくまばゆく紅に輝いている事がわかる。

それはマグマの赤熱により紅蓮に照らされているから、というのももちろんあるが、それだけではない。

財宝そのものがのだ。


竜の財宝には金貨以外にも多くを占める重要な要素がある。

『宝石』である。


そしてその宝石にはある特徴がある。

その竜の鱗の色によって、好む宝石が変わるのだ。


たとえば緑竜なら翠玉(エメラルド)だし、黒竜なら紅縞瑪瑙(ブラックオニキス)、青竜なら碧玉(サファイア)だ。

そして彼のような赤竜であれば紅玉(ルビー)をとりわけ好み、彼の寝床にもそれが反映されていた。


黄金の合間合間に輝く大小さまざまな紅玉…それは単に個々の竜の好み、というわけでもない。


竜の肉体は世界でも頂点に近い圧倒的な強靭さを誇るし物理障壁や魔術結界により堅固に護られているが、それは不壊であることを意味しない。

一部の冒険者などはそれを突破してくることがあるし、例えば己と同世代、或いはより年経た同族などであればそうした護りを貫通して傷をつけてくることがある。


財宝を収集するその生態ゆえ彼らは己の縄張りを死守しようとする傾向があり、結果同族同士で縄張り争いをすることも少なくない。

今ではこの地の頂点に君臨する赤竜イクスク・ヴェクヲクスもまた若き頃にはより広い縄張りを求めて他の竜とその爪と牙でよく闘争したとされる。


そしてその争いの煽りを喰って幾つもの村や町、そして小さな国が滅んだとも。


そうしてできた傷は基本的には寝れば治る。

彼らとて一生命体であり、傷の治療には十分な食事と休息が一番なのだ。


だが単純な休息では治らぬものがある。



…『鱗』である。



龍の鱗はこの世界でも有数の硬度を持つとされ、もし入手できたなら防具の素材などとしては最高のものの一つとされる。

けれどそれは一度ひびが入れば、そして割れてしまえば休息によって治癒しない。

数十年、或いは数百年かけてゆっくりと生え変わるのを待つしかないのだ。


その間その割れた鱗は弱点になり得る。

物理障壁に護られてはいるし、鱗で覆われていない部分も十分に堅いけれど、それでも鱗で覆われた個所に比べれば脆弱な突くべき急所と成り得てしまう。



ゆえに彼らは…その身に宝石を纏うのだ。



ごろりと転がって赤竜が再び黄金の寝所の上に腹ばいになる。

その背を覆う鱗…その一部がマグマに照らされわずかに輝いた。


それは紅玉ルビーの輝きだ。

彼が自らの身に刻まれた鱗の隙間を隠すため、寝返りを打って紅玉ルビーを埋め込んだのだ。



痒しユグスロ



竜語で、ぼそりと呟く。

びょうびょうと火口から吹き降ろす風に遮られ、遠くまでは届かなかったけれど、確かにそう呟いた。


それが今の彼の苛立ちの原因だった。


本来であればこの赤蛇山ニアムズ・ロビリンの活動が活発になり、火口から濛々と噴煙を出す頃にようやく彼は目覚める。

火山活動が彼を目覚めさせるのか、彼が目覚めるから火山活動が活発になるのかは判然とせぬが、ともかくその頃に休眠が明ける。


だからマグマだまりが一部にしか湧いていない今の時期に目覚めているのは少々おかしい。

目覚めがのだ。


そのと、が、彼を苛立たせる。



痒しユグスロ



再び、呟く。


百と八十七年前、前回の活動期に腰部ようぶに刻まれた痒み。

そしてつい先日、あのオークによって受けた痒み。


それが止まってくれぬ。

それが苛立たしい。

それが許し難い。




鎌首をもたげた彼は頭上を見上げる。

真上には奇麗にい火口が見える。







どれ、に小さきものの街でも襲いにゆくか。






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