第439話 三つの覚悟
「…結論だけ言うなら時空連続体に干渉して過去を改変する魔導術は存在しまふ」
「怖いですね魔導術!?」
もはや科学がどうのというレベルの話ではない。
この件に関しては明らかに科学技術を凌駕していると言っていいだろう。
ミエは心の底から驚嘆した。
ついでにネッカの使用する専門用語にも。
「ただ…それを秘蔵しているのはエーランドラ魔法王国、それも閉架魔術書庫のさらに奥にある封印魔術庫でふから書き写すどころかまず見せてもらう事自体が難しいでふね。そもそもまず存在が公にされてないはずでふ」
「まあ使い方によっては自分の国を過去に遡って滅ぼされるかもしれないものなんニャから警戒するのは当たり前ニャー」
「ネッカとしてはなんでそれをアーリ様が御存じなのかの方が気になるのでふが…」
「そこはまあ置いとくニャ」
「置いといたらダメな気がするんでふが…」
「置いとくニャ」
「でふ」
『置いておくには割と重大な話では…』とその場にいる誰もが思ったが、ネッカの話への興味が勝ったのか誰もそれ以上追求しなかった。
「この魔術を行使しようとするならまず魔法王国に閲覧と複写の許可を頂かないとならないでふが…それがまず難しいでふね。閲覧だけして自前で研究開発するにしても相当難航すると思われまふ。仮に許可が下りても厳重な行動制限系の呪詛をかけられ悪用は禁止されると思いまふ」
「なるほど…なかなかの魔術セキュリティですね…」
まあ過去に戻るという事は現在の各国の存亡すら左右しかねない行為である。
警戒に警戒を重ねるのは当然と言えるだろう。
「まあそこはどうでもいいニャ。やると決めたらミエとクラスクがなんとかするニャ」
「なんとかするとしまふ」
「私がなんとかするんですかー!?」
「わかっタ、スル」
「旦那様ー!?」
重大案件のわりに丁々発止とボケとツッコミが走る。
「…なんとかなるとしまふ。それで準備ができたとして、これは大規模儀式魔術なので呪文が行使可能になるまで…そうでふね、うちの街の施設なら十年くらいかかると思いまふ」
「そん
なに」
魔導術はこの世界の
「圧縮詠唱してもそんなに長くかかるんですか?!」
「詠唱の長さもでふが呪文行使に必要な魔力を貯めるのに時間がかかりまふね。でその魔力も貯めた上で、高圧縮の魔力の暴発の危険もクリアして、無事術が起動すれば、術者を過去に送り込むことができまふ」
「「「おおおお~~~~~」」」
途中少々気になる表現はあったものの、実際に人が過去に遡ることができるという宣言に、一同からどよめきが上がる。
「…問題はその先でふ」
だが、過去に降り立った後にこそ…この呪文の最大の障壁が待ち受けていた。
「先っていうと…?」
「イメージしづらいかもしれないでふが、過去に戻った術者…まあ実際やるとしたらネッカだと思いまふが…は、過去にもいまふ。つまり十年前のネッカと今のネッカが世界に同時に存在することになるわけでふね」
「あー、ですよね」
「「「ええええええええ~~~~?!」」」
ミエが一人ふむふむと頷く一方、他の者たちは一様に驚愕した。
「世界に同一人物は一人しか存在しないし、できないでふ。世界が許されないでふ。ただ同じ世界に過去と未来の自分が存在していたとしても、それが別の場所別の時間別の人物にそれぞれが目撃されただけなら矛盾は生じないんでふ。でふが…もし未来のネッカと過去のネッカがうっかり出会ってしまった場合、世界はその矛盾を解消すべく片方を消滅させてしまう、と理論的には言われてまふね。消えるのは本来その世界にいなかった未来の…つまり過去に遡ったネッカになると思いまふ」
「うえええええええ!」
ゲルダが思わず呻き声を上げる。
戦いもせずに消滅するというのがショックだったのだろうか。
「なので過去に戻った術者は過去の自分がいる場所には立ち寄らず、過去のみんなの助けもなるべく借りず…変に追及されたら面倒でふしね…自分だけで過去を変えようとする必要がありまふ」
「実に興味深い話じゃが…過去の仲間に援けを借りられんのは大変じゃな」
「でふでふ」
シャミルの言葉にネッカがこくこくと頷く。
「その上で…過去を変えようとする場合『時空収束』に抗う必要がありまふ」
「時空収束…?」
「はいでふミエ様。過去に遡った時点で今日この日…つまり『現在』は『未来』になりまふ。過去の行動によって変更可能な未来でふね。たたしこの未来は一度ネッカたち…つまり世界によって認識され、確定されてる未来でふ。そのため世界は一度確定した未来へ戻ろうとする流れを生み出しまふ。これが『時空収束』でふ」
「あー、つまり歴史の修正力的な…?」
「はいでふ。というかそんな用語よくご存じですねミエ様。ちょっと怖いくらいでふ。ネッカもあまりこの大魔術について詳しくはないでふが、確か歴史の大きな転換点を
「困難とは…どういうことだ」
キャスの言葉にネッカふむ、と少し子考え込んで口を開く。
「例えばネッカがこの村は竜に襲われるから避難するようにと手紙を出したとして、その手紙が手違いがあって届かないとか、或いは避難させようと衛兵を向かわせたらその衛兵が誰かに襲われたり急病で倒れて村に知らせが届かなかったりとか、そういう『途中小さな差異はあっても最終的な流れと結果は変わらない』という大きな流れができてるんでふ」
「なるほど…?」
ふむ、キャスは小さく頷き一人納得する。
「キャスバス様は今の話お分かりになるのですか。私には正直よく…」
「エモニモか。そうだな、私も細かいところまで理解できたわけではないが、要はこういう事だろう? 『あの村々は滅ぶ運命にあって』『それを変えようとしても上手くゆかぬ』と」
「有体に言えばそう言うことでふね」
「おお、そりゃわかりやすいな」
ゲルダがふんふんと腕組みしながら頷く。
修正力だのなんだのと言われてもよくわからぬが、運命だと言われればなんとなく得心できるようだ。
「そのあたりをどうにかこうにかクリアして、無事村を救えたとしても…まだ問題がありまふ」
「まだあるんですか?!」
「はいでふミエ様。仮にあの三つの村を救えた場合、世界は歴史の帳尻を合わせるよう動く可能性が高いんでふ」
「歴史の帳尻?」
「はいでふ。簡単に言えば『あの三つの村は無事だった、かわりに他の三つの村が滅ぼされた』といった具合でふね。これを『代償成就』と呼びまふ」
「そんな! それじゃ意味ないじゃないですか!」
「意味があるかどうかは主観の問題ニャ」
がたん、と椅子から飛び上がったミエの叫ぶ諫めるように、壁に背もたれていたアーリが鋭く言い放つ。
「例えばどっちを選んでも別の100人が死ぬとして、その片方に自分の大切な人間が含まれているとしたら、大概の奴はそうでない側の犠牲を選択するんじゃニャイか?」
「あ、う……っ」
壁際から身を起こし、アーリがじぃとミエを見つめ問いかける。
「ネッカが気遣って言いたがらないから代わりに言うニャ。ミエ、仮に過去を変えようとした場合ミエは三つの覚悟をする必要があるニャ」
「みっつ…?」
「ニャ。ひとつ。修正力やらなんやらで過去を変えることは大変なことで、おそらく成功するまで何度も何度もリトライすることになるニャ。その都度過去に戻る者…つまりネッカは、十年以上準備をすることになるニャ。仮に術に成功しても過去の自分がいるから街の助けも借りられニャイ。愛する家族にも夫にも会えニャイ。それを数十年、或いは数百年延々と繰り返すことになるニャ。それもミエたちが誰もそれに気づかニャイままで。それが許容できるかニャ」
「……………!」
一回の術の行使に十年時間がかかるなら、三度やり直すなら三十年かかることになる。
その間過去の自分に会わないように身を隠しながら、延々とそれを繰り返す。
過去を変えようとすることはその孤独を…ネッカに強要するということに等しい。
「ふたつ。仮に過去を変えられたとして、それによって運命が変わった人が皆幸せになるとは限らないニャ。例えば焼けた村にいたオークと結婚するはずった娘がいたとして、でもそのオークが死んだから仕方なく他の誰かと結婚して、その子供が生まれたとするニャ? 仮にあの村が助かったらその子供は消滅することになるんニャけど、ミエはそれを許容するニャ? どっちの誰がどれだけ死ぬのがいいのかって、ミエは判断できるかニャ」
「それは…ええっと」
「みっつ。これから十年…かそれ以上準備に時間をかけるとして、その間にも皆の人生は進んでゆくニャ。過去を変えるという事はその十年以上の時間を『なかった事』にする行為ニャ。ミエはそれでも過去を変えるべきと思うかニャ」
アーリの言葉が途切れてしばらく…ぺたん、とミエは椅子に崩れ落ちた。
「それは…それは、できません」
人が生きている以上、そこに生活があり、営みがある。
ゆえにそれを人生と呼ぶ。
その人生を己の恣意で捻じ曲げようとするのは傲慢だ。
もしかしたらそれができる誰かの事を『勇者』とか『英雄』などと呼ぶのかもしれないけれど、きっと自分はそれじゃない。
ミエは今更ながらに思い至った。
日常を、たわいない日々を、ただ生きていることを、かけがえのないものだと思えるから。
それを守るために全力を尽くすことはできでも、それを歪めてまで何かを手にしたいとは思わない。
思えない。
「…ま、そうなるニャ」
「アーリ、お前が言ったんじゃねーか」
再び壁に背もたれるアーリにゲルダが目を細めツッコミを入れる。
言葉に多少棘があるのはミエが消沈しているからだろうか。
「選択肢として問われて上げないわけにはいかないニャ。選ぶかどうかは別の話ニャ」
肩を竦めそんな事を嘯きつつ、けれどアーリは小さくほっと溜息をついた。
おそらくミエが否定してくれたことに安堵しているのだ。
ただそれがなぜなのかは判然としない。
「…まあ元々期待シテなかっタ事ダ」
クラスクが短い言葉で継げる。
「俺達上の連中ガ街の奴の誰が死ぬ誰が死なナイを決めルよくナイ。村三つノ犠牲は残念ダガ、俺達ハそれを抱えテ前に進ム。それデイイカ」
「はいでふ。クラさまがそう仰るなら」
「異議はない」
「私もキャスバス様と同じく」
「あたしもいいぜ。過去を変えるっつーのがそもそもよくわっかんねーしな」
「クラスクノ決定ナラ」
「ソウダナー。ドシーノ奴ハ残念ダケドナー…」
「うむ。栓方あるまい。その選択肢はネッカに少々背負わせすぎじゃ」
「わたくしはあくまで同席しているだけです。この街の首脳陣ではありません。異議を唱える権利はありませんわ、クラスク様」
全員で頷き、その視線がミエに集まる。
「私も…私も依存ありません」
ミエは決めた。
いや、捨てた。
喩え僅かでもあの村の者たちが助かったかもしれないという可能性を、その時捨てた。
或いは…過去へ遡るのが、全てを背負うのが自分自身だったのなら、その道を選んでいたかもしれないけれど。
「おー…遅れた……」
と、その時扉を勢いよく開けて、ワッフとサフィナが円卓の間に飛び込んできた。
ただ…サフィナの顔は、やけに青ざめている。
「ネッカ……いる?」
「わふん?」
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