第437話 畏怖を伝える者
殆ど無抵抗の村で唯一抵抗したらしき
だがおそらく彼の全力を以てしても歯が立たず無残に殺され
クラスクはギリ、と歯ぎしりする。
見たこともないその竜への怒りがふつふつと湧いてきた。
「そうニャ。無抵抗で死んでたはずニャ」
「ええっと…どうしてそんな怖い相手がいるのに逃げたりしなかったんです?」
「怖すぎるからニャ」
「ふぇ…?」
「ええっとでふね…」
ミエの素朴な疑問にネッカが口を挟む。
「竜種は強大すぎるその存在ゆえ畏怖のオーラを放ってまふ。簡単に言えば彼らに空を飛ばれたり威嚇されたりすると他の生物は本能的恐怖に身を竦ませて動けなくなってしまうんでふ」
「え…飛ばれただけでですか?」
「飛ばれただけででふ」
クラスクやラオクィクの言葉を受け、当時動転していたミエもまた村の様子をだんだんと思い出してきた。
あの村はその竜とやらに襲われた時既に臨戦態勢にあったように見えた。
死体の倒れ方を見る限りオーク達は皆武器を構え、娘たちは家に隠れていたはずだ。
だがそこで時間が止まっている。
敵に斧で襲い掛かる様子もなければ攻撃を受けて吹っ飛んだ様子もなかった。
怯えて尻尾を巻いて逃げ出す様子すらなかった。
ただ武器を構え、敵に備えて…
そしてそのまま、なにもせずに焼き殺されていたのだ。
たった一本遺されたあの村の族長ヌヴォリの腕を除き、その竜とやらと戦った跡も争った形跡もまるでなかったのである。
「そうニャ。竜はその圧倒的強さと存在で見た者を恐怖に陥れ無抵抗の相手を悠々となぶり殺せるニャ」
「そんな…!」
「ただし…相手に恐怖してもらうためには己が怖い存在だと知らしめる必要があるニャ。遭った奴が全員死んでたら誰もそれを竜がやったと気づけないからニャ。だから生き延びた誰かに己の怖さを喧伝してもらう必要があるニャ」
「あ……っ!」
がた、とミエは椅子から立ち上がった。
「最後の一人って……じゃあ……!!」
「…そうニャ。生き延びたテグラからアーリたちはそいつの恐ろしさをまざまざと思い知らされたニャ。奴の意図通りにニャ」
「そうして多くの人の心に刻まれたイメージは、やがて『世界の記憶』となって竜という種族全体に還元されまふ。こうした竜の恐怖の語り部の事を『
「…………………っ!」
それは…魔法の武器などと同じ原理だった。
人々の記憶に刻まれた事象がこの世界に還元され、やがて本物となって定着する。
ミエの世界には存在しない、魔力というこの世界の構成素材が折り為す世界の神秘である。
魔法の武器への還元には最低でも数百年以上の長い長い時間が必要だという。
けれど以前シャミルに聞いた話では竜の中には千年以上生きる者もいるというではないか。
つまり彼らは己が撒き散らした恐怖の恩恵を、己が生きている内に世界から還元され享受することができるわけだ。
まさか彼らはそれを意図して行っているのだろうか。
だとしたらなんと悪辣で、狡猾で……そして恐ろしい存在なのだろうか。
「おそらくドシーという奴はその手の伝承を聞いたことがあったのじゃろうな。じゃから己の嫁を最後の一人にせんとした」
「だから…だから自分は村に……っ」
それならば確かに辻褄は合う。
逃げても殺される。
戦っても殺される。
二人で隠れていてもすぐに見つかって殺される。
けれどテグラ一人を残して己が死ねば、彼女だけは助かる道がある。
それを覚悟して彼は村へと戻っていったのだ。
ミエは両手で
一方でクラスクとラオクィクはよくやったとでも言わんばかりに静かに肯首する。
そのドシーの死に様を誇りに思っているようだ。
そんな中…いつも軽口の減らぬリーパグが珍しく下を向いていた。
「ドシーノ奴…カッコツケヤガッテ…死ンダラナンニモナラネエッテノニヨウ」
吐き捨てるように呟くその表情は……悔恨のそれだった。
「すまん遅れた!」
とそこにキャスが飛び込んでくる。
「キャスさん!」
「キャス。避難ハドウナッテル」
「全村に呼び掛け各村に衛兵を配置し遅れて農作業から戻った者も順次避難させた。最後に私が早馬で一通り見て回り、名簿とも突き合せ全員村から出たのは確認できた。ただ村を出た者がこの街に全員到着しているかまではわからん」
「上出来ダ」
一通り報告して小さく息を吐くキャス。
その背後から…彼女に寄り掛かるように円卓の間に転げ込んだ者がいた。
「ちょっとキャス、早く部屋に入りなさいな。つっかえてるわ」
「失礼シマス、市長」
「ギスさん!! イェーヴフさんまで!!」
ミエの叫びと共におお…というどよめきが円卓の間の一堂から上がった。
あの惨状でテグラ以外に生き延びた者がいたとは思わなかったのだ。
しかも一村に二人である。
「よくご無事で!」
「お陰様でね…ちょっと待って」
ミエが嬉しそうに駆け寄ろうとするのを、ギスが片手で制する。
そして彼女にしては珍しく真面目な面持ちで、クラスクの方へと向き直った。
「市長、まず最初に謝罪させて」
「何をダ」
「私ギスクゥ・ムーコーは村に向かってくるあれに気づいた時、咄嗟に夫イェーヴフを背後から襲い昏倒させ、物陰に隠れ魔術を行使し地中に潜んだわ。だいぶ深く潜ったつもりだったけど、そのまま高熱で地面が焼かれ熱さで朦朧として意識を失ったからその後の事はわからない」
当時己が取った行動を訥々と語る。
「〈
キャスがギスとイェーヴフを地面から掘り出した理由…彼らが地面に埋まっていた理由がこれだった。
「夫イェーヴフにはあの村をまとめる役目があった。竜相手にそれが通用するかどうかは別にして、戦うにせよ逃げるにせよ、彼らを導く責務があった」
ギスは少しだけ俯いて小さくため息をつくと、再びクラスクの目を見つめ言葉を続けた。
「それを無理矢理放棄させたのは私の責任よ。彼は悪くない。村の運営に失敗したと責めないであげて。罰するなら私を」
キャスとミエが目を丸くし、ギスを見つめた。
彼女がそういうことを言うタイプだとは思っていなかったからだ。
他の誰が責任を負っても、己だけは責任を逃れる。
かつての彼女なら迷わずそうしていたはずだ、
母の仇だった己の父が討たれた今、ギスは思った以上にその心の枷を外せているのかもしれない。
キャスは少なからぬ驚きを以て彼女を見つめていた。
「生きテルダけデ殊勲ダ。責めル理由がナイ」
「そう…それならその御厚情ありがたく甘受させてもらうわ」
まあその言い回しは未だに彼女らしいが。
「今は一つデモ情報が欲シイ。何か知っテル事があっタラ言っテくれ」
「とは言っても…私たち地面の下だったから…イェーヴフは?」
「アー俺ハ意識朦朧トシテタカラナー。ギス以外ノ誰カガナンカ言っテタヨウナ気ガスルンダガ…ナンダッタッケカナ」
「ああ、そういえば確かに…地面越しだから定かじゃないけど『フブ エシカ イッグ』みたいな事を言ってたような…?」
「
ギスの証言にキャスが眉根をひそめる。
「…共通語じゃナイナ。俺の知らん単語も混じっテルがエルフ語カ?」
「ああ。竜がエルフ語を話すとも思えんが…」
クラスクはキャスから暇を見てはエルフ語を教わっている。
ペラペラとまではゆかぬがそれなりにヒアリングもできるようになっていた。
自ら教えながら、彼の知性の高さにキャスはいつも驚かされてばかりであった。
「ソウイエバクラスク、俺達ガデックルグノ村ニツイタ時、マダイクフィクガギリギリ生キテタ」
「本当カ!?」
ラオクィクの言葉にクラスクがつい大きく反応してしまう。
かつては兄貴分として慕い斧の使い方などを教わった相手である。
意識するなというのも無理な話だろうか。
「タダ今ワノ際ニ遺シタ言葉ハ意味ガワカランカッタ。『ルコドル・イリコ』ダト」
「アン…?」
ラオクィクの報告にクラスクは明らかに困惑し、眉根を寄せた。
「なんだそりゃ」
「オーク語で彼らの土着のダンスのことですね。ほらまだこっちの街ができてんかった頃、向こうの村で太鼓とかを手で叩きながら焚火の周りでやってたじゃないですか」
「あーあーあーあれかー!」
首を捻るゲルダにミエが手早く説明し、ぽむと手を叩いたゲルダがうんうんと得心し、その後クラスク同様困惑してミエの方に向き直る。
「なんでそれをドラゴンが?」
「さあ…? そういえばテグラさんも言ってましたね、すごく低い地面を震わせるような音でこう…『フクォル・イズル』って言ってた気がするって」
ミエの言葉に今度はエモニモが不思議そうな表情を浮かべる。
彼女が真っ先に反応したという事は
「『
「さあ…?」
ううん…? と首を捻る一同。
ただその中にあって、一人腕組みをして呻き声をあげ、その謎を解きほぐさんとする者が一人いた。
クラスク市が誇る宮廷魔導士、ネッカである。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます