第434話 生存者

空を、飛ぶ。

その大きな羽を羽ばたかせ、大空を自由に舞う。


天翼族ユ-ムズたるイエタはその己の種族特性を今遺憾なく発揮していた。


(ダメです…いません)


その見た目から天使のように扱われる天翼族ユ-ムズではあるが、その性質はどちらかといえば鳥類のそれに近い。

遠くのものがよく見える優れた視力もその一つである。


彼女は上空からクラスク市の北に点在する村々を見て回り、焼け落ちた村が三つだけであることを確認した。

けれどその視力を以てしても、そこにクラスクやキャスなどの街から辿り着いた面々…点にしか見えないが…以外に動く影を見つけることができぬ。


「あら…?」


と、そこでイエタは何かに気づいた。


被害に遭った村は彼女が確認した限り三つ。

そのうちの最も西の村…名前はなんだったか…ともかくクラスク市長とその妻ミエが急行した村で、何か動きがある。


かなり大きな黒馬…確か名前はキートク・フクィル。

おそらくオーク語だろう。

どんな意味かまでは聞かなかったけれど、彼の愛用している馬なのだからきっと大切な想いを込めたものに違いない。


そんな愛馬を鞭打って村へ真っ先に飛び込んだクラスクとミエ、彼らに並走するように駆けてきた魔狼、確か名はコルキ。

そしてその二人と一匹に追いつかんとオークの兵士らが十数人村へと急行している。


彼らはクラスクの指示の下村のあちこちを捜索していたが経過は芳しくないようだった。

だがそのうちの一人がの捜索に向かったのだ。



…森である。



蜂蜜を採取するために植林された人工の森と、その周囲の花畑…それは村からそれなりに離れていたためその焼き討ちの被害からは免れたようだ。

花畑を避けるようにして森に向かったオークが、慌てて森から飛び出て村へと駆け戻り、途中大声で何かを叫んだ。


イエタははるか上空にいたため彼が何を叫んだのかまではわからなかったけれど…クラスクとミエが急ぎ彼の方へと向かい、そのまま連れ立って森の方へと急ぎ駆けてゆくのが見えた。

ついてゆこうとした配下のオーク達はクラスクに何か言い含められると足を止め、再び村の捜索に戻ってゆく。



…あの森に何かある。



そう確信したイエタは、羽を大きく縦に広げ風の抵抗を受け急停止すると、今度は羽を小さく畳んで眼下の小さな森目掛けてまるで落下するように滑空した。



イエタは森の直上まで急降下すると、ばっと羽を広げて急減速、その後羽ばたきながらゆっくりと森の縁へと降りてゆく。


最初に聞こえてきたのは…悲鳴と絶叫だった。

誰かが泣き叫んでいる。

声からして若い女性だ。


ふわりと地上に降り立ったイエタは羽を畳むと小走りで声のする方へと急ぐ。

顔の横を巨大な蜜蜂が通り過ぎてゆくが、特にこちらを襲ったりはしなさそうだ。


その声は小さな森の中から響いていた。


明らかに正気を失っている。

いわゆる半狂乱の状態のようだ。

その横から聞こえてくる声はミエのものだ。

その声の主を必死に落ち着かせようとしているが、上手くゆかぬらしい。


イエタが木々の間を抜けて現れると…そこにはミエに介抱される一人の女性がいた。


若い女性である。

その顔が悲嘆と絶望と苦悶に歪み望陀に滲んでいる。

暴れる彼女を背後からクラスクが羽交い絞めにして、ミエが必死に説得を試みていた。

その隣には彼女を見つけたらしきオークもいる。


「イヤアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!」

「落ち着いて、落ち着いてください! テグラさん!!」


だが、効かない。

通用しない。


その暴れる女性の心がからだ。

ミエの言葉が、だからそもそも彼女には届いていない。


「よほどつらい光景を見たのでしょうね…」

「イエタ!」

「イエタさん!?」


突然現れたイエタに驚く一同。

ただテグラと呼ばれた娘だけはイエタを全く意に介していない。

目の前にいるのに気づいてもいないようだ。


「今のままでは落ち着いてお話も出来ぬご様子。とりあえず彼女の心を平らかに致します。クラスク様。申し訳ありませんが今しばらく彼女を抑えていただけますか」

「わかっタ」


クラスクが頷き、ミエが邪魔にならぬよう脇に退く。

イエタはクラスクに羽交い絞めにされながらも悲鳴を上げてじたばたともがき暴れるその娘の前に歩を進め、片膝をつき、己が信じる女神リイウーに祈りの言葉を捧げた。


彼の者の心に平穏をもたらし給えラヴノス ロフロピゴル 〈平静ミュージノンレグ〉」


呪文の詠唱と共に彼女の右掌が淡く白い輝きを放つ。

その片掌を暴れる娘…テグラの額に当てると、その光がゆっくりと彼女の頭部に吸収されてゆき…


そして、これまで何を言っても耳も貸さずただ暴れるのみだったテグラの動きがゆっくりと収まってゆく。


「人の心の平穏を取り戻す奇跡です。これでお話ができるようになるかと」

「スゴイ。イエタスゴイ! 流石ダナ!」

「素晴らしいのは神の慈悲と御心ですわ」

「わかっタ。イエタの信ジル神様イイ奴ダナ!」

「はい、それはもう」


クラスクの真正面の称賛を両手を合わせて受けるイエタ。

ミエは彼女の呪文に感謝しつつもあれ? と少しだけ心の中で何かが引っ掛かった。


神の与える奇跡には二面性がある。

つまりイエタが人の心に平穏をもたらす奇跡を使えるという事は、これのがあるはずで、それは人の心を掻き乱し半狂乱にする呪文なのでは…?

そんな危惧が心に浮かんで少しぞっとしたのだ。


無論イエタはそんな呪文は使うまい。

だが世の中には悪い神もいればそれに使える悪い神官もいると聞く。

そういう者たちがこれまでイエタが見せてくれた様々な奇跡…人々の為になる、素晴らしき奇跡の数々を逆移送で使ってくるかもしれないのだ。



ミエは己の心胆が寒くなるのを感じ、改めてこの世界の危うさを肝に銘じた。



「…クラスク市長、もう大丈夫です。少し、痛い」

「オオ、すまん」


先刻まで正気を失ったかのように悲鳴を上げ暴れていた彼女は、必死に宥め落ち着かせようとするミエにまで襲い掛かり手傷を負わせそうな勢いだった。

そのためクラスクは少し強めの力で押さえつけていたのだが、どうやら正気に戻ったことで痛覚も元に戻ったものらしい。


あれだけミエが必死に説得を試みても一切効果のなかった相手がこの落ち着きようである。

魔術というのはなんともすごいものだな、などとクラスクは感心する。


「それで…テグラさん、なにがあったんですか…あの、おつらいなら今は無理に話さなくてもいいですけど…」


気遣うようなミエの言葉に、だがテグラはゆっくりとかぶりを振った。


「いえ、イエタ様の奇跡がこの身に宿っている内に話せるだけ話しておきます」

「…わかりました」


落ち着いた…というよりは少し落ち着きすぎではないだろうか。

普段の彼女とはだいぶ様子が違う気がする。

呪文の効果が覿面てきめんなのはいいのだけれど、これは少し効きすぎなのではないだろうか、などとミエはいらぬ心配をする。


「ええっと…どうしてこの森に?」

「彼が…ドシーが酒造りの最中だった私の腕をつかみ、強引にここに連れてきたんです。はとても危険だからと、逃げてもきっと追ってきて殺すだろうから、助かる可能性があるとしたらこの森で息をひそめてじっとしていることだけだ、と。そして、とそう言って…」


魔術で心の平静を取り戻しながら、なお彼女の身体は少し震えた。


「そう言って、彼は戻っていきました。に立ち向かうために。でもが空から舞い降りてきたら、そしたらみんなまるで棒立ちでただを見つめているだけで。そしてが口を開いたら、そこからごうって炎が、炎が出てきて、村を……っ!」


わなわなとその身を震わせるテグラ。

ミエがその手を取り、肩をそっと抱き寄せる。

今度は彼女の行為がちゃんと心に届いているようで、その震えは少しだけ続いて、止まった。


「あの人も死にました。棒立ちで死にました。何もできず死んじゃったんです」

「……………」


ぼそり、ぼそりと確かめるように言葉を紡ぐ。


「ミエ様、すいません」

「はい?」

「私貴女の前で体のいいことを言って胡麻化してましたけど、ほんとはあの人のことが嫌いでした。オークのこともみんなみんな大嫌いでした」

「……………………!!」







イエタの用いた呪文のせいか、それとも彼女自身の意志なのか、テグラがこれまで秘めていた己の本心を告げ、ミエは目を大きく見開いた。







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