第406話 閑話休題~レモンとオレンジ~

「レモン…レモン色かあ…」


せがむ子供たちにシャーベットを食べさせてあげながらミエが皿の上の氷菓を見つめる。


「どうかしたのですか?」

「あ、いえエモニモさんなんでもないんです」

「はあ」


エモニモに気遣われて慌てて言い繕う。

だがやっぱり気になってしまうのだ。


である。

ミエの眼には、目の前のがどう見てもそれはに見えるのだ。


とは言っても別にミエの感覚がおかしくなったわけでも他三人の言っていることが間違っているわけでもない。



元々オーク達が好む酒を作るため、村の周りには多く果樹が植えられた。

葡萄や林檎、洋梨、無花果イチジクなどだ。


ただそこには蜜柑やオレンジといった柑橘類は殆ど含まれていない。

なぜなら柑橘類は基本的に熱帯原産であり、冷涼なこの地方ではそもそも育たないからである。


なのでミエがこの世界の柑橘類にお目にかかったのはクラスク村ができてしばらく、アーリンツ商会の商売が拡大し南方より香辛料などが輸入されるようになったあたりで、その頃に一緒に南方の果実として村に入ってくるようになった。



そこでミエが目にしたのがレモンロニムオレンジイレムツォである。

遠方からの輸入ものなので少々値は張るが、なにせ久々の柑橘類ということで当時のミエは小躍りしてそれを購った。

多少の距離や日数などものともしない〈保存ミューセプロトルヴ〉の呪文のお陰である。



ところがここでミエとしては非常に困惑する事態が発生した。

なのだ。



レモンは楕円形の形で確かに見た目はレモンなのだが色がオレンジ色で、

オレンジは丸い形で見た目自体はオレンジっぽいのに色がレモン色なのである。


味としては問題ない。

レモンはレモンの味がするしオレンジもオレンジに似た味がする。


ミエがかつて食べたものに比べるとだいぶ甘味が足りなくて酸味が強い気がするが、それはそれで好みなので別にいい。

おそらく品種改良が進んでおらずより原種に近いためだろう。

またそのせいで種がやたら多いのもちょっと気にかかるけれど、そういうものだと割り切れば美味しく食べられる。


だが色だ。

とにかく色が混乱をきたす。


なにより問題なのは『レモン色』と『オレンジ色』で、この地方の人たちがその果実を見たのがミエと同時期くらいだったため、彼らはこの世界の『オレンジ色のレモン』をレモン色だと、『レモン色のオレンジ』をオレンジ色だと認識してしまい、それらを色の表現として使うようになってしまった。


このせいでミエはしばしば他の娘達との会話が噛み合わないことがあるのだ。


「う~ん…それでも味がレモンで色がオレンジの果物の方をレモンと翻訳するってことは食べ物に関してはやっぱり味が重要ってことですかね……レモンとは一体何なのか、何を指してレモンと認識しているのか。ちょっと形而上学的な命題を感じます…」

「何言ってんだお前」


ミエの真剣な悩みを一蹴するゲルダ。


「じゃあ次もってきますねぇー」


ぱたぱたと扉の向こうに消えたトニアが再び冷蔵庫から皿を運んでくる。

今度皿の上に乗ってるのはレモン色の直方体で、トニアがテーブルの上に…


「うんしょ、うんしょ」

「…手伝いましょうか?」

「大丈夫ですー。うんしょ、うんしょ、とやー!」


乗せると、その勢いでプルンと揺れた。


「ん? 今度は煮こごりエトヴァッグか?」

「ですがこの流れで煮こごりエトヴァッグが来るのでしょうか」


ゲルダとエモニモが互いに顔を見合わせる。

一方のミエは両手を合わせて顔を輝かせた。


「え、もう出来てたんですか! ゼラチン! じゃあこれってこれってもしかして…ゼリーですか!?」

「はぁいいぃーオレンジイレムツォゼリーですぅー」


『ゼリー』に関しては翻訳が行われていない。

ミエが使った言葉をそのまま使用しているためだ。


「え? 煮こごりじゃねえの…? どれどれ…ん! これもうめえ!」

「はい。酸味が効いていいて…これは後に引きますね」

「そう言ってもらえると嬉しいですぅー」


色鮮やかなレモン色のゼリーである。

まあ味的にはオレンジゼリーなのだけれど。


「こういうのって人間色も含めて味わってたんだなって感じますね…いえ美味しいんですけど」

「ミエちゃん? どうかしたんですかー?」

「なんでもないですよー」


そうは言いつつトニアの腕前に感心する。

ゲルダの言う煮こごり…肉や魚のゼラチン質だが…を精製し、固め、その後粉末状にする。

いわゆるゼラチン粉である。

おそらく冷蔵庫を作る過程でミエが『冷蔵庫で作るもの』の例として挙げたゼリーとその製法あたりからシャミルが作ったのだろう。


ゼラチン粉は単純に肉のゼラチンを抽出すればいいというだけのものではない。

原材料に不純物が多すぎるためだ。

だから湯などで溶かした後に化学的…この世界で言うところの錬金術的処理を加えて純度を高めてやる必要があるはずである。


それを聞いただけでトライアンドエラーで作り上げてしまうシャミルも驚きだが、その新しい素材を用いてこの短い間にこんな果汁入りゼリーまで作り上げてしまうトニアもまた素晴らしい料理人と言えるだろう。


「素敵です! 素晴らしいです! うちの街は人材豊富ですねえ。羨ましいです!」

「お前が言うな」

「同感です」

「ですなのー」

「ひどいですー!?」


周囲から集中砲火を喰らうミエ。

まあ旧態依然だったオークの村をここまでの都市に押し上げた張本人なのだからそう言われても仕方ない気もするが、困ったことに当人にその自覚は全くない。


「と、とにかく! 冷蔵庫ができて冷たい食べ物がいつでも作れるようになったのはとても喜ばしいことです! ですよね?」

「そりゃあまあ」

「そうですね。食のレパートリーが増えるのは喜ばしいかと」

「はぁーいぃー。新しいお皿を考えるの楽しいですー」

「ですよね! ですよね! でもせっかくですし…もうちょっと先に進みたいですよね」

「「「先…?」」」


けげんそうに眉をひそめる他三人の前で、ミエは美味しそうにゼリーをぱくついた。


「女の子なんですから、やっぱりに憧れちゃうわけですよ。冷蔵庫が常備できるようになったらうちの名産にできませんかね」

「スイー…ツ?」

「はいゲルダさん! こうショートケーキとか! ガトーショコラとか! モンブランとか! モンブランとか!」

「なんで二回言うんですか」

「重要なことだからですエモニモさん! こう…できたてほかほかのケーキも美味しいですけど適度に冷やしたケーキも美味しいんですよ!」

「へえ…」

「ほーん…?」


エモニモとトニアは素直に感心するが、ゲルダだけはいまいち得心がいっていない顔つきだ。


「つかケーキってなんだ」

「甘くてふわふわで美味しい女の子の好きがいっぱい詰まった食べ物です!」

「クリーム…フルーツ…なるほどですー。確かに冷やしても美味しくできそうな気がしますねー」

「でしょでしょ?」


トニアが脳内でひんやりしたケーキの出来栄えをシミュレートし、合格点をあげる。


「小麦! 卵! バター! 牛乳! 砂糖! フルーツ! それに酵母! 幸いケーキを作る材料はもうこの村でほぼほほぼ手に入りますし! トニアさん! やりませんか!」

「楽しそうですねぇ。一口乗らせてもらいますー」

「そうこなくっちゃ!」


がっしと手を取り合うミエとトニア。





のちにこの世界のスイーツに革命を起こすことになる同盟が、締結された瞬間である。





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