第387話 他部族オーク問題
「さて宴もたけなわとなりましたが…」
「いやミエ、宴会をしていたわけではない」
「そうでした」
発酵食品の試食会で大いに盛り上がっている深夜の酒場、オーク亭。
そこに集まっている街の代表者たちは新しい味覚と酒ですっかりできあがっていた。
「一応! 今日は他にも議題があります! ありますので! …旦那様、後日にします?」
「イヤ。やル」
ミエに気遣われたクラスクは、頬をぴしゃりと叩くと居住まいを正す。
「他の里のオークの話ダナ」
「そうそう、それもです」
「モ…?」
クラスクはミエと己の行き違いに少しだけ首を捻ったが、すぐに得心した。
「成程。街ノ人口ノ話カ」
「はい!」
クラスクの頭の回転の速さにミエが嬉しそうに頷いた。
「元のクラスク村のあった場所…今は『中町』って呼ばれてるみたいですけど…はともかく、その外側、『下町』の人口増加が想定より早すぎます。このままでは当初の予定だった他部族のオーク受け入れ計画が頓挫しかねません」
クラスクは現在この地域のオーク族を束ねる大オークとなっている。
だが大オークは決して全てのオーク族が一切抗えぬ絶対的君主を意味しない。
まあ実際にそれができるだけの実力があることが前提ではあるのだが。
大オークは配下の全てのオークを喰わせてやらねばならない。
それがで可能な実力と指導力があるからこそ各部族のオーク達が膝を折るのだ。
さらに言えばクラスクを大オークと認められたのは食料だけの問題ではない。
他の部族の長が驚嘆したのはこの街の女性達の美しさと、オーク達の配偶率の高さである。
本来ならば既婚率の高さと言うべきなのだが、この街以外のオークには当時婚姻の概念が理解できていなかったのだから仕方ない。
ともあれ彼らは飯と女…つまり生存と繁殖に於いて、自分達が指導するよりクラスクの下に就いた方が有利だと判断したからこそ彼に降ったのだ。
ゆえにクラスクは彼らに常にそれらを示し続けなければならない。
過去の歴史における大オークは、それらを賄うために常に『外』を侵食することを選択した。
つまり複数の部族を束ね拡大した己の縄張りの辺縁…すなわち外周部にある街を襲撃し、大量の収奪と略奪を行ったわけだ。
オーク族は個々が強靭で頑健な肉体を誇り、そして戦いを好む性質を有している。
小部族でさえその戦闘力は端倪すべからざるものだというのに、それが軍隊規模となって普段より大きな街を襲うのだ。
周辺諸国にとってそれは脅威と恐怖以外の何物でもないだろう。
実際大オークが誕生した時代は各街が、そして各国が例外なく強い緊張に包まれる。
なにせ大オーク率いるオーク軍団相手に国家単位の戦争を行う覚悟がなくば、いたずらに被害と戦火が拡大するのみなのだ。
そしていざ軍を動かせば、必ず大きな犠牲が出る。
大オークは往々にして高い知恵を有していることが多く、オーク族だからと侮って裏をかかれ騎士団が一夜で壊滅したような事例すらあった。
…ともあれ、クラスクは大オークとなった以上、かつてそう呼ばれたオーク族の英雄達と同じ恩恵を、だが異なるやり方で彼らに与えてゆかねばならない。
なぜなら彼らが欲したのは単なる食料と女ではない。
食料と、この街のような女だからだ。
それはつまり虐げられておらず、不要な差別も受けず、生き生きとしている魅力的な女性達、ということだ。
だがそれを他部族のオーク達に与えるというのは容易なことではない。
なぜなら彼女たちの美しさは単なる蜂蜜由来の化粧品によってのみもたらされているわけではない(その要因も実に大きくはあるのだが)。
その自立性と主体性こそが彼女たちを輝かせているからだ。
そしてオーク族はこれまで女性を奴隷同然に扱ってきた。
婚姻の概念すら理解せず他部族の女を鎖に繋ぎ子を産む道具として扱ってきた。
そんな彼らの下に単にこの街の女性を連れて行っても何も解決しない。
美しくなくなってしまうからだ。
ゆえにまずオーク達の価値観を少しずつ変えてゆく必要がある。
あるのだが…これがなかなか上手くいってくれぬ。
他部族のオーク達がクラスクに降った時、ミエが真っ先に行ったのが各部族の集落に住まう女性達の地位の向上である。
そのためまずはクラスクと共に街の女性陣を幾人か引き連れ、各部族へと赴きかつて自分達が村で行ってきたことを広めることとした。
つまり村の娘を束縛から解放し、沐浴させ、衣服を整え、化粧を施してやったのだ。
まあ風呂だけは難しかったため水のかけ流しではあったけれど。
自分達が虜囚としていた娘達が美しく変貌する事に驚愕するオークども。
そしてそれが彼女たちが自由であるがゆえに得られるものだと、はっきりと教え諭す。
そして娘達に自分達に協力してくれれば人間らしい生活を取り戻してやれると、どうしてもオークとの暮らしに耐えられないなら最終的には故郷に返してあげると約束し、彼女たちに協力を要請した。
…が、ここからがななかなの難題であった。
まず各部族にはオークの教化と女性の指導ができる人物がいない。
クラスク市ともそれなりに離れているため、もし街の誰かを派遣させるなら常駐させるしかないが、街の方も各部族に全員派遣するまでの人的余裕がない。
確かに街の規模は急速に拡大したけれど、その増えている人口の大半はこの街に旨味があると集まってきた者達であって、決してクラスクやミエの理念に共感している者達ばかりではないからである。
定期的に派遣するにしてもその選定が難しい。
女性でなければ各集落の女性のケアができないが、女性では各部族のオーク達が侮って言う事を聞いてくれぬ。
派遣するのがオークならばオーク達に言う事を聞かせることはできるかもしれないが、長らくオーク族に監禁されてきた娘達を脅えさせてしまうし、彼らには細やかな女性の心情がわからぬため解放されたばかりの娘らの心のケアができぬ。
また自由になったことで逃亡を試みる女性達も少なからず現れて、それで幾つかの騒動が起きた。
幸いというか不幸と言うか、オーク族の集落の近くに人里などがあろうはずもなく、大概無事に保護…或いは捕獲され、大事には至らなかったが、彼女達が激昂したオークに殺されても不思議ではなかったし、またクラスクの指導力に疑問が持たれてもおかしくない事態であり、ミエとクラスクは幾度か肝を冷やした。
その対策として提案されたのが彼らを街に住まわせることである。
領土を守るために各部族の集落は砦とし残したままにして、女性達を皆クラスク市に住まわせる。
そして他部族のオーク達は街から定期的にかつて自分達の集落だった砦へと防衛目的で出勤してもらうわけだ。
ただそのためには彼らの文化程度を上げてもらう必要がある。
他の種族の者と街の中で問題を起こさぬ程度には常識を知識を学んでもらう必要も。
無論そのための萌芽はあらかじめ作っておいた。
ミエとクラスクが半年以上前から各部族のオークの若者を街に招き、仕事に従事させることで貨幣経済や他種族との交流などを学ばせていたのだ。
ただそうした流れがあっても、ある程度以上に年齢が高いオークは頑迷で、なかなかにそうした柔軟な対応が取れぬ。
共通語を教え街で試験を行っていた…イエタを連れ去ろうとしたあのオークなどがまさにその典型である。
あのオークは比較的頭が回り、物覚えも良く、他部族のオークの中ではだいぶ期待度が高かった。
年配のオークでも彼のような者が合格すればそうした者達に教育を任せ次々に他の集落を強化していけるのでは…と画策されたのだが、それが頓挫したのは言うまでもない。
斧で相手に言う事を聞かせることもできぬ若造が幾ら吼えたとて、壮年のオーク達はそうそう考えを変えることができぬ。
たとえ知識や知恵を与える事は出来ても、価値観を変容させることは難しいのだ。
かつてのクラスク村でそれを為し得たのは、ひとえにクラスクとミエの地道で丹念で献身的な、つきっきりの教育の賜物と言えるだろう。
…となるとどうすればいいか。
オーク達を養うこと自体はそう難しくない。
この街には他の街が羨むほどに金と食料だけはあるからだ。
ただ飯をくれてやるだけでは何も解決しない。
奪うだけの生活からもらうだけの生活に変わるだけだ。
それを許容すればたちまちオークは怠惰に堕するだろう。
食っちゃねしていれば生きていけるとなれば誰も働こうとしなくなる。
そしてそれはオーク族にとって宜しいことではない、とクラスクは考えていた。
襲撃や収奪でさえ、己が己自身の手で生きるための糧を得ているという意味に於いては怠惰よりマシだとすらクラスクは思っている。
そのあたりの価値観は、いかに他部族との関わりを覚えたとはいえクラスクはオーク族であり、彼ら寄りであると言えた。
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