第329話 死霊術と大喰らい

走る。

斬る。

逃げる。

避ける。


クラスクはその逃げ場のない丘の上で縦横無尽に駆けずり回っていた。


油断できる相手ではない。

なにせ他の戦場と異なり、彼の身の護りは非常の心許ないからである。


勿論クラスクにもネッカの防御術は事前に付与されていた。

だが〈岩肌ヴォックツェック〉を初めとする幾つかの希少な防御魔術や付与魔術は、既にクリューカの放った〈解呪ソヒュー・キブコフ〉によって全て破壊されていたのだ。


まあそもそも今彼が晒されているのはクリューカの人形と化したエルフどもが指先から放つ光弾と彼らの自爆による魔力の炸裂であり、それらはどちらも魔術によるダメージのため物理攻撃を防ぐ〈岩肌ヴォックツェック〉の呪文は全く用には立たぬのだが。


もしクラスクが魔術に対する造詣が深かったのならその奇妙さに気づいたかもしれない。

地底軍の首魁にしてギスの父である黒エルフブレイのクリューカ…彼はかつて〈炎の大蜷局キェミュート・アリンヴ〉による炎の大渦を放ち村を焼き払わんとしたことがある。

そしてその呪文は今夜もワッフ達を消し炭にせんと幾度も放たれていた。


炎の大蜷局キェミュート・アリンヴ〉は炎の精霊魔術だ。

一方〈解呪ソヒュー・キブコフ〉はである。


すなわち…地底軍の首魁たるクリューカは、精霊魔術と魔導術を高度なレベルで修めていることになるのだ。

精霊魔術による強大な攻撃呪文と、魔導術による様々な儀式魔術を操る魔精法師ましょうほうしと呼ばれる特殊な上級職である。


その彼が編み出した必殺の陣形…それが千魔陣である。

魔術によりエルフ族を傀儡として操り、彼らを魔力袋として自在に魔力を吸い取って強大な魔術を連発し、使い終わったは目的地まで歩かせた後で起爆し炸裂させて兵器にもできる。

対軍隊戦向けの、広域殲滅用の陣形である。


なにせ強大な破壊力を誇る魔精法師ましょうほうしがほぼ無尽蔵に攻撃魔術を放ち続けることができるのだ。

その危険性は言うまでもないだろう。


だが…その必殺の陣を以てしてもクラスクを仕留め切れない。

無論手傷は負っている。

光弾が肩を掠めたり、出し殻となったエルフどもの自爆攻撃をかわし切れなかったりとちょくちょく被弾自体はしている。



しているのだが…一向にクラスクのパフォーマンスが落ちないのだ。



かつて彼はミエの≪応援/旦那様(クラスク)≫の効果により≪ステータス還元(低級)≫の恩恵を受けていた。

彼女に≪応援≫されることでその補正の一部が永続的に還元され、能力値が恒久的に上昇する、という極めて強力なものだ。

ただし上昇するステータスには当然上限があり、度重なる妻の応援によって彼はその補正値を全て使い切っていた。


…が、ミエの度重なる≪応援≫により彼女の≪応援≫スキルレベルは上昇し、≪ステータス還元(中級)≫の域にまで達したていた。

ゆえにクラスクは再び一定値まで彼女の応援に応じたステータスを恒久的に上昇させることが可能となったのである。

これによりクラスクは全体的なステータスと耐久力をさらに向上させ、凡そオーク族とは思えぬほど高い能力値を有するに至った。


さらに言えば≪応援≫は精神効果の高揚系ボーナスを与えるものだ。

要は応援されることで当人が発奮しやる気を出している状態である。



つまり…それは呪文でもなければ魔術でもなく、〈解呪ソヒュー・キブコフ〉の対象とならないのだ。



本来であればそれはさして問題にならぬ。

通常スキルの精神系バフなど、魔術のそれに比べればその補正値は些少であり、打ち消そうが打ち消すまいが誤差にしかならぬ。

魔導術のサポートなどの方が遥かに厄介であり、率先して打ち消すべきものだ。



…本来ならば、だが。



ミエの≪応援≫は、それもクラスクに対する≪応援≫は些か事情が異なる。

特定の対象…一度決めたら生涯変えることのできぬ相手に対してのみ発動できる≪応援/ユニーク≫。

世界でただ一人の相手のみに発揮されるそれを、ミエはさらに日々の≪応援≫により高いレベルにまで高めている。

高度な魔術によるステータス補正に近しい、を、常にクラスクに提供し続けているのである。


打ち消されず、強力な能力補正。

それがクラスクがこの場に立ち続け、疲れを見せず戦い続けられる秘密なのだ。



ただ…それだけではない。

それに加えてもう一つ、クリューカにも理解できぬもう一つの理由が、そこに隠されていた。



「…………?」



先程から奇妙な違和感がある。

手にした斧の感触がが妙なのだ。


それはクラスクがこの戦いの最初からずっと感じていたことだった。


次々に繰り出されるエルフ達の光弾を潜り抜け、隙を突いて彼らを斧を斬り伏せ、離脱する。

数こそが敵の強味ならまず数を減らさねば。

それがクラスクの下した結論であった。


最初の内は彼らを助けるすべがあるかもとあえて攻撃せず守勢に回っていたが、敵の親玉の言い分通りなら彼らは既に死んでいて、単に肉体が生命を伴って蠢いているだけだ。


ならばもう遠慮の必要はない。

むしろとっとと命脈を断ってやるのが彼らのためであろう。


そうと決めるとクラスクは即座に攻撃に移った。

こうした時に即断即決できるのがオーク族の特性であり、特にクラスクはその判断力と決断力が非常に速い。


ただ…戦いながらも彼はずっと最初に感じた違和感を拭いきれなかった。


斧のダメージが

大ダメージというわけではなく、本当にのだ。


(ドうイウこトダ…?)


もちろん攻撃力が増すのは有難い。

有難いのだが今回の戦いまでそれに全く気づけなかったのが不思議である。

散々岩や木で散々試し斬りしていたはずなのに。


(……? カ…?)


彼が手にしている斧は父親から受け継いだものであり、その父はさらにその父親から譲り受けたと聞いた。

要はクラスクの一族に代々伝わる斧である。


歴代のオークが襲撃や戦争で使い続け未だに斧の形をしっかり保っているのだからかなり良質な戦斧なのは間違いない。

ネッカが≪魔具作成/武器防具≫で打ち鍛えられる程度には優れた武器だったのだろう。


だが…


ネッカがその斧に『家守やもり』のいわくを付与する際、武器に眠っていた邪悪かつ混沌で、死霊かつ変化のいわくを同時に呼び覚ましてしまったからだ。


死霊となればゾンビや吸血鬼といった連中の力であり、生きている者にとってろくなことにならぬ効果なのは明白である。

ゆえにクラスクは今日この日までその斧を生き物相手に振るった事は一度もなかった。


なにせ村長の仕事やら築城やらでなにかと忙しすぎたため、森の獣を狩って試し切りする暇もなかったのである。


つまり何かの違和感があるとするあなら人体…あるいはに攻撃したことによる影響ではなかろうか。

クラスクはそう推測した。


「ム……!」


光弾を避けるため素早くエルフの一人を叩き斬り、斧を肩口に突き込んだまま釣り竿のように光弾に向けて差し出し、盾にする。


だが攻撃を防いだなら急いで斧を引き抜かなければ。

僅かでもエルフの近くにいれば、彼らを自爆させられいらぬダメージを受けてしまう。


だが…


「ウオッ!?」


肩口に斧をめり込ませたエルフが、その向こうからの光弾を盾がわりに受けながらがくがくと揺れる。

そしてその身体が…クラスクの見ている前でみるみるとしなびていった。


傷口が完全に乾ききり、そのままどさりと地べたに転がったその死体は、カサカサに乾いたミイラのようになっていた。

そしてその身体から抜け出した血が…


蛇のようにうねりながら、己の斧刃にゆく。


じゅるじゅる。

じゅるじゅる。

ずるずる、ずずずずずず、と。

まるで生き物のようにそのエルフから血を奪い、嚥下しているのだ。


よく見ると己が手にした斧の柄の部分が、普段と異なり血のように赤黒く変色している。


クラスクはすぐにその場を離れ斧を片手に、光弾の標準をずらさんとジグザグに駆けた。

そして走りながら高速で思考を巡らせる。


今の攻防で二つの事がわかった。


一つは己の斧の特性である。

相手を攻撃した際、その切り口から血を啜っていた。

この戦いで感じていた違和感…ダメージが多少増えている、といった感覚は、どうやらこの吸血行為が原因のようだ。


これまではヒットアンドアウェイで一撃離脱を繰り返していたために吸血も一瞬だった。

だが今回の件のように相手の傷口に斧を押し当てていれば継続的に血を啜るようだ。

もし頑健な鎧などを着ている相手がいたとして、僅かでも傷つけることができれば、鎧を無視して吸血だけで持続的なダメージを与えられそうである。

随分と陰惨だが、かなり有用な効果のようだ。


そして…もう一つ気づいたことがある。


先刻のエルフは、しばらく近くにいたのに爆発しなかった。

クラスクが斧を突き刺したままで抜くのに少し手間取りそうな、まさに自爆させるには絶好のタイミングだったはずなのに、である。


どういうことだろう。

こちらを舐めているとも思えない。

いたぶるにしてももう少し効果的なやり口があるのではと思う。


(そうダ…血カ? 血ガ奴のの力の元なのデハ…?)


もし傀儡と化したエルフ達からあの黒エルフブレイが啜っている魔力が、エルフ族の血を媒介にしたものだとするならば、血を啜り尽くした先刻のエルフにはそもそも魔力が残っていないことになる。


魔力を吸い尽くしたエルフを用済みとして起爆させるとしても、その身体に一滴も血が残っていなければ…魔力が完全に枯渇しているのなら、そもそも起爆する事自体ができないのでは…?



「…試しテみるカ」






反撃の時間がやってきた。

クラスクは邪悪で呪わしい力を手に入れた己の斧を横薙ぎに構えると、魔狼が如き突進で傀儡たるエルフ達を狩り始めた。






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