第316話 千魔陣
現時点でこれ以上聞き出せる話はない。
そう判断したクラスクの動きは素早かった。
迷いなく草むらから飛び出し、背をかがめながら一気にクリューカへと肉薄し、手にした斧で横薙ぎに首を刎ね飛ばす。
一切迷いのない一撃。
宙に舞う耳の尖った頭部。
「ッ!?」
あっという間の結末に…だがクラスクは不気味な違和感を感じ背筋が総毛だった。
(なンダ…今のハ…?!)
妙な手応えだった。
奇妙な手触りだった。
第一に相手があまりに無抵抗に斬られすぎた。
第二に予想していたより与えたダメージが少しだけ多かった。
望んだ以上の戦果だというのに、一流の戦士であるがゆえに予測した以上の結果に逆に違和感を募らせる。
あっさり斬れた理由の一つは武器が変わったからだろう。
正確には昔から使っていた愛用の斧が魔法の斧となったからだ。
石すら断ち割る切れ味となったのだから
だが固さがまるでなかったのはおかしい。
普通斧や剣で叩き斬られる時、相手は多かれ少なかれ身構える。
身体が緊張で硬直し、それが斧に手触りとして伝わるのが普通なのに一切それがなかった。
それはつまり斬られる瞬間まで相手が緊張も何もしていなかったということだ。
次に感じた違和感はクラスクが予測していたよりも相手に与えた威力が少しだけ多かったことである。
魔法の斧であることを鑑みてもなお、ダメージが僅かに多かった気がするのだ。
木を切り倒し、石を叩き割り、散々魔法の斧と化した己の得物の使い勝手は確かめてきたにもかかわらず、である。
この少しの意味がよくわからず、クラスクは一瞬困惑した。
そしてそれらの事を全て一時に感じたクラスクは、脳で考えるよりも早く、その肌で理解した。
ここはまだ戦場のままだ。
戦いはまだ終わっていない、と。
そしてそんな感覚が背中に走り抜けるや否や斜め前方に身を投げ出し、地面を転がるようにしてその場から逃れた。
どずん、とクラスクの背後で音がする。
クラスクが先瞬まで立っていた、敵の親玉の首を刎ね飛ばした辺りを中心に半径3mほどの爆発が起きたのだ。
土埃が舞い、砂が飛び散り、丘を小さく振動させた後…そこには小さなクレーターができていた。
「「「ほう、なかなか勘がいいな」」」
「ム…?!」
先程と同じ声が聞こえてくる。
ただし…彼の周囲から一斉に、だ。
(なンダ…? 気配が湧イタ…?!)
先程までは確かにあの
一人だったはずだ。
だがいつの間にかその丘には無数の人の気配が現れていた。
まるで地面から生えたように、だ。
そしてそれと同時に先程の死体からあの
なんとも奇妙な言い回しだが、他に言いようがない。
確かにさっきまであの
そして今度はあの男の気配が、周囲から一斉に、そして濃厚に漂ってきた。
…端的に言えば、クラスクは大量のクリューカに囲まれていた。
「なンダ、これハ」
「ハハハ! ハハハハ! ハハハハハハハハハ!」
周囲から哄笑が巻き起こる。
ケタケタ、ケタケタと人が
クラスクの周囲には大量のエルフがいて、それが皆全く同じ表情で笑っている。
それはエルフだった。
地上にいる、森に住まうあのエルフである。
それがその小さな丘中にいる。
ざっと百人は下らないだろう。
それが皆同じ表情で、同じ口調で、同じ声の高さで高笑いしている。
なにより奇妙なのが、クラスクの直観が彼らを皆クリューカだと訴えていることだ。
そんなことはあり得ないはずなのに、妙な確信を伴ってそう認識してしまう。
エルフの一人がクラスクの方へ指を向けた。
考えるより早くクラスクは横っ飛びに避ける。
次の瞬間その指先から光の散弾のようなものが放たれ、クラスクが先程までいた場所を焦土に変える。
逃げた先にもエルフがいる。
いや右を向いても左を向いてもエルフがいる。
彼らは皆落ち窪んだ、虚ろな瞳でこちらの方を見て、ゆっくりと近づいてくる。
まるでゾンビのように。
「厄介ダナ!」
魔術師と対峙するとき、クラスクは常に射線を意識している。
先日ネッカが説明した通り、攻撃魔術というのは基本術師本人から射出されるものだからだ。
ゆえに壁で遮蔽を取ったり、或いは相手の仲間を盾にしたりと攻撃の射線が己に通らぬよう戦うのが術師と戦う際の鉄則だ。
だがこの相手にはそれが通用しない。
常に複数の相手に取り囲まれ、常にどこからか背中を狙われている。
これでは一息つける場所が存在しない。
常に全力疾走で、常に気を張り詰めて、常に周囲に警戒をしながら戦い続けなければならぬ。
(ダガ…なンダこの気配ハ……!?)
先程己が手をかけたエルフの死体。
今はただのエルフの死体。
だが先程確かにあの
そして今やその気配は周囲のエルフどもにバラバラに散っている。
見た目は皆違う。
金髪の者も銀髪の者もいる。
年齢も性別もまちまちだ。
皆エルフ族で、かつ生気のない顔をしている事を除けばむしろバラバラと言ってもいい。
だのに彼らから皆共通する気配がある。
先程の
臭いで表現するなら嗅ぐだけで胸がムカつく、酒が
「ハハハハハ! どうした。戸惑っているようだな」
「妙なまじないを使うな、オマエ」
「まじない! ハハハ! そうかまじないか! オークの語彙では仕方ないかもしれんな確かに! ハハハハハ!」
クラスクはムッとしたが、相手の機嫌が良さそうなのであえて挑発せず放置しながら周囲からの攻撃をかわし続ける。
相手がうっかりこの奇妙な能力について口を滑らせるのではないかと期待してのことだ。
「何かを期待しても無駄だぞ。この『
「とりあえず名前はわかっタ」
わざわざ共通語で語り掛けて来る事を考えると相当鬱憤が溜まっていたのだろう。
前回の撤退が案外堪えていたのだろうか。
こちらに精神的優位を取りたくてたまらぬらしい。
クラスクはそんななんとも失礼な感想を抱いた。
(ダガ
千とは人数の事だろうか。
人数はざっと百人程度にしか思えないがこういう時は大袈裟に言う方が敵に対する示威にもなると思ったのかもしれない。
クラスクは思考を巡らせる。
問題は人数の意味である。
単に相手を囲んで射線や射角の問題を克服するだけならこれほどの人数は必要ないはずだ。
なにせここに集まっているエルフ達は普通の兵士に比べ動きがやや緩慢で、攻撃も読みやすい。
全員がまじないを使ってくるのは脅威だが、この密集具合では射撃系のまじないは誤爆の恐れもある。
数の差で押し切ったり己の実を守るだけならそれこそ先刻突破した兵士どもここに配置しておけばいいはずではないか。
己目がけて指を差し光弾を放つエルフどもから背を向けて、だが視線を外さず素早く別のエルフの陰に身を隠す。
光弾は己が盾にしたエルフに次々と命中し、その肩を、脇を抉り、その後頭部を撃ち抜いた。
(まタダ…やっぱりこイツらおかシイ)
彼の部下? らしきエルフども。
虚ろな瞳でこちらを魔術で狙ってくる厄介な相手。
彼らは味方を撃ち抜く事に一切の躊躇がない。
だがそれはまだいい。
問題は撃ち抜かれる側にも一切の抵抗がない事である。
「ッ!?」
己が盾にしたことで仲間のエルフどもに撃ち抜かれ明らかに致命傷を負ったはずのエルフ。
そのエルフの女性が首をぐりんと背後に回してクラスクを見つめた。
「そこか」
そのエルフではない、別方向から声が響く。
考えるより早くクラスクは地面を思いっきり蹴ってそこから飛び出した。
周囲からは変わらず光弾を撃たれ続けており、それらが遮蔽を失ったクラスクの肩を、耳先をを掠め、肌を焼く。
その直後、先程遮蔽にしたはずのエルフが爆発四散した。
肉の欠片が散弾となって周囲に飛び散り、他のエルフどもにも、そしてクラスクにも襲い掛かる。
地面を再び大きく蹴って急角度で曲がり、別のエルフを遮蔽にする事で難を逃れる。
けれど今のが敵の意図的な攻撃なら…この遮蔽そのものが攻撃手段となり得ることになる。
(コイツ……!)
間違いない。この相手は…
まじないによりここにいる者どもを操り、命すら平気で捨て去る使い捨ての道具にしているのだ。
クラスクの斧を持つ手がぎり、と強まる。
その手には、憤怒の青筋が浮いていた。
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