第300話 変わる戦況
「ナンダナンダァー!?」
「誤報じゃねーよな!?」
突然の角笛に飛び上がったリーパグと背後に振り返ろうとしたゲルダがちょうど目を合わせる。
ミエとキャスはすぐに背後の狭間胸壁から身を乗り出し、居館の方を見つめた。
「どこから…!?」
「ミエ! あそこだ!」
キャスが指差した先…眼下の居館から何者がこけつまろびつ飛び出してきたのが見える。
相当慌てているその姿は…遠目ということを差し引いてもだいぶ、小さい。
「シャミルさん!?」
ミエは慌てて思い返した。
状況が切迫していて気づかなかったけれど、そう言えば城壁の上で彼女の皮肉を聞いていない気がする。
先日までこの壁と居館を完成させるため彼女は連日徹夜で寝ぼけ眼をこすっていた。
あの時見張り員からの報告でみんなが外に飛び出した時、だから彼女は寝落ちしていて一人宮廷に取り残されていたのだ。
眼下のシャミルは両膝を押さえ肩で息をしていたが、その後深呼吸して徐々に息を整えているようだ。
そして顔を上げ、城壁の東、ミエ達の方を見上げる。
「にしじゃー! にしー!」
腕を回し、体全体で大仰に西の方を指し示しながらそう叫ぶ彼女に、角笛の警戒する方向を知る。
居館に備え付けられているのは城下に警戒を示す角笛と、その方角を示す石板だ。
シャミルは角笛の音で慌てて飛び起きて、周囲に誰もいないことですぐに状況を察し、石板で方角を確認して城壁の上に知らせるために居館を飛び出したのだ。
「西…!」
「西か!」
顔を見合わせたミエとキャス。
そして皆で幕癖の上を西へ向かおうとして…
「旦那様ー!?」
クラスクが全力で疾走しながら既に城壁を半分ほど先に踏破しているのが見えた。
× × ×
初めから敵は西から攻めてくると確信していたクラスクは、角笛が鳴った瞬間迷いもせず西壁に向かって走り始めていた。
そして誰よりも早く到着し、見張り塔の下から声を上げる。
「見えルカ!」
「村長!?」
見張りたいから顔を出したのは衛兵隊のムンター。
元翡翠騎士団隊員の一人である。
「いえこちらからは何も…ただウレイム…あー…副隊長! が何かを感じると!」
「ティルゥか!」
「おーおー村長殿! いらしていたか!」
先日オーク達の肉肉祭りに乱入し、その後無銭飲食で捕まったゲルダの旧知らしき元傭兵の娘ウレィム・ティルゥが、見張り塔の出窓に膝裏を乗せ、塔の外壁にその身を投げ出して上下逆さまに西の方角を眺めている。
傍から見ていると目を覆いたくなるほどの危うさである。
「何か見えルノカ」
「いやなんも見えんな。ただ…感じる。結構な殺気だ」
「さっきからこの調子なんですよ村長。要領得ないっていうか…」
「…確かニ。イルナ」
「ふふん、だろう?」
「村長までー!?」
ムンターが愕然とする中、二人は城壁の上から城の西…細かく区切られた混合農業用の畑地の先にある草原を凝視している。
ちょうど平地と荒地ばかり広がっているこの一帯に於いて珍しく小高い丘のあるあたりだ。
いくら目を凝らしても何も見えない。
一件すると単に草が風で薙いでいるだけのように見える。
だが…いる。
確かに何かがいる。
肌で感じる剣呑な空気が、そこに何者かが潜んでいることを感じさせた。
「……結構な数ダナ。お前の見立テハ、ティルゥ」
「そうさな。この剣呑な気配からして軍隊が潜んでいてもおかしくはなかろうよ。ただその数を擁しておいてこの距離で一切目に見えぬのは些か腑に落ちん」
「まじないか」
「おそらくは」
クラスクが感じたこととほぼ同じ結論を語るティルゥ。
最近村に入った新参だが、なかなかに優秀な娘のようだ。
クラスクは静かに感心した。
「こちらからも伺って宜しいかー」
「ナンダ」
相変わらず見張り塔から外壁へと身を投げ出したまま、ウレィムが問いかける。
「連中こっちをヤるつもりなのは明らかなのだが…それにしては攻めっ気がまるでないように見受けられる。なぜだと思う?」
「東の方デ騎士団と奴らの別動隊が交戦始めタ。お陰デうちはすっかり臨戦態勢ダ。今動いテモすぐに気づかれテ応戦されルト思っタンダロウ」
「なるほど?」
「アト隠れテル連中は地底の連中ダロウ。真昼間に動くのハそんなに得意じゃない。来るなら夜」
「確かに! ハハハ。では夜を愉しみに先に飯でも食っておくか!」
「それがイイ」
「うむ。なにせ先刻より城下の広場から極上の匂いがしてきてな! ムンター! 先に昼餉にするぞ! 交代が来たらお前も来い!」
「ハッ!」
腹筋だけで上体を起こし、そのまま見張り塔の中へと飛び込んだティルゥは、そのまま階段を城壁部まで駆け下りた。
「では村長殿。また夜に」
「アア」
厳密には見張り兵であるなら見張り塔に待機し、食事は配給されるのを待つのが正しいのだけれど、彼女の行動をいちいち制限するよりは好きにさせた方が戦果に結びつくような気がして、クラスクはあえて注意せず当人の気の向くままにさせた。
確かにゲルダの言う通り、強くても人の上に立つタイプではなさそうである。
(トすルト…ソウカ。なら足りなイのハ……?)
クラスクは現状の城の戦力と、敵の脅威とを比べて、そこから引き算をする。
(ソウカ……なら必要なのハ……!)
彼がなんらかの成算を得て顔を上げた時…ちょうど城壁の対岸からミエ達が西壁へと到着した。
「ハァ、ハァ…旦那様……!」
「おー…とーちゃくー」
「お前はあたしの肩に乗ってただけだろ!」
「おー…のってただけだった」
サフィナはなにが嬉しいのか両手を掲げ万歳をする。
「何がおかしいこのー」
「ぐりぐりいたい」
いつもと変わらぬノリに少しくすりとするミエ。
「クラスク殿、それで敵は…」
「見えン。ダガイル」
「ほう…!」
キャスも素早く眼を走らせるが、確かに敵影はない。
だがクラスクがそういう以上そうなのだろう。
その点を彼女は疑いはしなかった。
「ここの用事は済んダ。急いで会議スル。宮廷会議ッテ奴ダ」
「わかった」
「わかりました」
「おー」
「えー、もう終わりかよー」
口々にクラスクの言葉に賛同(?)する一同。
「タダシ…その前に会議に必要な奴がイル」
「ふぇ…? シャミルさんですか? シャミルさんならさっき…」
「ネッカダ。ドうしテモアイツがイル。探セ。俺も探ス」
「「「あ…?!」」」
言われてみて一同は今更気づいた。
最近会議のたびに出席していたはずのネッカの姿は…今日に限ってどこにもない。
「あっれー…そういやアイツどこ行きやがった…?」
「おー…たぶんお城の壁の中のどこかにいる…?」
「サフィナがそういうならそうなのだろうが…」
ネッカは最近いつも会議に出てはいたけれど、会議のメンバーそのものとして選ばれていたわけではなかった。
ただ魔導術にせよ魔具にせよ彼女の意見や進捗報告が欠かせなかったため結果的に常に参加していただけである。
だがクラスクが必要と判断しからには間違いなく必要なのだろう。
彼の判断力と決断力は、今や村内の者から絶大な信頼を勝ち得ていた。
そしてそれは村の代表たる彼女達も同様だったのだ。
「…旦那様」
「ナンダ」
そんな中…ミエは少しだけ躊躇した後、クラスクに決意の目を向けた。
「すいません旦那様。私だけ、ネッカさんを探す前に少し寄り道してもいいですか?」
「ドコダ」
ミエはクラスクに意見を求められれば口にするけれど、一度クラスクが決めたことに異を唱えることは殆どない。
その珍しい物言いに、彼はついその中身について問い質した。
「収容施設のマルトさんのところへ。これから何が起こるかも、どれだけかかるかもわかりません。ですから…子供達に、一目」
「…わかっタ」
「ありがとうございます! 旦那様も頑張ってください!」
ぺこりとクラスクに頭を下げ、全力で走り出すミエ。
母としてはいつだって、いつまでだって子供の側にいたいだろうに、それを耐える姿にクラスクは胸を痛めた。
彼の情操は、既にオーク本来のそれとは大きく異なるものとなっていたのである。
「…負けられんな」
「アア…」
キャスの言葉にそんな想いを新たにしたクラスクは…ミエの後に続くように城壁から降りるべく会談へと向かった。
行方不明のドワーフ娘…ネカターエルを、探さなければ。
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