第207話 畜産農業

「チュー…凄いお店だったでチュ…」


この村に関しては支店長であり上司であるフィモッスから色々と噂を聞いており、以前からずっと興味があった。

だがいかんせん彼女は飛び込みで採用してもらった下働きであり、初めの内は重要な仕事を任せてはもらえなかったのだ。


なにせ国外の商取引に同道させてもらったのは今回が初めてだったので、だから馬車に揺られながらこの村を訪れることをずっとずっと楽しみにしていた。


彼女が想像していたよりこの村はずっと活気があって、

彼女が考えていたよりあの店はずっと素敵だった。


レスレゥはあまりの情報過多にちょっと熱っぽくなってふらふらと村の表通りを歩く。

知恵熱だろうか。


ただどうにもこの村は彼女が思い悩むことすら許してくれそうにないようだ。

たちまち彼女の腹が空腹を訴え、そしてそれがなんとも香しい肉の焼ける匂いせいだと気づいた。


「チュ…」


匂いに釣られてあっちにふらふら、こっちにふらふら。

気付けばレスレゥは村の繁華街へと迷い込んでいた。


軒を連ねる屋台や露店。

そこで売り買いされている様々な商品、食品。


村の者が購っていくのだろう生野菜や根菜類。

鶏肉、豚肉、羊肉、そして少しだけ牛肉などの豊富な肉類。

牛乳や羊乳、それに幾つかの種類のチーズやバターなどの乳製品。

さらには豚肉などがハムやベーコン、或いはソーセージや干し肉などの加工商品として売られ、村の者や旅の者が購入してゆく。


特にレスレゥの目を一際引いたのは多種多様の肉料理だった。


彼女が先刻食べた焼き串、豪快な腿焼き、調理されたソテーが乗った皿料理、さらには棒に突き刺した焼き肉をナイフで削ぎ落してパンに挟んで渡す見たことのないような料理まで、多種多様な肉料理が並んでいた。


皿料理を出すようなところは店の前に丸テーブルと椅子を並べており、そこで食事を摂る事ができる。

また繁華街にはあちこちに公共物らしき横に長い椅子が設置されており、そこで昼餉と洒落込むことだって可能だ。


レスレゥは今までフィモッスについて馬車に乗り、様々な村や街を巡ってきた。

この村よりも遥かに大きな街だって幾つも通ってきた。


だが…これほど多くの肉料理が供される街を、これまでに見たことがなかった。


一体どういうことなのだろう。

何故この村はこれほどたくさん肉が売られているのだろう。

食欲よりもそちらが気になって、レスレゥは往来の真ん中で腕を組んで考え込んだ。



…この村の現在の食肉事情に対する疑問はそのままこの村の農業事情に繋がる。



この世界の畜産は畑を肥やすための畜糞が主たる目的である。

瘴気によって荒れた土地に少しでも栄養を与えるため、人型生物が住むことでまず最初に生えてくる草類を家畜に与え、そこから得た畜糞で土地を肥やし作物を育てるのだ。


だがこの世界の家畜の多くは冬を越せない。


新たな開拓地として発展しつつあるこのアルザス王国は当然としてそれ以外の国でも人間族の人口は増え続けており、畑にはその食料として麦が植えられる。

二圃制で麦を作り続ける限り休耕地は放牧して地味を回復させるしかない。


けれど冬になれば寒さで十分な牧草が得られず、家畜達が冬を生き延びるだけの飼料を供給できない。

したがって基本的には育てた家畜は次の年に子を産む種畜以外冬になる前に屠殺して食肉にしてしまう。

ただしこの方式では一定量以上の食肉は得られない。


牧草以外に大量の食肉を得る方法としては豚がある。


豚は牛などに比べ多産であり、食肉になるまでの期間が短い。

また牧草地などを利用せずとも森などに放し飼いにするだけで木の実などを食べて簡単に育つ。

冬になれば森で食べるものも同様になくなるため越冬の問題は解決できないが、肉量を増やすだけなら豚は非常に優れた家畜なのだ。


…が、この地方の森にはエルフ族が多く住み、彼らは森を荒らされるのを好まない。

結果豚を育てる餌は人間の残飯などに限られ、これまた安易に数が増やせない。


一方でミエの導入した混合農業はこの世界の二圃制を二時代分ほど飛び越えたものだ。

連作障害に対応するため途中に豆類を植えた牧草地や根菜を経由した輪作を行い、これに加えて家畜の畜糞や移動用鶏舎の鶏糞などによって土壌を回復させている。


このとき間に挟む根菜はミエの肝いりで甜菜となった。

甜菜はこの地方では栽培されていない作物だったが、アーリの妙に手広い知識によって東のイゼッタ公国で同種の作物が植えられていることを突き止め、アーリンツ商会の交易によって入手した。


甜菜は蕪に似た作物で、根菜としては青臭く食用には適さないが、直根を細切りにし煮詰めることでビートシロップを、それをさらに結晶化させることで砂糖を生成できる。

いわゆる甜菜糖だ。


さらにその根を煮詰めた残り粕…いわゆるビートパルプは牛の飼料に、地上の茎や葉っぱ…ビートトップはその他の家畜の飼料に回すことができ、すべて無駄なく利用できる上に寒さに強く寒冷地や冬でも収穫できる。

これを冬季の家畜の飼料に当てることで家畜たちを安定して越冬させることができるのだ。


まあこの村は未だ本格的な冬を迎えていないけれど、少なくとも栽培結果からその目処は立った。


安定して家畜を越冬させることができるということは家畜の数を間引く必要がないということであり、つまり常に一定数の家畜を食肉として確保し続けられるということに繋がる。


ミエの提示した農法は、同時に畜産改革でもあったのだ。


だが連作障害についての経験的知識しか持ち合わせておらず、豆類の窒素固定や根物や葉物などの輪作による効率的な土壌回復の方法を知らぬ他地域の農民たちはこの村のように家畜を増やすことができない。

仮にこの村の方式を知ったとて、瘴気法により小さな地主が大量に存在するこの世界の土地事情は、広い土地を一括で集約管理し効率的に運用する混合農業はに致命的に不向きである。



結果としてこの農業と畜産の大規模な改革は…現状この村に於いてしか成し得ないのだ。



さて、レスレゥが幾ら首を捻っても流石に元の知識が足りずその辺りまでは思い至らない。

ただ彼女なりに必死に考えて「家畜も餌を食べなければならない」ことと「村に入る前に細かく区切られたすごい立派な畑があった」ということはわかった。


もしその二つに関連性があるとしたら…?


そう気づいたレスレゥは自分の考えを確かめるべく村外れへと向かった。


…いや向かおうとして漂う肉の焼ける匂いに耐え切れず、もらった小遣いで肉串を買ってまた駆けだした。


「美味いでチュ…」


繁華街を跡に、てちてちと村はずれへと向かう。

ただ彼女は東西に延びる繁華街をまっすぐ進んでしまったため、自分が入って来た村の南側でなく、村の西側の方へと歩を進めてしまった。


人通りが徐々に減り、かわりに村の外からの馬車と二度ほどすれ違う。

肉串を食べ終わるころには、すっかり村の外れへとたどり着いていた。


この村の住人らしき人間族とノーム族の女性が何やら立ち話をしており、ぺこりと頭を下げて脇を過ぎる。

相手の人間の女性も丁寧に頭を下げて来て、獣人相手の態度としては驚くほど丁寧で少し驚いた。


「でチュ…?」


そして…西門に辿り着いたとき、先刻通り過ぎた南門では見かけなかった奇妙なものを、そこで見つけた。



石である。



縦横90cm、高さがその倍ほどの綺麗な直方体の石が、村外れに積み上がっている。

数は十個ほどだろうか。


「………?」


レスレゥはこれをどこかで見たことがあるような気がした。

こんな中途半端なものではなく、もっと高く積み上げられた…


「チュウ!」


そしてようやく思い至って手を叩く。

そうだ、これは…





これはだ。

村の周囲を覆わんとする堅牢な城壁…その作り始めの端緒の端緒に違いなかった。





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