第195話 広がる応援

声が、聞こえた。

自分達を応援する女性の声だった。

それが族長夫人の…ミエのものだとすぐにわかる。


どうしてこんなところまで声が届いたのかわからない。

だが理屈などどうでもいい。

彼女の声が届いたこと、ただそれだけが大事だった。


力が漲る。

やる気が湧いてくる。

彼女と言葉を交わすと、彼女の声を背に受けると、不思議となんでもできるような気がしてくる。


きっと前族長、あの尊大なるウッケ・ハヴシを打ち倒した時のクラスク族長もこんな気分だったに違いない。

井戸掘りフォーファーはそんなことをふと思った。


クラスク村に幾つもの井戸をもたらした井戸掘り頭のフォーファーは、己の腕に食らいつく狼と、その狼を隠れ蓑の急所を執拗に狙うゴブリンをくわと睨みつける。



このまま負けるかもしれない。

死ぬかもしれない。

だが、と己の腕に力を込める。



クラスク族長に命じられた以上、ラオクィクと約した以上、そしてミエの声援を受けた以上…

喩え己が死のうと、彼らが生き延びる結末だけはあってはならぬ、と。



「ソンナニ俺ノ腕ガ美味イカ? 欲シケリャ…クレテヤル…ッ!!」



必死に腕を引き抜こうとしても狼の牙は決してそれを離そうとしない。

それならば…と、彼はあろうことか己の左腕をより一層狼の口腔内深くに突き込んだ。


腕に牙の形に沿って斬禍が刻まれ、血飛沫と共に激痛が走る。

だがそれは狼にとっても想定外の攻撃だった。

喉奥に拳を突き込まれて情けない悲鳴を上げる。


同時に先刻まで一方的に攻め立てられていたゴブリンに向かって、腕を突き入れた分だけより接近したフォーファーは、彼に盛大な頭突きを見舞うとその顔面をひしゃげさせ前歯をへし折った。


「背中借リルゾ」

「ブヒンッ!?」


そして右のあぶみを外して片足を抜いた彼は…フィコソークウマーイの背を蹴り、大きく宙に舞うと…


己の腕ごと、その狼の体を地べたへと叩きつけた。


大きな悲鳴、情けない声。

だがその口に突き込まれた彼の腕ゆえに逃れることもできず、狼はその投擲をまともに喰らう。


ただフォーファーもまた食い込んだ牙と衝撃とで苦痛に顔を歪めた。

なにせ半ば自爆覚悟の一撃である。


いつもの彼なら、そこで気を抜いていたかもしれない。

ゴブリンの短剣から毒を受けていたし、出血による疲労も馬鹿にならなかった。

注意力が途切れても仕方のない状況なのだ。


だが…族長夫人の声が聞こえた時から、彼の心には妙な落ち着きがあった。

ゆえにいつもなら見落とすであろうことに…二つほど気が付いた。


一つ目は狼を叩きつけた時にゴブリンの悲鳴が聞こえなかったこと。

二つ目は己の頭上から降り注ぐ月光が、僅かに弱くなったこと。


「ウロチョロスンナ」


右肩を強引に上げ上体を起こしたフォーファーは…

己の頭上から首筋の急所目がけて短剣を突き入れようとしていたゴブリンの腰から伸びていた、先刻まで彼と狼とを繋げでいた革帯を引っ掴むと、そのままぶうんと振り回して己の後方に頭から叩きつけた。


「ブヒンッ!?」


ぶぎゃん、というゴブリンの悲鳴と同時になぜかフィコソークウマーイの驚いたような嘶きが聞こえて、直後にフィコソークウマーイの蹴り脚の音が響いた。


地面に叩きつけられたはずのゴブリンは、だが盗賊流に巧みに受け身を取って後方に転回、そのまま油断したフォーファーの背後にとどめを入れようとして…


主人を失い不安げにウロウロしていたフィコソークウマーイの後ろ脚に思いっきり踏み潰され、驚いた彼に全力で後方に蹴り飛ばされていたのである。


つい先刻までゴブリンだった塊を視界の端に確認し、後方の危険が去ったことを確認したフォーファーは…


近くに落ちていた己の斧を掴むと、自分の腕を咥え込み反撃も身動きもできず脅え震える獣に…オーク語で呟いた。



「俺ノ腕ヲ喰ッタ以上、血ヲ啜ッタ以上、オ前ヲ生カスワケニハイカン。



語り掛けられた狼の様子が、少しおかしい。

先刻まで脅えていたはずなのに、牙を剥き出しにして、低く唸り声を上げ始めた。


そして…その瞳が充血し、紅く、紅く染まってゆく。



「…悪ク思ウナ。先ニ仕掛ケタノハソッチダ」



月を覆うように雲がかかる。

闇の中…獣の断末魔と何かの血渋く音が、した。



×        ×        ×



「くそっ! 待てっ!」

「うわこっちくんな!」


騎士達が騎狼どもの攻撃に翻弄されている。

狼の群れはゴブリン達の指揮の下、草叢の中からの襲撃を敢行し、再び草叢の中へと消え失せる。


この辺りの草の丈は狼達を消し去るほどではないけれど、彼らの背中ほどしか見えなくなってしまう。

篝火が周囲を照らしているとはいえ、夜行性でもない人間族の騎士達からすれば、それは殆ど見えないのと同義であった。

狼どもの背にゴブリンが騎乗していれば話は別なのだろうが、彼らは狼の腹の下や脇腹に巧みにその位置を変え、変幻自在に身を隠し騎士達に襲いかかった。


大きな盾と丈夫な鎖鎧。

騎士達の守りは堅牢で、ゴブリンの非力さではその隙間でも突かなければダメージを与えることは難しい。


けれどいつ急所に毒を突き込まれるかわからないという圧力をかけ続け、騎士達を常に緊張下に追い込み、守りを固めさせることでほぼ一方的に攻撃を続けていた。


もはや騎乗している騎士達は半分に満たぬ。

そして彼らもまた騎狼達の機動力に手を焼き、有効打を与えられていない。

騎士の突撃は正面の強大な相手を打ち破るのに向いてはいるが、今回のように自分達より小さく、また素早い相手を狙うには不向きなのだ。


なにより狼達は騎馬の脚を狙って毒刃を振るってくる。

それを防ぐために彼らは留まることが許されず、また守りに回らざるを得ない。

だからと言って馬を降りたり見捨てたりといった選択肢は絶対にとることができない。


なぜなら狼たちの目的は村の襲撃であり、そのために機動力のある騎士達の足止めをしているのだから。

もし騎士達が馬を捨ててしまえばゴブリンどもはとっとと彼らを見捨てて狼に跨り村への全力疾走を敢行していることだろう。


未だ騎士達に背後から追撃される恐れがあるからこそ、ゴブリンどもも迂闊にこの場を離れることができないのだ。

そういう意味では…苦戦しているようで、騎士達も十分に仕事を果たしていると言える。


ただ…このままではジリ貧なことに変わりはない。

だが今の状況を打破する目算もない。


今日のの彼らにはこういう時に的確な指示を下す騎士隊長と、それを堅実に実行に移す副隊長がいないのだ。


なんとかしなければ。

自分達だけで、なんとかしなければ。

せめて、せめて何か逆転の一手があれば…


「…あれ、なんか聞こえないか」

「ああ…声?」

「本当だ…聞こえる…!」





…と、その時彼らに届いたものがあった。

それはミエの声…そしてミエの心からの≪応援≫であった。





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