第187話 戦端
夜…クラスク村の灯火は全て落ちた。
周囲に広がる畑には人気はなく、牧草地にいた家畜たちも皆畜舎に戻された。
まるで命ある者は誰もいないかのように、その村はしんと静まり返っている。
星明りと欠けている月明かりとだけが僅かに村を薄黒く浮きだたせ、ある種不気味なシルエットを形作っていた。
…と、そんな暗闇の中、畑を横断する影があった。
子供だろうか。
小さな人影が数人、音を立てず密やかに村に近づいてゆく。
彼らは声を出さぬまま、だが細かな身振り手振りのみで互いの意思の疎通を図っているようだ。
彼らは村の周囲に築かれた柵の前まで近寄って、問題ないと頷き合うと、背後に大きく手を振ろうとして…
唐突に、眩しい光に照らされ醜いうめき声を上げた。
村の中央にいつの間にか丸太を組んで作られた大きな営火が設置されていて、その中にうずと小枝が積まれていた。
まるでキャンプファイヤーのように燃え盛るその巨大な炎の横に、松明を手にしたミエがいる。
「きゃー! 燃えるっ! 勢いすごいっ! 熱いっ! 服が焦げちゃいますー! きゃーっ!?」
…まあその様子はあまり様にはなっていなかったが。
「ほんっとによく燃えますね…流石アーリさん特注の油…いや注文したのはサフィナちゃんだけど…」
この篝火や主に夜目が効かない人間族…即ち翡翠騎士隊のために点けられたものである。
ゴブリンもオークも≪暗視≫を持っているし、エルフ族には≪夜目≫がある。
闇討ちされたら彼ら騎士隊だけ大いに不利になってしまうのだ。
当然相手もそれを狙って夜襲を仕掛けてきたわけだが。
(それにしても…普通に薪で十分燃えるのになんでわざわざ注文してまで油使ったんだろ…それもあんなやり方で…)
ミエがちら、とサフィナの方を見上げる。
「さぁーってっと! ほんじゃま、気合入れてくか! 行くぜ、サフィナ!」
「うん。サフィナ…がんばる…!」
その視線の先にはゲルダとなぜか彼女に肩車されているサフィナがおり、サフィナが両手を頭上に掲げて妙にやる気である。
またゲルダは珍しく大きな斧を片手に持っていて、その先端をぶらぶらと揺らしていた。
周囲には炎に身を寄せるように村人たちが集まって怯え震えている。
さらには不幸にも今日宿泊していた隊商の商人や旅の者、吟遊詩人なども身を寄せ合って恐怖に震えあがっていた。
彼らの護衛役だろうか、他にも斧を構えたオーク達が数人、篝火を囲んでいる。
「まったく…わしはこう言うところには場違いじゃというに。いても役に立たんじゃろ!」
「とはいえ今この村から森の方に行くと目立ちますので…すいません」
不機嫌そうに捲し立てるシャミルにぺこぺこと頭を下げるミエ。
ミエやキャスのように森の方からこちらに来るのならまだしも、こちらの村から直接森へと不用意に向かえば森の中の村の存在が彼らに知られかねない。
今は病床のギスもいるのである。
彼らに森の中のクラスク村の場所を気取られるわけにはいかないのだ。
「さあ、前回のような恥晒しな真似は勘弁ですよ、貴方達!」
「「「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」」」
「わかってますって副隊長!」
「こっちだってずっとリベンジの機会を待ってたんだっつーの!!」
先頭で馬を駆る翡翠騎士団第七騎士隊副隊長エモニモの言葉に背後の騎士達が勇躍し馬に鞭を当て村の北門から飛び出す。
その数ニ十騎ほど。
ライネスとレオナルも口々に雪辱を叫び士気を上げた。
「お前達、ついテ来イ」
「いいか! 訓練を忘れるな!」
「「「オオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」」」
そして
他に馬に乗っているのはラオクィクを先頭に数騎いるが、それ以外の大半は
「サ、油断スルデネエド! オラニ続クダ!」
「「「ヘイ! ワッフ兄貴!」」」
その
これは抜擢というより彼が足が短くて上手く馬に乗れないから騎馬隊から外された、という事情もあった。
彼らは周囲を大きく回りながら西に進路を取る。
どうやらそちらの敵の本体がいるようだ。
「サァテト…ソッチダ! 右ノ方! ソノママヤッチマエ! ドゥキフコヴ! ヴェノシ! 周リ込メ!」
「「オオ!」」
一方で村に残って守りを固める者達もいる。
その内の一隊がリーパグが率いるオーク軍団だ。
敵はゴブリン。
そして小柄、闇夜、盗賊とくれば当然暗夜に紛れての潜入工作をこそ最大限警戒すべきだろう。
リーパグはその目の良さを買われ、村の周囲でそうしたゴブリンたちの掃討を任されていた。
さて、そんなリーパグのずっと後ろ、篝火の比較的近くでぶうん、と大斧が振るわれて、建物の陰から飛び出たゴブリンの胴体が真っ二つになった。
両断された死骸に目もくれず、篝火を背に仁王立ちしているのはオーク族のクハソーク。
この村のオーク達の中では比較的
「兄貴! 異常アリマセン!」
「コッチモ気配ハネーデス!」
「フン…マダ動キハナイカ…」
つい先刻ゴブリンを両断したとは思えない言葉だが、クハソークの仕事は獲物は彼らのような小物ではない。
相手が隠している伏兵がいつ村を襲うとも限らない。
そのための村の護りの要を彼は任されていた。
かなりの大任である。
「あんたぁ~!」
「トニア! コッチハ危ナイ。広場ニ戻レ」
と、そこに背後から声がかかる。
彼の妻、
どうやら夫が心配で広場からこっそり抜けてきたものらしい。
「わかってますぅ~。気を付けてくださいねぇ~!」
トニアはこの戦場に於いてすらやや間延びした口調でそう告げると、ぱたぱたと駆け去っていった。
「…フン。応援、カ」
かつて村の若者クラスクに賭けた時、あの頂上決闘で。
彼を必死に必死に応援していたミエの姿が、クハソークには強く印象に残っていた。
あの時はなぜあんなことをしているのだろうと不思議だったけれど、今はよくわかる。
女の応援は力をくれるのだ。
トニアが嫁となってから、彼にはそれがよくよくわかった。
そして長い間のオーク族の誤りも。
自分の敗北は彼女の危機と死を招く…
そう感じた時、斧を持つ手に力が籠った。
彼にとって今宵の戦いは…今まで以上に負けられぬものとなっていた。
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