第174話 商談

「あのー、わたくしどもはですね、ここより南の方で商売をしている者なんですが…」


フレヴトが中年らしき落ち着きを装いながら、髭を揺らして慎重に話を持ち掛ける。


「知ってるニャ。ヴリドロント商会っていったらバクラダ王国に幾つも支店がある結構大きな商店だニャ。結構古くから商売してるとこニャ?」

「え?! ご、御存知でしたか…」

「そっちのティロンム商会ってのはディスティア王国で最近売り出してる小さいながらも新進気鋭の店舗ニャ? まだ支店はニャいけど結構急成長してるって聞くニャ」

「うえ…?! 俺らのとこまで知ってるんですか!?」


滔々と述べるアーリの言葉に二人が唖然とする。

こっちは未だこのアーリンツ商会がなんなのかそのとっかかりも掴めないというのに、なぜ彼女はそんなにもこちらについて詳しいのだろうか。

それもヴリドロント商会はそれなりの規模だからまだ耳にしていてもおかしくはないが、ティロンム商会に至ってはこの国に隣接すらしていない他国の、それもまだ支店すら置いていない売り出し中の商会である。

なんでそんな規模の店のことまで知っているのだろう。


「そりゃまあ生き馬の目を抜く商売の世界ニャ。ライバルの情報くらい調べて当然ニャ」


アーリは軽くウィンクして蜂蜜酒ミードを傾ける。


「で、察するにうちの提携して商売したいとか、うちと同じところから商品を仕入れたいとかそういう話がしたいのかニャ?」


機先を制され、さらにこちらの言いたいことまで言われてしまい、すっかり飲まれた二人はぶんぶんと首を幾度も縦に振ることしかできない。


「じゃ無駄話をしニャイように最初に結論だけ言わせてもらうニャ。まずフレブトさんのとことの話はお断りニャ。

「な、なんで私だけ…!?」


がた、と中腰になったフレヴトをアーリが静かに見つめる。


「『おたくの支店』『西の方』…街の名前まで言った方がいいかニャ? 


半ば興奮していたフレヴトは、だがアーリの話を聞いている内に眉根を寄せて、最後には真っ青になってどっと腰をソファに落とす。


?」

「あ、いえ…っ!!」


手を前に、青い顔でぶんぶんと首を振るフレブトにフィモッスが怪訝そうに眉を顰める。


フレヴトは泡立つ肌で感じた。

彼女は先程商人の情報網で知ったと言った。


だが違う。

きっと違う。


彼女は

方法は不明だが、間違いなく異なる情報網を持っている。

それも相当に強力で、正確で、それでいて迅速な何かだ。


知らず総身から汗が流れ、寒くなった体を暖めるが如く彼は杯をあおった。


「で、そっちのお若い方…まあアーr…私も若い方ニャけど、ティロンム商会のフィモッスさん、だったかニャ?」

「は、はい!」


緊張のあまり上ずった声で返事をするフィモッス。

まあ自分より年嵩で頼れる先輩であるフレブトが一刀の元に切り伏せられたのだ。

それは緊張もしようというものである。


「さっき下の店でうちの商品を見てたみたいニャけど、そこで何か気付いたことはあったかニャ? どんなささいなことでもいいニャ」

「気づいた、こと…?」


フィモッスは必死に己を落ち着かせ、記憶と注意力を総動員する。


「ええっと…まず値段が安くて、あと品質もとても高くって…」


隣で聞いていたフレブトはうんうんと頷きつつだが眉根を顰める。


だってそれは誰でも見ればわかることだ。

そんな当たり前のことを彼女は聞いてこないはず。

ならば彼女が望んでいる答えとは一体…


「それと…そのー、ですね。あの、的外れなのかもしれないんですけど…」

「いいニャいいニャ。好きに言ってほしいニャ」

「ええっと…蜂蜜とか食器具とか、こう、元は王族や貴族の文化じゃないですか。今では商人とかにも広まってるけど、庶民にはまだ到底手が届かない」

「ふん、ふん!」


何気ない素振りで相槌を打ちながらも、アーリの猫髭がぴんと伸びて背中の尻尾が彼女の頭上で左右に揺れている。

軽度の興奮状態にあるようだ。


「でも価格帯を見ると…その、狙っている層はどう考えても商人や貴族じゃなくて中流か下層の庶民で…だから、上流の文化を下に広めるか、でなければを上げようとしているのかな、と…」

「ニャ!」


先程商品のラインナップを見ていてなんとなく心に浮かんだことを、一つ一つ頭の中で纏め、言葉にして告げる。

そして自ら言葉にすることで、次々にその先のアイデアが溢れ出て思わず口を突いて出る。


「なんでそんなことをするかって言えば、ためだ。ここで扱ってる商品の多くは『上流階級では既に出回っていて、庶民には縁のないもの』が多い。上流階級に売り込みに行こうとすれば既得権益が全力で邪魔をする。でも価格帯を下げてターゲットを変更すれば新しい需要を発掘できる…そうだ、新規の顧客が増えれば、需要が増えれば、その分新しい供給が必要になる。そうすればこの会社そのものを安定して拡大できる…!」

「い~い線行ってるニャ」


フィモッスの説明を聞きながら、隣にいたフレヴトは驚愕し、対面にいるアーリがにんまりと笑う。

そんな彼女の背後でその尻尾の先端がぴくぴくと揺れていた。


確かに彼の理論はかなりアーリの、そしてこの会社の商売の確信を突いている。

『新たな需要の創出と開拓』こそがアーリンツ商会の本分だからだ。


ただ一点、『誰が利益を受けるか』という点に於いて彼の認識には大きな齟齬があった。

フィモッスが考えた最終的に利益を享受する者とは即ちアーリンツ商会である。

商売人として当然そう考えるし、そう考えるべきだ。



けれど違う。

この商法で最終的に利益を受けるのは…である。



現状彼ら以外では採取が困難な蜂蜜産業の需要を増やすことで、供給者である彼らを市場経済の必須要員にする。

そうすれば庶民が、商人が、そして市場原理そのものが彼らを守る盾となってくれる。



それがクラスクとミエからアーリが任されたなのだ。



「あ、あの、えーっと…すいません、なんか興奮しちゃって」

「いいニャいいニャ」


ひらひらと手を揺らし、謝るフィモッスの言葉を流す。



「…で、フィモッスさん」

「は、はい!」

「貴方のこの一カ月の出納すいとう帳…出せるかニャ?」

「は、はい! すぐにお持ちします!」



出納すいとう帳とはお金の入出金を記録した帳簿のことである。

大抵の場合、どの街で何を幾つ仕入れたのか、また何をどれだけ販売したのか、そしてその結果どれだけの損益を生んだかまで事細かに記されている。


当然ながらそれは商人にとって最重要なものであり、おいそれと他人に見せていいものではない。

だが逆に言えばそれが求められると言うことは、相手が取引を行うかどうか真面目に検討している、ということでもある。

フィモッスは慌てて立ち上がり、扉を開けると転げ落ちるようにして階段を駆け下りていった。





そして…後にはアーリと商談を断られたフレヴトだけが取り残される。




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