第155話 空腹と頼み事
ぐきゅるるるるる…
腹が鳴る。
とめどなく腹が鳴る。
そしてそれがあちこちで鳴る。
かつて栄えある翡翠騎士団第七騎士隊だったはずの連中が、地面にへたり込み恨めしそうに村の中央を凝視していた。
彼らの視線の先には行列があった。
大鍋で煮込まれたとろみのついた根菜のスープ…それも香辛料がふんだんに使われているらしくなんとも刺激的な匂いがする…が、深皿を手にして並んでいる村人たちに配給されているのだ。
手際よくよそってゆく小柄なエルフの少女。
ややぶきっちょながら快活そうに話しかけ皿に注ぐ巨人族の血を引いているらしき巨躯の娘。
そして彼女らの隣で訛りの酷い共通語で色々捲し立て、怯えながらも笑われ…いや笑わせている小太りのオーク。
村人には老いも若ききもいた。
まだ乳飲み子のいる母親もいた。
そんな彼らが、オーク達に食事を振る舞われ感謝して頭を下げる。
王都にいた頃はそんな光景想像だにできなかった。
何より村の人たちの彼らの旨そうな顔。
嬉しそうな顔。
そして幸せそうな顔といったら!
だが騎士達はその恩恵に預かれない。
そのオーク達は彼らの討伐対象だからである。
そうでなくともかつて襲いかかった相手に食事を恵む者はいなかろう。
ただ腹が鳴るのはどうしようもない。
少ない糧食を小分けにし、野生の兎などを狩ってなんとか飢えを凌ぎ、彼らはひたすらに隊長を待ち続けたのだ。
任務をほぼ失敗した自分達に戻っても居場所があるとは思えない。
彼らは正規の騎士ではなく、立場のない貴族の次男三男や騎士に憧れる豪農の息子などを寄せ集めで作られた急ごしらえの騎士隊だからだ。
仮に隊長であるキャスバスィが戻らず、そのまま王都に敗走するようなことになったらどうなるか。
おそらく他の騎士隊に組み入れられて、けれど他の騎士から碌な扱いを受けず、きっと耐え切れずに騎士隊を辞めることになるだろう。
あるいは団長なら止めてくれるかもしれないが、幾ら団長だからとて隊の者の蔭口まですべて止めることはできないのだ。
ゆえに彼らは待った。
待ち続けた。
そしてその希望の主が…ようやく来てくれたのだ。
「………………………」
そんな彼らの縋るような視線をを一身に受け、鳴り響く腹の大合唱を前にして、キャスは流石に放っておくことはできなかった。
彼らが空腹に苦しんでいる間ミエの上等な手料理を毎日口にしていた後ろめたさもある。
「待っていろ。連中に話すだけ話してみる」
ぱあああああ…と顔を輝かせる騎士一同。
副隊長のエモニモだけなんとも複雑そうな表情だったけれど、一番腹を鳴らしているのもまた彼女であった。
よくよく見れば他の隊員に比べ明らかに血色がよろしくない。
おそらく己の食事を我慢して部下達に回していたのだろう。
責任感の強い彼女らしいが、栄養失調は命に関わる。
キャスは早歩きで村の中央へと戻った。
「キャス…あのひとたちのぶん、いる…?」
「いや、まだいい」
エルフ族ゆえの鋭敏な聴覚で遠くの腹の虫を聞き取っていたのだろう。
サフィナが
「クラスク殿の許可を得なければ
「……わかった。まってる」
指摘されて今更そのことに気づいたサフィナは、しばし逡巡したあとこくりと頷く。
キャスはその足でクラスクの元へと向かった。
「トイうわけデそこデ俺の斧がドーントダナ…」
クラスクは村の広場、村人たちと共に食事を摂りつつなにやら己の体験談を語っているようだ。
村の者達は香辛料の利いたスープに舌鼓を打ちながら彼の話を怖さ半分面白さ半分で聞いている。
クラスクの身振り手振りを交えた語りはわかりやすく、迫力がありつつ、それでいてコミカルで、やがて村の者達は耐え切れずくすくすと笑い始めた。
オークの前で迂闊に彼らを笑おうものなら斧で首を刎ね飛ばされてもおかしくはない。
だというのにその大柄なオークは特に気にする風もなく、子供の前で大袈裟なポーズを取って母子ともども笑わせていた。
そんな光景を…キャスはしばし時を忘れて魅入ってしまっていた。
ミエの≪応援≫によってクラスクの≪カリスマ(オーク族)≫は現在≪カリスマ(
彼の表情や語り口調はとても魅力的で、村の人間達は知らず惹き込まれてしまっていたのだ。
「そこデ酒を一杯ひっかけタ俺はその酸っぱさに顔を顰めつつ斧を片手に…なんダ、キャス」
話しを中断し、背後のキャスの方へと顔を向ける。
その一瞬前まで村人たちへと向けていた、どこか優しげな表情に、キャスは不覚にもどきりと胸を高鳴らせた。
「クラスク殿。こ、このような頼みごとができる立場でないことは重々承知しているのだが…私の部下にも、その、食事を恵んでは頂けないだろうか」
騎士達の長らしき女性がオーク族の族長にへりくだった態度で接する様子に村人たちは驚愕する。
そしてそれをさも当然のように受けて答えるそのオークにさらに目を丸くした。
「あいつらは俺の部下デも手下デもなイ。養う義務なイ」
「それはわかっている! わかった上で頼む…後生だ。このままでは彼らは飢えて死んでしまう…!」
キャスが深々と頭を下げ、村人たちの驚きがさらに大きくなった。
そしてどうやら遠間からこちらの様子を窺っている騎士達の間にも動揺が広がっているようだ。
「ふん。他人が生きようト死のうト知っタこトデはなイガ…」
「~~~~! で、では交換条件だ! もし、もし聞き届けてくれたら、わ、私は…」
私は、最初にお前と交わした約定の通り、お前に屈服し、お前とお前の村のために尽くそう…
そう言おうとして、クラスクの突き出した右
「それ以上言うナ」
「だが、しかし……っ!」
キャスには他に差しだせるものがない。
そもそもが現在の立場が一騎打ちの末に敗北した虜囚の身なのである。
本来オーク相手であればあらゆる権利も自由も剥奪されて鎖に繋がれ、奴隷や性処理用の玩具にされていてもおかしくはなかった身の上なのだ。
そんな自分が、彼らオーク族を襲い皆殺しにしようとしていた騎士達を救いたいので手を貸してくれだなどと、一体どの面を下げて頼めというのだろう。
この身の忠誠と隷属以外何を捧げられるというのだろう。
「嫌々言わせタ宣誓なんぞ当テにならン。お前が望んデ言わなイト意味なイ」
「~~~~~~~~~~っ!」
それは有難い。
とても有難い言葉である。
彼女の自由意志を尊重してくれているのだから。
けれど今はそれでは駄目なのだ。
このままでは部下が餓死してしまう。
自分を信じてひたすらに待ち続けた彼らを裏切ることは…キャスにはどうしてもできなかった。
「…ソウダナ」
キャスの苦悶の表情を眺めながらクラスクがふんと鼻を鳴らす。
「まダこイつらが俺のモノになル前トはイエ、この村の連中を守ろうトしタ事には対価がイルカ…キャス、お前らが都に帰ルまデ、お前の部下が俺ト俺の村の連中に手出ししなイト約束シロ。そしタらあそこの飯はくれテやル」
「~~~~~~~~~っ! 恩に着る…っ!」
深々と辞儀をして、心の内で幾度も幾度も感謝の言葉を口にしながら足早にサフィナたちの元へと向かう。
今のはクラスクとすれば最大限の譲歩と言っていい。
なにせ彼ら騎士隊は一度オークたちに負けている。
それに加えて今は餓死寸前の瀕死状態である。
その現状を以て騎士達が驚異となり得ないと判断するならこの交換条件は成立し得ない。
放っておけば数日から一週間で勝手に植えて全滅しそうな連中に手出しするなも何もないのである。
さらに言えば食事を恵んでやる立場のクラスクからすれば「二度と手出しをするな」と迫ることだってできるのだ。
彼我の力関係を考えれば彼にはそれを言うだけの権限と優位がある。
だが騎士達は立場上国王から受けた命令に逆らうことはできない。
オーク族を討伐しろ、という指示とクラスクが出した命令が矛盾すれば彼らは板挟みとなって必要以上に苦しむだろう。
だが王都に帰るまで、と条件を切るなら、その間オーク達に手を出さないことは王命と矛盾しない。
つまりクラスクは、驚異になり得ない相手をわざわざ敵として認め、さらにはオーク族には全く得のない条件をあえて付けることで騎士達の立場を
これを感謝せずしてなにに感謝しろというのだろう。
キャスはサフィナに食事の用意を頼むと…
不思議な高揚感に包まれながら、己の配下の騎士達の下へと向かった。
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